特集 2004.9/vol.7-No.6

企業にとっての安全と安心
「正しい情報」を伝えるだけでは人は納得しない

 安全・安心に対する人々のホンネはどの辺にあるのか。また、企業にとってのリスクコミュニケーションの意味とは何か。この分野の専門家として、多方面で活躍してきた社会心理学者の吉川肇子氏に聞いた。
 
――社会も個人の生活も安全が脅かされる時代になって、安心に対する関心が高まってきています。
 人がどうすれば安心するのかということに対する答えは、簡単には見つからないと思いますね(笑)。行政にとって一番コストのかからないリスク管理の方法は通報だとよく言われますが、一般の人々にとっては、信頼できる人を見つけて、その人の意見を聞くことです。そういう意味では、人が安心するためには「信頼」はキーになると思います。

――その人や情報源が信用できるか?
 たとえば牛肉に関して、私たちは「安心できない」と大きな声で言うかといえば、特にそういうものではない。やはり、信頼がそういうときには一番近くて、「あそこで売ってるものなら買おう」「あの店の商品は信頼できるから買いましょう」という言い方をする。

――「正しい情報」を伝えるだけでは人は納得しない?
 ただ一方的に正しい知識を身につけよう的な言い方には、反発する人もいます。人によってリスクに対する認識は違うので、「私が知りたいのはそういうことじゃない」ということも多いのではないでしょうか。
 それは企業の人のほうが身にしみていて、お客様ホットラインやコールセンターを作らないと今の企業は立ちゆかなくなっています。それが、国が政策決定のためにリスクコミュニケーションを取り入れ始めた1つの要因だと思います。

リスク情報を共有する

――国が政策決定のためにリスクコミュニケーションを取り入れ始めた背景というのは何でしょう。
 イギリスのサッチャーが、80年代にニュー・パブリック・マネジメントということを言い出して、民間の経営的な視点を取り入れて行政を合理化しようとしましたが、その時に国民をカスタマーとして見るという考え方が出てきました。カスタマーとして見るということは、「お客様の声」を聞くということです。しかし、安心・安全の問題をインフォメーションだと思ってしまうのは、カスタマーではなくスチューデントと思っているからだと思います。
 国民がイヤというものを、合理的だからという理由で無理強いできません。そういうやり方は、パラダイムとしては、やはり古いと思います。

――それでも、リスク情報を開示することには意味がある。
 みんなで情報を共有していたほうが確実にリスク削減はできます。これは危ないと知っていれば、それを回避する行動がとれる。もう1つは、社会全体で共有していれば、何か変だぞと気づく人は増える。企業もそうだと思いますが、同じ個所についての問い合わせが多い時に、それが社内で情報共有できていれば、商品の欠陥にだれかが気づくことができる。そういう意味では、間違いなくリスク情報は共有していたほうがいい。問題は、その手法だと思います。

自己責任と予防原則

――情報公開を前提に、安全を守るのは自己責任という考え方がよく言われるようになりましたが。
 日本も少し前までは、リスク情報なしで安全はプロにおまかせという時代がありました。今の日本は、その次の段階に来ていて、リスク情報を伝えるから、自己責任で情報を判断しなさいという段階です。しかし、EUの場合は、さらに次の段階にすでに入っていると思います。「予防原則」あるいは、「予防的アプローチ」といわれているような考え方がいい例だと思います。

――予防原則というのは?
 自己責任といいながら、たくさんある情報の中でどれを見ていいのかわからない、あるいは情報の意味のわからない人たちは、子供やお年寄りなど一定数います。また、だれもが一様に同じリスクから影響を受けるわけではありません。
 たとえば、妊婦は影響の受け方が大きいから、特別に配慮しなければいけないと考える。それが予防的アプローチ(事前警戒)と呼ばれる考え方です。非自発的なリスク、不確実なリスクについては慎重に考えようという姿勢が出てきています。
 昨年、厚生労働省がメカジキやキンメダイなどに含まれる水銀が胎児に影響を及ぼす恐れがあるので、妊婦に食べないように呼びかけたことがありましたが、これなどは慎重に考える姿勢の表れと思います。ただ、実際は個人個人がキンメダイをどのくらい食べているのかという正確なデータがないところが、むずかしいところだと思います。自己責任というためには、判断すべき情報が正確である必要がありますが、それを確保することは、現実問題としてかなり大変なことと思います。

――アメリカはどうなのでしょう。
 アメリカは、予防原則的な立場を取ったら産業が成り立たなくなるという立場です。
 リスクに対して、EUとアメリカではスタンスが違います。EUは全体としてみると、みんなの意見を聞いて科学をコントロールする考え方のように思われます。しかし、そうすると非常にコストがかかるし、政策決定までに時間がかかるので、それはムダだ。科学的なリスク評価をして、確率がきわめて小さいのであれば、そこに費用を投じるのは現実的ではないと考えるのがアメリカ方式といえるのではないでしょうか。
 第3者的に見れば、どちらがいいとは言えない問題です。遺伝子組み換え食品を例にとってみても、EUとアメリカには対立がありますが、安全・安心問題といいながら、実は経済や貿易が絡んでくるので一筋縄ではいかない面があります。

BSE騒動と消費者心理

――日本にBSEの感染牛が発見された時は、一時パニックになりました。
 評価はいろいろだと思います。日本はパニックになったが、アメリカはならなかったと言われますが、他の国の例と比べて、日本は収束が早いと見る研究者もいます。日本は、だいたい2か月ぐらいで収束しています。

――やはり、全頭検査が国民に安心を与えた?
 全頭検査が良かったのか、単に飽きられたのか、いろいろな原因があると思います。狂牛病でパニックにならなかったからアメリカ人のほうが合理的な国民だという見方をする人もいましたが、一概には言えません。以前にも、リンゴに塗るエーラーという薬品でアメリカでは大パニックが起こっていますし、O157でも大騒ぎをした。食べ物のパニックということでいえば、それぞれの国にこだわる食べ物があって、関心が違うと解釈することも可能です。

――消費者が牛肉の購入を控えましたが、それは当然の心理だったのでしょうか。
 牛肉に限らず、安ければ買うという人たちは一定数いるのではないでしょうか。しかし、そういう人たちでも、騒動の最中はスーパーで牛肉が売ってないので買えなかったということもあったと思います。また、今の流通業はPOSシステムが発達していますから、売れないものは店頭に並ばない。それに加えて、消費者の意向を先回りして流通の人たちが売れないはずだという判断をしてしまったかもしれません。
 今回の騒動の時に、牛肉が安ければ食べてもいいという人も購入を控えたかどうかという検証は、実際にはされていません。それは、慎重に分析する必要があると思います。

――売り手が消費者の気持ちを推察するというのは、やはり日本人の特徴でしょうか。
 どこの国でもそうかもしれません。九九年に遺伝子組み換え食品でイギリスはパニックになりましたが、そのときに、ある小さなスーパーチェーンが、「遺伝子組み換え作物が入った商品を売りません」と言い出した。初めはセインズベリーやセーフウェイといった大きなスーパーは静観していたのですが、結局消費者は小さいスーパーを支持したので、大きなスーパーが後追いせざるを得なくなったという例があります。


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コミュニケーションから生まれる相互理解と信頼―― BSE問題から見えてきた安全と安心の違い
――食品安全委員会リスクコミュニケーション専門調査会座長 徳島大学総合科学部 自然システム学科教授 関澤純氏→


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