特集

2008.7/vol.11-No.4


消費者研究の新しいアプローチ

 消費者研究が新しい局面を迎えている。一言で言えばそれは、消費者の無意識へのアプローチだ。人の無意識の反応を脳の活性化から見ていこうというニューロマーケティング、非合理的な人間の行動に法則を見いだしていく行動経済学、さらには進化論や消費文化の視点から消費行動を見直す動きも始まっている。「無意識のマーケティング」に踏み込んだ消費者研究の今を探った。

消費者行動研究はどこまで来ているか

 消費者行動研究とは、消費者がどのような過程で製品の購買決定を行うかを研究するマーケティングの一分野だが、最近、経済学や心理学、あるいは脳科学を取り込んだ新しいアプローチの研究が進んでいる。その現状を中央大学大学院教授の田中洋氏に聞いた。

――最近は消費者について語られることが少なくなっている気がしますが。

 消費者行動研究ということで言えば、むしろ逆で、この20年アメリカでも日本でも盛んになってきています。「新人類」という言葉もそうですが、確かに80年代にはジャーナリスティックな消費論や都市論が盛んでした。それが廃れたのは事実ですが、アカデミズムとしての消費者研究は、それとは別に脈々と続けられています。ただ、その内容は、メディアでもてはやされていた消費論とはいろいろな意味で違います。
 例えば、消費者行動研究のメーンストリームは何かというと、心理学に基礎をおいたアプローチです。簡単に言ってしまえば「消費者は消費の過程でどのように情報を処理するのか?」ということで、記憶や認知など、ジャーナリスティックな立場から見れば関心が薄いようなことをいろいろ研究しているのが、消費者心理の研究なんですね。

心理学と解釈学、二つの流れ

――消費者心理の研究は、いつごろから行われているのですか。

 20世紀初頭からありますが、脚光を浴びたのはリヒターのモチベーション・リサーチ(購買動機調査)で、50年代の話ですね。フロイトの精神分析を応用して、「なぜ男はスポーツカーを求めるのか。それは愛人の代わりになるからだ」というような説を唱えた。それはジャーナリスティックにも面白い話だったので、一時的に非常に受けたのですが、科学的根拠がないということで廃れてしまったのですね。
 科学的な根拠に基づいた消費者心理の研究が始まるのは60年代以降です。そのメーンになっていたのが、「意思決定論」です。どうやって消費者はモノを買うと決めるのかという研究です。60年代の単純な刺激―反応モデルに基づく研究から、70年代に情報処理型の意思決定プロセスの研究、90年代には情報の合理的な処理以外にも感情やイメージも意思決定に大きな役割を果たしているという考え方が加わり、現在はそれらを融合した消費者行動論が展開されています。
 消費者行動研究のもう一つの流れは80年代から盛んになった解釈学的研究です。これは、消費の意味を明らかにしようというアプローチです。消費者は一般的にどういうメカニズムで動いているかを明らかにするのが意思決定論だとすると、消費行動には何らかの意味があるというのが、解釈学的な研究の立場です。例えば、私がダイヤモンドの指輪を買ったとしたら、奥さんとの関係をよくしようとか、何らかの意味があるわけです。過去の私の消費経験も影響しているだろうし、社会的、文化的背景も影響しているはずです。
 この心理学的な研究と解釈学的な研究が、80年代以降ずっと消費者行動研究の大きな流れとしてあるんですね。

――広告でよく言われるAIDMAは心理学的なアプローチから出てきたものですか。

 AIDMAの考え方は意思決定論の流れの先駆的なものではあります。AIDMAからMを除いたAIDA(アイーダ)など、いくつかバリエーションがあります。
 AIDMAは、広告に注意を引いて、興味や関心を持ってもらって、欲求を喚起させて、記憶させて、購買行動を起こさせるという購買行動プロセスの考え方ですが、AIDAにしろAIDMAにしろ、現在はほぼ否定されています。購買行動は、そんな順番には起こらないということが研究でわかってきた。認知と感情と行動、この三つがいろいろな順番で起こるというのが今のセオリーです。

――もう一つ、広告の世界で昔から言われているものにサブリミナル効果がありますね。

 サブリミナル効果は、56年にジェームズ・ヴィカリが『ピクニック』という映画のフィルムに5秒置きに「コーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージの1コマを差し挟んだ実験をやったところ、ポップコーンとコカ・コーラの売り上げが急増したという話が、マスコミにセンセーショナルに取り上げられて広まったものです。しかし、実際にはデータさえ公開されていないんですね。後に再現実験もされたのですが、そういうことは起こらなかった。『ピクニック』という映画だったので、それが購買行動に影響したという説もあります。  ただ、サブリミナルに近い「プライミング」という現象は確認されています。消費者が見たかどうかを意識していない潜在記憶があることは実験的に確認されていますが、それが購買行動に何らかの影響があることまでは実証されていません。

――今の消費者行動研究は、非科学的な段階からは抜け出ている?

 確かにそうですが、一方で、人間がやっていることは50年代ころと今とでそんなに変わっているわけではないとも言えます。消費者が変わったわけではなくて、消費者へのアプローチの仕方が変わってきたということだと思うのです。

図1

消費者の購買意思決定プロセスは、人間の内面を単なるブラックボックスと考えた、60年代の単純な刺激―反応モデル(右図)から、70年代以降は認知心理学の影響を受け、情報を入手し、商品を比較することによってより良い製品やサービスを入手する情報処理型の意思決定プロセスへと考え方が進化してくる。

ニューロサイエンスの登場

――最近の消費者行動研究は、どういうことが注目されているのでしょうか。

 一つは、経済心理学、行動経済学と呼ばれる分野で、人間の経済的な判断にどのような要因がどのように影響を与えるのかを実験的手法によって解明することが行われています。マーケティングの専門家ではなく、経済の専門家が消費行動を研究するようになってきたんですね。
 経済学では、経済合理性と言って、人は常に自分の利益を最大化するような行動をとることを前提に組み立てられてきたのですが、人はそんな合理的な判断だけで消費活動を行っているわけではないということです。宝くじを買うという行為も、当選確率から見たら非合理そのものです。そういう人間の経済行動に実証実験を通して法則性を見いだしていこうというのが行動経済学、経済心理学という分野ですね。
 それから、「ニューロサイエンス」という研究分野も出てきています。与えられた情報によって脳のどの部分が活性化するかをfMRI(機能的磁気共鳴映像法)という装置を使って研究するというものです。

――いつぐらいから始まった研究なのですか。

 10年ほど前からですね。興味深い実験として、04年にアメリカで発表されたコカ・コーラとペプシの実験があります。ブランド名を伏せて飲んでもらった場合は両者とも脳内の同じ場所が活性化したのですが、ブランドのビジュアルを見せて飲んでもらった場合は、コカ・コーラだけ特定の場所が活性化した。つまり、おいしさなど嗜好にかかわる場所とブランドにかかわる場所が脳の中で反応部位が違うということなんです。
 今まで概念や経験的に言われていたことが、脳の生理学的働きに基づいて理解できるようになる、というのがニューロサイエンスの意義だと思いますね。

――脳の反応をマーケティングに応用すると聞くと、マインドコントロールに使われるのではないかという心配が出てきませんか。

 というより、広告の精度を上げるために有効だということですね。これまでフォーカスグループインタビューやフィールド調査で、キャンペーン前の広告調査をしていたわけですが、人は常に本音を言うわけではないから、その手法の信頼性が疑われていた。それに代わる手法として注目されているのです。

――広告にニューロサイエンスを応用した事例というのはあるのでしょうか。

 従来から専門家のメッセージは広告表現に有効だと言われていましたが、その時の脳の反応を調べた事例はあります。やはり、広告に専門家の写真を入れた方が、学習と信頼にかかわる脳の部分が活性化するのです。以前から知られていることですが、それが脳のレベルで確認されたというところがポイントで、今のところ研究されているのはこれぐらいのレベルだと考えた方がいいと思います。

 


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