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特集イノベーションのためのエスノグラフィー

(2010.10.5/2010年10・11月号 特集)

ビジネス・エスノグラフィーがイノベーティブな組織をつくる
博報堂   イノベーション・ラボ 上席研究員   田村 大 氏

マネジメント思考とデザイン思考

──誰がフィールドワークを担当するかも重要そうですね。

  理想的には、リサーチ段階とアイデアを考えるデザイン段階で人を分けないほうがいいと思っています。むしろ、アイデアを考える人が自分でフィールドに入るべきだというのが、われわれの考えです。実際、フィールドワークはクライアントにできるだけお願いして、われわれはアドバイスをする側に回るようにしています。それは、自分たちが今まで当たり前だと思っていた「ものの見方」を変えるプロセスに主体的にコミットしていただきたいからです。ビジネス・エスノグラフィーを、1回だけのアイデア出しプロジェクトではなくて、クライアントの中にイノベーションマインドを培う手段にしてもらいたいと考えています。

──ただ、エスノグラフィーで出てきたアイデアを組織に説得していくのは、かなり難しいのではありませんか。

  そこが非常に大きなポイントだと思うんですね。「チェンジ・ファシリテーション」と呼んでいるのですが、最近は、エスノグラフィーを企業の合意形成を変えるための方法論としてもとらえています。デザイン思考とエスノグラフィーは、実は結構近い関係にあるのですが、その話からするとわかりやすいと思います。
  デザイン思考の対義語が、マネジメント思考です。デザイナーは前向き思考、ある種の未来思考ですが、マネジメントは後ろ向き思考なんです。
  マネジメントが重視するのはケースです。だから、MBAではケースを死ぬほど勉強させられるわけです。ケースの重要性は否定しませんが、過去のものでしかありません。マネジメントは、過去に起こったことを類型化して、新しいアイデアが成功するかどうかリスクヘッジをしたうえで意思決定をするというのが基本的なスタンスです。逆に言えば、過去の類型の範疇(はんちゅう)でしか意思決定ができないのです。
  一方、デザインは、ビジョンをどうやって形にするか、自分の中にある概念をどうやってビジュアライズするかを得意とします。今までなかった価値を創造し、それに形を与えるのがデザイン思考です。
  当然、デザイン思考で発想したものをマネジメント思考の管理者に持っていけば、「これは、今までに成功したのか?」「前例はあるのか?」と言われるでしょう(笑)。デザイン思考の立場に立てば、「今までにないから考えたのに」ということになります。

関係者を合意形成に巻き込む

──そこで、どうすれば合意形成ができるかですが。

  二つあると思っています。一つは先ほど言ったように、フィールドワークを自分たちでやることです。もう一つは、フィールドで見たことを関係者が一緒に学ぶ、情報を共有する場を持つことです。
  例えば1人の対象者のフィールドワークから出てきた情報を共有するのに、写真やビデオを交えて説明すれば、3時間は優にかかります。それを少し圧縮して、例えば1人1時間として、10人で10時間、意思決定者も含めて情報を共有する場を設けるということです。
  フィールドワークの基本は、人がどういう生活をしているかを知ることですから、やってみると誰もが興味を持つ。その前提があると、アイデアを見た意思決定者も、「このアイデアはあのときのあの人がこう言ってたこととつながってるんだな」と判断しやすくなるんです。
  これまでの経験で実感しているのは、自分の中にできたものの見方、フレームというのは、人から説得されても、なかなか変わらないということです。しかし、衝撃的なものを見たり、現場で直接、対象者と話をしたりすると、それだけで変わる。だから、関係者全員に、そういう体験をしてもらったほうが合意形成はしやすくなるということです。

──だから、最初から関係者を巻き込んでいけということですね。

  KDDI研究所の新井田統さんが、「変革する組織にとっての最大の敵は、上司が言う一言だ」とおっしゃっていた。 まさに、今の話と関連するのですが、「要するに」と言う上司が変革の敵であるというんですね。
  この「要するに上司」は、こちらがアイデアが出てきた文脈、背景から説明し始めると、大概、「要するにおまえは何がやりたいんだ?」 「おまえが言いたいことの要点を言え」となる(笑)。要するに、「アイデアだけ言え」ということです。それでアイデアを言うと、だいたい返ってくるのは、「それは前にやった」「今やっている」という反応です。
  しかし、この「要するに上司」は、イノベーションの本質を見誤っていると思っています。そのアイデアが、どういう文脈に置かれているかを考えていないのです。「それは以前やった」というのは、過去の違う文脈に置かれたアイデアなんですね。

意思決定のあり方を変える

──企業がイノベーションを必要としている背景については、どう思われますか。

  競争の激しい既存市場「レッド・オーシャン」より、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン」を切り開くべきだという話がありますが、従来のマーケティング手法とビジネス・エスノグラフィーの違いは、その関係に近いと思っています。
  最近は新しい技術を生み出しても、競合企業がすぐキャッチアップしてしまいます。例えば、日本が先行していた液晶技術も、あっという間に韓国に追いつかれた。新技術の賞味期限が、どんどん短くなっています。モノづくりの技術面での優位性が、市場での優位性を保つ絶対的な要因になりにくくなっているというのが現状だと思います。
  その一方で、アップルのように、これまでになかった体験を提供してくれる企業が大きく成長している。それは技術の優位性ではなくて、商品を通して生活者との情緒的なつながりを築いている強みだと思うのです。

──イノベーションの意味が、以前とは変わってきたということですか。

  経済学者のシュンペーターは、「イノベーションとは破壊的創造である」と言っていますね。ビジネス・エスノグラフィーで言うイノベーションも、それとほぼ同じ意味ですが、立ち位置が異なります。われわれは生活者の視点でイノベーションをとらえています。「生活者の知覚、習慣、価値観の変革を伴う世の中の変化」というのがその定義です。
  要は、それを使うことによって自分のライフスタイルが大きく変わるのかということです。その製品やサービスを提供した企業とライフスタイルとがガッチリ結びついていることが、安定した利益の確保にもつながる。そういう意味で、うまくいっている例が、ライフスタイルを変える製品・サービスを提供し続けるアップルのような企業だということです。
  技術や製品そのものの革新性ではなく、その製品によって自分の生活がどれだけ違うものになったかが、重要になってきている。それを鋭敏につかみ取って、アプローチしていくための手法が、エスノグラフィーだということです。

──トップがイノベーティブなアイデアを生み出せる企業であれば、エスノグラフィーは必要ない、とは言えませんか。

  確かに、イノベーションに天才的な才能を持った人が経営者なら、その必要もないでしょう。ただ、その経営者の後、その企業はどうするかということもありますし、組織としてイノベーションを身につけるにはどうしたらいいかという問題もある。
  そういう意味でも、エスノグラフィーのポイントは、アイデアを考えることより、意思決定をする態度・姿勢にあると思っています。つまり、エスノグラフィーは、意思決定者がマネジメント思考からデザイン思考になるための手法ととらえるべきだと思うんですね。世界の多くの企業がエスノグラフィーに期待を抱いている部分というのは、そこだと思うのです。
  「エスノグラフィーをやると、画期的なアイデアが生まれるんですか?」とよく聞かれるのですが、画期的なアイデアが生まれるか生まれないかは本質的な問題ではなく、過去に前例がないアイデアに対して、無条件でノーと言っていた意思決定のあり方を変えられるということの方が大切だと考えています。

イノベーションを学べる場を

──田村さんは、イノベーティブな発想を持った人材を育成するための東大の教育プログラム「i.school(アイスクール)」にもかかわられていますね。

  「i.school」は、東京大学知の構造化センターが実施する教育プログラムで、昨年9月に開講しました。きっかけは、センター長の堀井秀之教授と2、3年前に「東大って何のためにあるか」という話をしたことです。東大は国の大学予算の相当の割合を使っていますが、その社会的価値が、年々すり減っているという実感があったのです。
  これまで東大の役割とされていた官僚育成、科学技術振興が、世の中で必要とされなくなっている。官僚バッシングで、東大生たちの官僚になりたいという気持ちも、どんどん萎(な)えていっていますし、科学技術振興も、今までは技術大国と言われ、技術が国を支えているという意識があったのに、今はガラパゴス化と言われるようになってしまった。東大生も、自分たちがやっていることに自信が持てなくなっているんですね。
  また、日本のこれからの基幹産業を支えていくのは、技術中心ではなく人間中心のイノベーションです。 だとすると、日本のために今、東大は何ができるのかと考えたときに、それを学べる場を作る以外にない。それが、「i.school」を立ち上げた理由です。

i.school 2010年度プログラム第2弾は「新聞の未来をつくる」

i.school 2010年度プログラム第2弾は「新聞の未来をつくる」

──2010年度のプログラム第2弾では「新聞の未来をつくる」をテーマにしていますね。

  最初に学生たちに言ったのは、「新聞の未来というのは、ジャーナリズムの未来、メディア技術の未来でもなく、新聞社の未来でもない。生活者から見た新聞を出発点とし、読み手にとっての新聞の意味、価値をエスノグラフィックに探り出し、新聞の意味を、もう一度、再検討したうえで、新しいアイデアを考えてくれ」ということです。

──具体的には、どういう新聞の意味、アイデアが出てきたのでしょうか。

  一番意図に沿っていたのは、「チェックメイト」という会話の潤滑油になりそうなニュースが配信されるアプリです。会社の上司と話す時やデートなど、会話の相手に合わせて記事を配信してくれるサービスです。人々にとって新聞は「自分たちの興味を介した信頼関係をつくるための情報媒体」であるということを見つけ出してきた。その興味を信頼に変換していくためのアプリケーションを考えたわけです。
  もう一つ、フィールドワークの解釈で優れていると思ったのは、「情報洪水に溺(おぼ)れそうなビジネスマンに区切り体験をもたらすメディア」と新聞をとらえたグループです。〝区切り〞という考えがどこから出てきたのかというと、証券ディーラーへのインタビューからです。彼らは仕事の情報源には新聞は利用していないが、新聞は読んでいる。自分が思ったことを新聞記者はどう考えているかを確認するためです。それは自分が業務に追われている時間と違う時間です。自分の中に振り返りの時間を作ってくれるメディアという解釈が、非常にいいと思いましたね。

人間中心のイノベーションへ

──エスノグラフィーとは何か、改めてお聞きしたいのですが。

  一言で言えば、エスノグラフィーは、人間中心のイノベーションを生み出すための手法です。さらに、「ビジネス・エスノグラフィー」と僕らが呼んでいるのは、企業がイノベーションを起こすための一連の活動(フィールドワーク↓機会発見↓アイデア創出↓意思決定)をデザイン思考で共有するためのプロセスと位置づけています。

──フィールドワークを行うという部分では、両者とも共通している?

  実は、「ビジネス・エスノグラフィー」では、対象に深くコミットできるのであれば、方法は「フィールドワーク(観察)」でなくてもいいという考え方をしています。僕らが実際にとっている方法は、「観察」「スキャニング」「ケースメソッド」の三つです。
  スキャニングというのは、世の中に広くある二次情報、例えば新聞記事などを広く集めてきて、その一見、脈絡のないものの中から関係性を見つけ出していく方法です。
  それから、ケースメソッドというのは、先ほどケーススタディーは後ろ向き思考だと言いましたが、その過去のケースをもとにして、その中に共通性を見いだしながら、今まで分析されていなかったようなモデルを考えるという手法です。

──いずれの方法も、客観的事実を見つけるための方法ではない?

  エスノグラフィーにとってフィールドワークは非常に重要な手法ですが、それに限定されているわけではないということです。ただ、どんな手法をとるにしろ、そこで重要なのは、これまでも言ってきたように、外から見て、わかったような気になるのはダメだということです。
  例えば、「i.school」で取り上げた新聞についても、ただ、その人が読んでいるところを見ても何もわからない。対象の中に深く踏み込んでいかないと、その人が新聞にどういう期待を持っていて、その人にとって新聞はどういう意味を持っているかが見えてこない。だから観察やスキャニングといった手法も、自分の中にインスピレーションをどうやって広げていくかを基点として設計していく必要がある。
  そういう意味で、エスノグラフィーは、企業にとっては、イノベーションを起こすための科学ではなく、アートだととらえたほうがわかりやすい。前向き思考の意思決定に変わることで、企業も、前例にとらわれず創造的なアイデアを生み出すことができる活気のある組織に生まれ変われると思うのです。

Tamura Hiroshi

1994年、東京大学文学部心理学科卒業。同年博報堂入社、2000年より現職。05年同大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。情報科学、認知科学を専門とし、ヒューマンファクターに基づく新たな情報技術の発案と開発を推進する。09年からi.schoolディレクター。著書に『センサネットワーク技術』(共著・東京電機大出版局)など。