メディアの進行形 2005.6/vol.8-No.3

メディアの存在を意識させない技術
複雑化と高機能化

 かつて電話の使い方を学ぶということは、複雑な機能を使いこなすことではなく会話マナーを学ぶことだった。それがプッシュホンになりファクス内蔵など高機能化することで、マニュアルなしでは電話を使うことが困難になった。
 携帯電話も若者が中心市場だったため、手のひらサイズに多くの機能が盛り込まれている。小さなボタンで複雑な操作をするために、めがねを外して電話しているオジサンの姿を見かける。老眼や機械の苦手な人にとっては、かなり使いにくいシロモノである。
 というわけで、マニュアルがないことを売りにしたシンプルでボタンが大きな携帯電話が売れている。高機能化競争で置き忘れてきた市場とでもいうか、本来の目的である「会話するための電話」への先祖返りである。会話する点では老若男女、誰でも電話という技術を使いこなしてきた。皮肉な話だが、技術は誰でもが使いこなせて〈高機能〉と呼べるのである。複雑すぎて使いにくいのは本末転倒である。
 電話をかけるとき無意識に相手につなぐことができるのがベスト。さらに会話が弾んだときには電話で話していることさえ忘れている。このとき電話という存在は、利用者から〈透明〉になっている。技術の完成度が高いため存在に気づかないのである。電話は僕らの体の一部となって遠くの人と会話を可能にしてくれる。まさにメディアは身体機能の拡張なのだ。

見える部分と見えない技術

 コンピューターが目指す技術の一つにトランスペアレント(透明)がある。ソフトやハードの存在が利用者から見えない、気づかれない、つまり文字通り透明になっているという意味である。長い歴史を持つメディア技術ほどトランスペアレントしている。たとえば本である。
 普段、本を読むときは意識しないが、読みやすさと組みやすさの両面を実現するために、文字の並べ方にはさまざまなルールがある。白い一枚の紙に版面という仮想の領域を決め、文字の大きさ、行間、行末処理、ルビと数え上げたらきりがない決めごとを詰め込んでいる。
 物語を読むには、文字は自己主張しすぎず、レイアウトが裏に隠れるくらいが好ましい。新人の編集者や校正者が「小説を読んでいても誤植が気になるようになった」と嘆くことがある。物語の前に横たわる文字という存在を意識したからである。小説を読む時、その物語世界に没頭できるのも高度な組版技術が介在しているからである。
 今は新聞も雑誌も書籍も、すべてコンピューターで組版しているが、その技術は活版印刷の登場以来、長い年月をかけて築きあげてきたものである。印刷機で紙にインクが転写されると、紙の上に残るのは文字が伝える世界だけである。

未熟なディスプレー表現
 
 多くの人がディスプレーで文字は読みにくいと感じている。長いeメールをプリントアウトして読んでいる人もいる。読みにくいのは、単に画面が粗かったり光っているからだけではない。完成度の高い印刷組版技術に対し、ディスプレー上の文字表現はかなり未熟な技術である。
 これは同じペーパーメディアであっても新聞、雑誌、書籍によって、表現技術が異なっていることからもわかる。新聞は段組みが導入されていて、タイトルの大きさで記事の重要性が一目でわかるし、短時間で組むことが可能である。その紙に最適化した印刷組版をディスプレーで再現してもナンセンスである。新聞紙面をPDF化してディスプレーで読むことの違和感がそこにある。
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