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コラム広告日和

(2012.3.29/2012年4・5月号 広告日和)

「ピンチはクイズ」、偶然を味方につけるということ
澤本嘉光 電通 CDC エグゼクティブ・クリエーティブディレクター/CMプランナー

  こんな事書くとすごくいい加減に見られるかもしれないのですけれど、CMの企画を考えている時に大事なものに、偶然ってものがあると思います。もちろん最初から最後まで計算し尽くして考えていくこともありますし、そういうものも美しい計算式みたいで好きなんですが、偶然が働いた時に企画がすごく化ける事があって、それで僕はずいぶん助けられてきています。

  たとえば僕は自分に下の人がついたとすると最初のうちは字コンテではなくて絵コンテを描く事を勧めます。それは、手を実際に動かすと脳に何かしらの刺激が伝わり活性化する、という事もあるのですが、たとえば絵を一コマ描いては台詞をあてている時に、元々おじいさんの顔を描いていたつもりなのにどうしても猿にしか見えなくなってしまったとします。そういう時、絵を描き直すという選択肢もありますが、猿にしてしまうという選択肢もでてくる訳です。で、猿にしてその後ストーリーを考えてみるとすごく面白くなったり。元々考えていなかったものだけど。
  会議室でのやり取りを考えて歩いてる時に八百屋が目の前にあったりすると、これも何かの縁だから八百屋にして考えてみるとか。これもたまたま八百屋の前にいなければ出来ないことです。

  では、偶然ってなんだろう、と考えてみると、前もって全く計算できていないことに遭遇する事だと思うんです。つまり、計算外の事件にであうと頭の中がいままでと全く違う働きを要求される。そういう事故みたいな事にあった時にどう対処していくか、の中に実は化けるチャンスがあるんだという気がします。
  偶然は良い偶然だけではありません。ふって湧いたような無理な注文や修正命令も、計算できなかった偶然のひとつです。「ピンチはチャンス」と言ったりしますが、ここでその言葉を使おうとすると一人すごく不愉快な顔をする人を知っているので言いません。それはこのコラムの頻出単語にすらなりつつある佐々木宏さんです。
  「ピンチはピンチに決まってんだろ、なにノンキな嘘ついてんだ」とドスの利いた声でよく言います。お腹が減っている時とかはもっと不機嫌な声になります。45歳にもなってそんな時近くに甘いお菓子を探して佐々木さんの前にそっと置こうとしている自分がたまに情けなくなります。
  でも佐々木さんの特徴は、皆がカッコ付けて言ってる事を本当はこうだろと全く飾り付けずに言い切れることで、それが逃げられない真実だという所にあります。佐々木さんのこれまでの傑作コピーは「ダメ。絶対。」とか「ボス、飲む。」とか、「ニューヨークへ、行こう。」とか、どこに飾り付けがあるんだ?というど真ん中の言葉ばかりです。語彙が足りない幼稚園児の言葉のようにも見えますが、そうではありません。真理の核です。

  その佐々木さんは「ピンチはチャンス」と言わずに「ピンチはクイズ」だと言います。これ、凄い言葉だなとお世辞抜きに思う。偶然が企画を化けさせる可能性がある、というのは、まさにこの事だからです。偶然の中にも良い偶然と悪い偶然があると書きましたが、良い偶然というのは「出会い」みたいなものです。悪い偶然は「事故」です。その事故に遭遇した時、与えられた不測の事態を「クイズ」と思って解こうとすると、全く使う予定のなかった脳の部分が働くので予想がつかないアウトプットがでることがあります。
  最近で言えば、ソフトバンクのCMで「鳥取からの留学生」としてトリンドル玲奈が出演していますが、「鳥取からの留学」って用語的にはおかしい。これ、もともとはケニアとかの電波より速く走るようなマラソン留学生にしようかと思っていたんですが(そんなやついない!)、留学生という考えはいい! けれど、日本の携帯のサービスだし日本からの人がいい、となって、おいおいおいそれ留学じゃねえぞ、と思いながらも、じゃあ日本だけど「留学」って言葉を強引に使えるようにするには日本なのに外国の地名ってのを探さないと、と思い、そういえば鳥取にハワイがあったなと。で、トリンドルに漢字あてると「鳥ん取る」だなと。お、偶然! じゃ、いいか!って流れで鳥取のハワイからの留学生、に。
  個人的にはマラソン留学生も変で好きでしたが、あっちに行くとまた本来僕の好きなマイナー路線に行きすぎた気もするので、まあ結果としては良かったのかなあと。「ピンチはクイズ」の例としては解りやすいかなあと。良い例か悪い例か解らないですが。
  偶然は良いものも悪いものもやってきます。

  もともと運命論者的な部分もあるのですが、そういう偶然をうまく味方に出来ると、企画は自分の持っている想像範疇を超えて広がる可能性があると。CMに限らずです。これ、企画だけでなくおそらく世の中全てについて言えるのではないかと思っていて、きっと「計算通り」を目指し過ぎると、計算の範囲内でしか生きていけない、自己の成長規制になってしまうのではないか、という気がしてなりません。個人であれ、会社であれ。
  最近中学入試の国語問題文を読んでるので、あたかも出題されそうな構成の文を課題として書いてみましたが、これもまた偶然かもしれないですし。でも佐々木さんやトリンドルが出題されるはず無いですけど。

〔筆者プロフィル〕

1966年、長崎市生まれ。1990年、東京大学文学部国文科卒業、電通に入社。ソフトバンクモバイル「ホワイト家族」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、中央酪農会議「牛乳に相談だ」、家庭教師のトライ「ハイジ」、トヨタ自動車「ドラえもん」、読売新聞など、次々と話題のテレビCMを制作している。著書に小説「おとうさんは同級生」、小説「犬と私の10の約束」(ペンネーム=サイトウアカリ)。前者は読売新聞会員制サービスyorimoの連載を単行本化。後者の映画脚本も執筆。2014年1月に公開された映画「ジャッジ!」の脚本も担当。クリエイター・オブ・ザ・イヤー(2000年、06年、08年)、カンヌ国際広告祭賞、ADFEST(アジア太平洋広告祭)グランプリ、クリオ賞、TCC賞グランプリ、ACCグランプリなど、受賞多数。数多くの海外の広告賞の審査員も歴任。