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特集イノベーションのためのエスノグラフィー

(2010.10.5/2010年10・11月号 特集)

ビジネス・エスノグラフィーがイノベーティブな組織をつくる
博報堂   イノベーション・ラボ 上席研究員   田村 大 氏

博報堂 イノベーション・ラボ 上席研究員 田村 大 氏

博報堂のイノベーション・ラボは、「ビジネス・エスノグラフィー」と称したメソッドの開発・整備を進めている。その提唱者が田村大氏だ。新しいマーケティング手法として注目されているエスノグラフィーだが、田村氏は、それをイノベーティブなデザイン思考の企業に変革する手法としてとらえる。

──エスノグラフィーがマーケティング手法として注目されていますね。

  確かに、はやっていますが、誤解されて受け止められている面もあると思いますね。
  エスノグラフィーは、人類学の一つの領域と言ってもいいし、手段と言ってもいいのですが、簡単に言えば、「フィールドワーク+解釈」で他者を理解するということです。例えば、パプアニューギニアの奥地に行って、長期間そこに滞在し、現地人の行動様式を理解するというのがエスノグラフィーの典型的な例です。これには、その未開の地に関する地域研究と比較研究という二つの意味があります。また、この「比較」というのは、もともとは西洋と未開の地を比較するということでした。
  なぜかというと、人類学はそもそも植民地のガバナンス(統治)のために出てきた学問だからです。現地の人たちの行動原理を西洋の価値観や倫理観で見ても理解できない。現地の人たちの行動原理を理解した上で、それを西洋的に解釈することによって、はじめてガバナンスに使えるようになるわけです。これを「バイフォーカル」、複眼思考というのですが、人類学にとって非常に重要な考え方になっています。

マーケティングの客観性とは?

──田村さんの提唱する「ビジネス・エスノグラフィー」とは、どういうものですか。

  一般にマーケティングで言われているエスノグラフィーは、観察を通して客観的な情報を収集し、そこから消費者インサイトや、ユーザー目線でニーズを取り出す手法と受け取られています。しかし、それは客観的な真実である「ニーズ」が世の中に存在するという前提に立っているから成り立つのです。それに対してビジネス・エスノグラフィーは、「客観的な真実はない」という考え方に立っています。

──マーケティングに客観性は要らないということですか。

  砂漠に靴を売りに行ったセールスマンの話があります。砂漠に行くと、そこにいる人たちは誰も靴を履いていない。それを見て、「ここにはまるでマーケットがない」と言ったセールスマンと、「ここには無限のマーケットがある」と言ったセールスマンがいた。両方とも、「砂漠では誰も靴を履いていない」という事実を基にした客観的な報告と受け取れます。つまり、普段、われわれが「客観的事実」と言っているものは、多くの場合、解釈の問題だということです。
  もちろん、物理的な法則のように厳然とした尺度があって、それで説明できるものには「客観性」があります。しかし、マーケティングの対象となるような事象は、誰かの目を通して解釈を加えて報告されないと、意味が通らないものがほとんどです。それは必ず主観的なものになる、ということです。

──方法にも違いはあるのでしょうか。

  例えば、フィールドワークを通じて、消費者と話をしたり、現場を見に行ったりして、そこで深く話を聞き、生活の実態を見る。この点は同じです。
  違うのは、次のステップです。普通は、集めた情報を分析して、新しいインサイトや客観的事実を見つけ出し、それを商品開発につなげようとするわけですが、集めた情報を現場の文脈から切り離した瞬間に、その情報は無価値になるというのが僕の考えです。

──客観的事実を見つけ出すのではないとしたら、何をするのでしょうか。

  ビジネス・エスノグラフィーでフィールドワークを行うのは、深く対象者にコミットすることで、その人の視点を自分の中にインプットするためです。すると、自分の中にもう一つの視点、複眼ができます。それを通じて、その人たちが持っている葛藤や矛盾、共通性から世の中の変化をとらえる。そこからインスピレーションを広げて、新しい商品開発のアイデアを生み出していく。そういう意味では、科学的というよりデザインやアートに近い。
  ビジネス・エスノグラフィーは、イノベーションに接近するための考え方なのです。

エイジングをどうとらえるか

──フィールドワークで得たものをその文脈の中で考えるという点について、もう少し具体的に説明してもらえますか。

  以前、花王生活者研究センターと行った共同プロジェクトがあります。そのときは、「エイジング」という概念の再構築がテーマでした。
  「エイジング」は、ビューティーケアでも、ヘルスケアでも扱われる概念です。ビューティーケアで言う「エイジング」は、だいたい30代、40代の女性がターゲットです。ヘルスケアは、もう少し年齢層が上で、しかも男性が中心です。「エイジング」とは何か、改めて考えてみると、実はぼやけている。
  いろいろな人にフィールドワークをかけて、最終的に見えてきた結論は、「エイジングとは、単なる加齢ではない」というものでした。
  まず、フィールドワークから見えてきたのは、人は、昇進や子どもの結婚といったライフステージの変化、あるいは病気やけがで生活環境が変わると、新しいアイデンティティーを探そうとする。つまり、自分探しが始まるということでした。
  人は、新しい自分はこうありたいと決めたとしたら、そのために自分の価値観の序列を変えたり、何かモノを買ったり、どこかの会員になったり、人との付き合い方を変えたりするのです。それが、「新しい自分探しのプロセス」であり、「年をとる」ということの意味だったんです。

──それがマーケティングとどうかかわるのですか。

  これは、化粧品メーカー全般にも言えることですが、それまではエイジングを、例えば「理想的なエイジング=X—5」というメンタルモデルとしてとらえていました。Xは年齢、つまり、「年齢より5歳若く」という考え方だったのです。年は1年、1年とるもの、つまり、エイジングを直線的にとらえていたのです。ところが、共同プロジェクトで得た結果は、階段を上るように人は年をとるということです。
  花王はもともとマーケティングに非常に強く、セグメントを分けて、そこに的確なベネフィットを提供し、伝えていくことにたけている会社です。しかし、セグメント間の移行をどうやって促すか、そこに困難を感じているように見受けました。これは考えてみれば当たり前で、昨日まで29歳だった人が、次の日に30 歳になったから次の商品ラインに自分で進んで移行するわけではありません。セグメントに併せベネフィットを伝えるだけでなく、セグメントとユーザーの関係をどうとらえたらいいのかという視点が必要だったのです。
  つまり、マーケティング戦略上、ここでポイントになるのは、セグメントからセグメントへの移行のタイミングです。それを「現在の自分自身の変化」ととらえて、そのサポートを考えていくことが、エイジングビジネスの新しい視点ではないかということです。

──エスノグラフィーは、マーケティング戦略そのものの見直しにも使える?

  というより、マーケティングだけでなく、企業活動の革新に深くかかわる考え方だということです。先ほどの「エイジング」のとらえ方も、実は誰にとっても等価なものではありません。エイジングという概念を主体的に再構築することが、次のアクションを生み出す原動力になるのです。

エイジング」のとらえ方(概念図)

「エイジング」とは「新しい自分探しのプロセス」