立ち読み広告

2008.8/vol.11-No.5


大人こそ味わってほしい「読書の夏」

 先日、『中央公論』誌上で、書評家の岡崎武志さんと対談した。テーマは文庫。文庫に関するよもやま話をしていて、つくづく「文庫っていいな」と思った。本として最も洗練された形といっていい。ポケットに入る大きさ、コーヒー1杯程度の価格、創意工夫を凝らされたカバー、しかも多くが解説つきだ。文庫こそ人生の友である。

恒例となった「夏の100冊」

 6月25日の朝刊第5面は角川文庫の全面広告である。角川文庫はことし創刊60周年。人気作家12人が月がわりで編集長をつとめ、6冊の角川文庫を紹介している。この日は京極夏彦。着物に指なし黒革手袋といういつものスタイルで立つ京極の横には「角川文庫は、悪である」というお言葉。この人がいうと、なんとなく凄みというか妖しさを感じる。
 6冊のラインナップも坂口安吾『明治開化 安吾捕物帖』や横溝正史『髑髏検校』、高木彬光『大東京四谷怪談』など、いかにも夏向きの本がそろっている。松本清張の芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』を入れたところに京極のセンスが光る。
 しかし、この季節の角川文庫といえば、「夏の100冊」キャンペーンである。主に中高生を対象に、夏休みに読んでほしい本を100冊選ぶこのキャンペーンは、とても意義のあるものだと思う。
 大人たちは若者に「もっと本を読め」と言う。しかし、何を読むべきかは語ろうとしない。おそらく60年代に先進国各地で起きた若者の反乱と80年代のポストモダン思想の広まりのなかで、旧来の教養の体系が否定され、「あらゆるものは等価だ」という価値相対主義が広まったからだ。大人たちは読むべき本を指し示すのを躊躇するようになった。だが、漠然と「読め」と言われても、若者たちは困惑するばかりだろう。
 そんなときに、「夏の100冊」のようなキャンペーンはいい。漱石、鴎外から森絵都や森見登美彦、有川浩まで、さまざまな作家たちの作品が網羅されている。ビギナーズ・クラシックス・シリーズの『論語』や『源氏物語』も入っている。
 しかも、今年のイメージキャラクターは松山ケンイチ。この広告では上目遣いにこちらを睨んでいるが、『人間失格』や『走れメロス』の期間限定カバーにも登場。「人間をさぼるな。」というコピーが意味深長である。

角川文庫の60年間を振り返る

 夏の100冊のキャンペーン小冊子に、「角川文庫60年の歩み」というページがあって面白い。創刊第1号はドストエーフスキイ著米川正夫訳『罪と罰』だったとか、昭和20年代は社員が15人だったとか、昭和20年代後半にサイズをB6判からA6判に変更して大成功したとか、そんなことが書かれている。小冊子にあるタキシード姿の松山ケンイチの背景には、60年間1万5000点の角川文庫が背を見せて並んでいる。
 よく「読書の秋」というけれども、私は「読書の夏」だと思う。秋はスポーツとか食欲とかいろいろ忙しい。真夏日の昼下がりに涼しい木陰で、熱帯夜の眠れぬ夜に蒸し暑いベッドで、文庫のページをめくるのは最高である。こんな楽しいことを、中高生だけにさせておくのはもったいない。大人にこそ夏の100冊、夏の読書だと思う。

6月25日 朝刊
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