通じ合うチカラ

2009.4/vol.12-No.1・2


まず自分と通じる

 「言いたいことを言っても伝わらない」、「相手の要求を呑もうにも呑み込めない」、この狭間で私たちはもがく。
 たとえば、プロが工夫し抜いたデザインを、デザインのことがよくわからない広告主に却下されてしまったようなとき、
自分を押し通せば物別れになる。かといってプライドを捨て、腰をかがめるようにして相手におもねることもできない。そんなときどうすればいいのだろう? 絶望しないでこの原則を試してほしい。

  • 1 まず自分と通じる
  • 2 相手を知る
  • 3 伝えたいことはそこに必ず見つかる
通じ合うチカラ

 あなたと相手の間には距離がある。だからこそ、そこに、橋を架けるように「伝えたいこと」が生まれるのだ。

 「言いたいことを言っても伝わらない」。私が、そう痛感したのは進研ゼミの小論文編集長をしていたときだ。部署移転で東京に転勤になり、発達したマーケティングに触れて、読者の高校生と当時30代の自分とでは、表紙ひとつをとっても感性が違うと気づかされた。それまで岡山で10年、自分の実感や美意識に立脚して仕事をしてきた。自分がいいと思うものは高校生もいいと思ってくれるという幻想があった。自信がガラガラ崩れた。
 「相手を知る」必要性をこのときほど思い知らされたことはない。それから小ページひとつ作るにも、読者理解に骨身を砕いた。アンケートやヒアリングはもちろん、高校生が聴くと聞けばラルクアンシエルのロックライブに行き、想いに想い、考えに考え、表紙も17人のモニター高校生と一緒に作った。次第に私は調査結果を見なくても高校生の好みが言い当てられるようになっていった。
 「相手に合わせてばかりでは自分を失う」。行きづまったのは教材の好感度が上がり絶好調のとき。当時の10代は表紙ひとつをとっても、シンプルでイヤミ臭みのない「ただきれいなもの」を好んだ。でもそんなキレイ路線を追求しても、自分のつくるものは10代の生活にありふれた、新鮮味のないものになってしまう。「ただ相手のしてほしいようにするだけなら、究極には高校生を編集長にすればいいということになる。自分がかかわる意味はなんだ?」。おとなには人間臭さ・渋み・味も要る。でも30代の味をそのままぶつけても、高校生はとたんに拒否感をあらわにした。「自分を貫けば拒否される。かといって相手に合わせてばかりでは、自分の存在意義すら失う」。ほとほと行きづまって私は、先輩のこの言葉に出あった。
 「高校生よりも10年、20年多く生きてきたおとなが、10代の高校生に向かったとき、何が言えるか、何を伝えたいか」

私自身は何を良しとし、何を美しいと
タイトルカット&イラスト 伊野孝行

 当時10代は集団から浮くことを過剰に恐れた。だから個性や主張のないキレイを好むのか。「そんな10代に、30何年生きてきた自分が、何が言えるか、何を伝えたいか」と考えたとき、まるで架け橋のように「伝えたいこと」が生まれてきた。表紙シリーズ「わたしらしさ」は、10代の肖像を写真と取材で追い、多様な生き方を知らせることで、読者自身の個性を花開かせてほしいというメッセージを伝えた。高校生の好むシンプルなトーンで。2年後、この表紙はキレイ路線の表紙より高校生に支持されるようになった。
 「まず自分と通じる」。高校生にとって新鮮なメッセージが生まれたのも、高校生の感性に乗っ取られそうになりながらも乗っ取られなかった自分の感覚、違和感があったからだ。マーケティングに疎かった岡山の10年、自分の基準に問うしかなかった日々も無駄ではなかった。東京に来てからも私は、高校生にアンケートをとるようなとき、必ずまず、「自分は何を良しとし、どうしたいか」と自分に問うのが習慣づいていた。それが高校生や会社の意見とどんなに食い違おうと、その距離を測り、コミュニケーションを興していく私の「立脚点」だからだ。

 コミュニケーションと言えば、「はやく契約を取りつけるワザ」など、「ゴール」と「そこに効率よくたどり着くマップ」ばかりがもてはやされる。私もはじめは高校生を入試小論文合格に無駄なく導こうとした。合格に必要な知識と技術だけを効率よく注入しても、高校生は画一答案どころか、だれに向かって何を言いたいのかわからない宇宙人のような文章を書いた。研究の果て、高校生には「立脚点」がないのだと気づかされた。つまり「どんな自分がどこに立ってこれを書いているのか」、肝心の部分が抜けている。そこで、まず合格などおかまいなしに、「考える=自分に問う」作業をさせたあと、本当に思っていることを存分に書かせる段階をもうけた。すると高校生たちは自分の立ち位置がわかり、見違えるくらい実感のある伝わる文章を書くようになった。
 「まず自分と通じる」、これがコミュニケーションの立脚点だ。プロが工夫し抜いたデザインを広告主が理解しないようなとき、自分を捨てて相手におもねるのは得策ではない。立脚点を失った人間に、他人のゴールに貢献する距離感覚は無い。かといってプロの論理では通じない。相手がなぜ、どんな発想から何を好むのかを理解し、その上で「この道を10年、20年やってきたプロである自分が、デザイン経験を持たない人に、何が言えるか、何を伝えたいか」と考えよう。そこに必ず、今の自分にしか言えない、その相手だからこそのメッセージが生まれる余地がある。
 自分と相手の間に遠く絶望的な距離があると感じるときほど、大きな橋を架けるチャンスだ。自分を失わず、時間がかかっても相手との間に遠く大きな橋を架けてほしい。
 想いは、通じる!

山田ズーニー氏

山田ズーニー氏

岡山県生まれ。ベネッセコーポレーション小論文編集長として高校生の考える力・書く力の育成に尽力し、2000年独立。全国各地をまわっての表現教育のワークショップ・慶応大学での講義・企業研修・講演・執筆等を通じ、文章表現力・考える力・コミュニケーション力の教育にフリーランスとして活動中。主著に『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP新書)、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』(筑摩書房)。

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