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特集イノベーションのためのエスノグラフィー

(2010.10.5/2010年10・11月号 特集)

組織・業務の課題を可視化 コーポレート・エスノグラフィー
富士通   フィールド・イノベーション本部 FI技術センター センター長   岸本孝治 氏

富士通 フィールド・イノベーション本部 FI技術センター センター長 岸本孝治 氏

ICT(情報通信)ソリューションというと、技術・ノウハウ中心の提案が想像されるが、富士通の提案には、その技術を使う人の意識や行動を中心に考え、現場の実態を観察分析する「コーポレート・エスノグラフィー」が活用されている。その中心となって取り組んでいるのが、FI技術センター長の岸本孝治氏だ。

──富士通で取り組んでいるエスノグラフィーは、どういうものなのでしょうか。

  日本の企業では、エスノグラフィーは商品やサービスの開発、マーケティング戦略の立案に活用されることが一般的ですが、実は、欧米では組織・業務の改善プロセスにも積極的に活用されています。前者は「マーケティング・エスノグラフィー」、後者は「コーポレート・エスノグラフィー」と呼ばれ、私たちが主に取り組んでいるのは後者です。

──そのきっかけは何だったのでしょうか。

  7年ほど前、富士通と富士通研究所が欧米の先進的な研究機関と一緒に、「コーポレート・エスノグラフィー」の共同プロジェクトを行ったのがきっかけです。
  それまでの業務分析は、技術を中心に見るテクニカルな分析がほとんどだったのですが、それではどうしても見えてこない課題があった。この共同プロジェクトで、そのような課題の発見にエスノグラフィーが有効であることが確認できたのです。それでエスノグラフィーを含む社会科学系の観察技術やインタビュー技法、アンケート手法を研究しようということになって、5年前にFI技術センターの前身となる「ソーシャルサイエンスセンター」が作られたのです。
  最初は、社内の業務改善などを対象として活動していたのですが、それが非常に良い結果をもたらした。それで、実際に成果のあった部署から、顧客の業務改善にも役立てたいという話が出てきたんですね。

現場で見た事実を記録する

──FI技術センターでは、どのような取り組みをしているのでしょうか。

  私たちのお客様のビジネスはICTシステムだけで成り立っているわけではありません。使う人たちの意識や行動、組織の習慣やルールが周辺に存在しています。それらをひっくるめて、業務改善から変革までのお手伝いをしていこうというのが、「フィールド・イノベーション(FI)」の考え方です。
  コンセプトとして、まず、顧客の課題領域を定義し、その領域の現場の実態をしっかり把握・分析し、「可視化」「見える化」する。そこで可視化された多くの事実や気づきが人の意識や行動を変え、プロセスの改善につながっていく。その上で本当に必要なところにICTを駆使していく。目指すのは、人とプロセスと ICTの全体最適化による、お客様のビジネス・イノベーションのサポートです。
  様々なフィールド・イノベーション技術の高度化や、ナレッジの整備を進めていますが、エスノグラフィー関係では、大きく三つあります。一つは、現場に長期間入り込んで観察する純粋なエスノグラフィーです。それを専門に扱うプロフェッショナル・エスノグラファーが、富士通研究所も含めて20人ほどいます。
  二つ目は、「ビジネスエスノグラフィー」といって、エスノグラフィーの方法をビジネスの業務改善に応用するために体系化したものです。既に多くのお客様で実績がありますが、同時に教育コースも開発し、富士通社内ではすでに700人以上が受講しています。新しい職種で、現在300人いるフィールド・イノベーターも、もちろん基礎教育の一つとして全員受講しており、様々なお客様の現場に出向いています。
  三つ目は、「ビジネスフィールドワーク」です。これは、人手による観察調査に富士通のICT技術を活用したものです。例えば、サーバーやPCから出てくるログから、業務の実際の流れを可視化する最先端技術を活用します。これにより、エスノグラフィーで深掘りした課題に対して、距離的に離れた複数の事業所ではどうなっているかなどを検証することができます。エスノグラフィーのような人手によるアプローチにICT系のアプローチを加えることで相乗効果を増すことができます。

──観察はどのように行うのでしょうか。

  「ビジネスエスノグラフィー」の場合についてお話しします。まず、最初は相手も緊張したり、張り切ったりするのですが、1時間もしないうちにリラックスして、「どうぞありのままを見てください」という状態になります。これは心理学の用語で「ラポール(信頼)」と呼ばれるものの効果で、訓練された観察者が、対象者と信頼関係を築きながら観察をしていくためです。
  それからは、現場でどんなことが行われているか、詳細に「フィールドノート」に記録していきます。フィールドノートは、客観的に見た事実だけを書く欄と、自分がどう思ったかという“気づき”を書く欄に分かれています。1日、観察すれば100ページぐらいの観察結果と気づきになります。この観察を、現場から抽出された複数人の対象に観察者が1人ずつ付いて、同時に行います。

──どのようなポイントを見るのでしょうか。

  どの人を観察するかはお客様と事前に相談しますが、観察そのものは見るポイントを絞りません。とにかく何が起きているか、そこで何が行われているかをありのままに記述していく。そこが従来の仮説検証型の調査とは、決定的に違う点です。
  観察の後に行うのが「データセッション」です。フィールドノートの記録をもとに事実起点で有識者も入れて整理していきます。最後にお客様の本質的な課題やその改善策をまとめて、報告をする。これが大枠の流れです。
  ただし富士通として、課題や改善策を出しっ放しで終わるわけではありません。例えば、お客様が自ら課題に取り組む際には、フィールド・イノベーターが改善の定着まで支援する場合もありますし、経営面からのアプローチが必要であれば専門のコンサルタントもいます。またシステム化につなげるのであれば、上流からSEが参画させていただいたり、パッケージやクラウドのサービスもあります。富士通の総合力で、きちんとソリューションまでつなげられることが強みです。

業務のボトルネックを探る

──具体的な事例があると、わかりやすいのですが。

  ある銀行のお客様の店舗業務改善に取り組んだ事例があります。その銀行の店舗は、お客様と接するカウンターの一線、その後ろで事後処理を行う二線、最終的な決裁をする三線に分かれていました。三線は「役席」とも言うのですが、幹部社員が最終的な決裁をする。そういう三層構造になっているのです。
  お客様からの依頼は、「一線と二線の間に課題があるから、その現状を分析して、対策を提案してほしい」というものでした。ところが、実際に観察を始めてみると、確かに一線・二線の間にも細かい課題はあるのですが、実は、業務のボトルネック(流れの妨げ)になっているのは、一番後ろの三線だということが見えてきたのです。
  例えば、ATMの故障があると、役席の人しか鍵を持っていないので、鍵を開けに席を外す。その間の承認作業は滞ってしまう。そういう些末な権限とそれに伴う作業が役席に集中していることが、業務のボトルネックになっていたのです。これはお客様にとっては驚きの結果でした。一見、たいした観察結果ではないようですが、「役席は忙しいのが当たり前」ということでノーマークとなり、当事者では気づけず、第三者から指摘されて初めてボトルネックと認識されました。
  そこで、一線、二線にはシステム中心の改善策を提案し、同時に、三線の作業の見直しも提案させていただきました。その結果、お客様がATMのトラブルに対し、電話による適切な対応案内や必要に応じて技術者を急行させる専用対応窓口を設置し、さらにはその窓口をアウトソーシングすることによって、本業に集中することができるという変革につながっています。

──観察は、どのくらいの期間するのでしょうか。

  一つの業務であれば、別々の日で合わせて2日見させてもらうのが一番多いパターンです。1日見て、その結果をすぐ2、3日かけてフィールドノートにまとめます。その後、2回目の観察を行う。観察を2日続けて行わないのは、記憶が新鮮なうちにフィールドノートを書き残しておくことが重要だからです。

──たった2日の観察で十分なんですか。

  私たちも最初の頃は、1週間観察することもやっていましたが、一般的な業務を観察する場合、3日以上やっても、大体同じ記述になっていくんですね。人は無意識に、同じプロセスを繰り返していることが多いということです。

未知の分野を知る手段に

──今後エスノグラフィーはどんな活用をされていくとお考えですか。

  富士通ではクラウドコンピューティングで農家をサポートする「農業クラウド」に取り組んでいますが、その初期段階でエスノグラフイーを活用した例があります。
  「参与観察」というのですが、事前に農業の知識がない状態で、1週間くらい一緒に畑仕事を手伝いながら、観察を行いました。そこでわかったことの一つが、農業は畑以外での作業時間が意外と長いということです。観察した日にもよったのでしょうが、調整のために農機具を奥から引き出すのに時間がかかったり、肥料の配合のために、必要な肥料袋を探し回ったりと、段取り作業に結構時間がかかっていました。また、植物に水分が行き渡っているか見る場合、土中や空中の温度・湿度を測ればいいと考えがちですが、農家の方に聞くと、「朝のこの時間に、葉っぱの裏に付いている水滴を見ればわかる」と言うんですね。そのへんは、もう匠の技とも言うべきノウハウですので、それをどこまで私たちのICTシステムで対応できるか別問題ですが、そういう未知の分野の「文化」を知るためにエスノグラフィーは非常に有効な手段です。
  今まで私たちがあまり携わってこなかった領域にも、今後はイノベーションが必要になってくるはずです。既存の分野で改善を重ねて変革へ導いていくだけではなく、未知の分野を切り開く手段としても、エスノグラフィーは、今後ますます活用の場が広がっていくことになると思います。

6月15日 朝刊

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