Creativeが生まれる場所 2008.4/vol.11-No.1

不思議な“間合い”で企業の独創性を描く
大阪府生まれ。1968年立教大学法学部卒。1973年ホンダ担当コピーライターとしてサン・アド入社。代表作はサントリー(ウーロン茶)と村田製作所。東京コピーライターズクラブ(TCC)会員。東京アートディレクターズクラブ(ADC)会員。
 2月21日の朝刊と26日の夕刊に、村田製作所の全5段の広告が掲載された。同社のシンボル的存在である自転車型ロボット「ムラタセイサク君」と、ワニなどの動物たちとの独特の間合いが印象的なビジュアルに、「理科はすきですか」というシンプルなキャッチコピーが目を引いた。
 今回のキャンペーンの意図、そして1991年から20年近く続く村田製作所の広告作りに流れる考え方は何なのか。村田製作所の企業広告に立ち上がりから携わっているサン・アドのクリエイティブディレクター、安藤隆氏に聞いた。


 ──現在継続している「村田“科学少年少女”製作所シリーズ」の考え方をお聞かせ下さい。
 「村田“科学少年少女”製作所」は2006年の末から使い始めた言葉です。きっかけは、2005年のテレビCMで、一人ぼっちの少年の目の前にムラタセイサク君が来るという設定のものでした。翌年に、そのビジュアルを使ったグラフィックを制作した際に、この言葉は生まれたんですね。
 1991年から、村田製作所の企業広告は始まりましたが、その頃の目的は会社の知名度を上げることでした。そこには学生のリクルートやインナー効果という目的があったんです。それから、事業内容や技術の紹介というふうに、徐々に広告の目的を変えていったのですが、ここ数年は、企業として村田製作所が社会に発信できるメッセージは何かを模索していたんですね。

 ──その答えが「理科はすきですか」という今回のキャンペーンということですか。
 以前から、子供たちの理科離れが激しいという話を耳にしていました。資源も乏しい日本という国は、やはり科学など国の理工科レベルを落とすわけにはいかないだろうと思うんですね。村田製作所の事業は理科の分野そのものですし、こうした社会と村田製作所はどのようにかかわっていけるか、そして、どのような責任を果たせるかという考えからこのキャンペーンは始まっています。このキャンペーンで、子供たちに「理科はいいものだよ」「理科は面白いものだよ」という思いを伝えたかったんですね。

 ──ターゲットは子供たちですか。
 もちろん子供たちにも向けていますが、子供たちというよりは、むしろその親たちかもしれません。理科はすきですか、という言葉遣いは、大人に向けた言い方ですよね。親たちを通じてでもいいから、最終的に理科の大切さのようなものが、子供たちに伝わればいいと思っています。僕自身は理科が苦手な子供でコンプレックスを持っていたので、今でも理科という言葉を見るとドキッとしてしまうのですが(笑)。

一瞬で認識できる新聞

 ──紙面のビジュアルは不思議な感じがしますね。
 理科は、工学的な世界から生物・自然まで含んでいますが、村田製作所の分野は、あきらかに前者ですよね。テレビCMでは工学色濃く表現しているんですが、新聞広告ではワニなどの生物や自然の要素を登場させて、「理科」の言葉に沿った広い世界にしています。
 科学技術の産物であるムラタセイサク君が、どうやって自然と向き合っていくか、どうやって科学と自然が共存していくか、そういう意味をも新聞広告のビジュアルには持たせているんですね。

 ──今回のキャンペーンで、ビジュアルは新聞とテレビCMでは異なりますね。
 テレビCMと新聞広告はこの広告の両輪として表現が重なるわけですが、この二つは根本的には特性が違うと思っています。一般的に、たくさん読ませたい内容があるときに新聞広告は使われると思いますが、実際に読者が長い文章を読んでくれるかといえばそうでもありません。しかし、読んでくれなかったら効果がないかといえば、そんなことはない。見た瞬間に感覚的に内容をつかんでもらうことができるというグラフィックならではの強みが新聞広告にはあると思うんです。いま新聞広告は、読ませるものから見せるものに変わってきているのかなという感じも持っています。
 一方、テレビCMは15秒という決められた時間の中で、論理的にストーリーをわからせる必要があります。広告を作る側から言うと、新聞広告は一枚の絵でわかってもらえる感覚のメディア、テレビは理詰めのメディアなんです。わかりやすくするために、いろんな工夫が必要になってくる。新聞広告などのグラフィックは、そういう手続きが少ない気がしますね。

ブレない表現の幹を共有

 ──今回に限らず、村田製作所の広告は、ビジュアルやコピーに独特なものが多いと思うのですが。
 村田製作所は、世界有数の電子部品メーカーでオリジナルの技術をたくさん持っています。しかし、その独創的な技術を一般の人に理解させようと思っても、なかなか難しいことなんです。例えば、電子部品のセラミックコンデンサと言われても、ピンとこないですよね。それならば、わからないことをわからないまま広告にしようということなんです。少し不思議なCM世界、それそのものが、村田製作所の独創性を表現する方法だと考えたんですね。

 ──村田製作所の広告は、“わからない広告”を目指している?
 むしろ、“わからせない広告”ですね(笑)。わからせないというのは言いすぎですが、“一般の人には村田製作所の技術といっても抽象的にしかわからないだろうな”ということを受け入れ、それをクライアントと合意しながら広告を作っているということです。

 ──それが20年近くも続いていますね……。
 時々質問されることですが、長く一つの広告を続けていくための明確な方法論があるわけではもちろんありません。僕自身もそれを目的に広告を作ってきたわけではなく、一回一回の目の前の仕事で精いっぱいでした。
 今はクリエイティブディレクターに徹していて、広告によって、コピーライターやCMディレクターが代わるので、表現は毎回少しずつ色合いが違ってきますが、「独創性を出す」という幹の部分が確かならば、基本的に僕は細かい部分に口をはさまないようにしているんです。自分自身を押し付けず、その人のアイデアや表現をなるべく生かしていきたいんですね。
 村田製作所の最初の広告も、一緒にやっていた若いアートディレクターが、当時ニューヨークではやっていたネオンアートからのアイデアで、電光掲示板に「村田製作所はなにをセイサクしているんだろう」というコピーを流すというものだったんです。そのころから表現は変わっても、村田製作所の広告の根本的な部分は変わっていません。「何を製作しているんだろう」という投げかけに答えを示さないという、一番最初に作った表現に着地したとき、その先のビジョンが見えたような気がしたんですね。
 そのころ新宿に、よく飲みに行く店があったんですが、その飲み屋のオヤジさんがなぜか広告の話を始めて、「村田製作所は、何を作ってるんだろうという広告は何を言ってるんだ」と怒っていたんです。もちろん、僕がその広告を作っているなんて知らないで。それを聞いて、こんなに反応があるならシメタと内心思いましたね(笑)。
 答えは出さなくてもいい、それが企業の独自性にもつながるという表現の幹をクライアントと共有できたから、今日まで村田製作所の広告を続けてこれたのだと思います。

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