特集 2004.3/vol.6-No.12

2004年の新聞広告を展望する

 広告の役割が変われば、その表現も変わる。新しい情報環境の中で、新聞広告はどう変わりつつあるのか。2003年に話題になった新聞広告を振り返りながら、コピーライターの眞木準氏と東海大学文学部広報メディア学科助教授の水島久光氏に、2004年の新聞広告への期待を語ってもらった。
 
薄い空気の中にいる文学

――眞木さんが出版された『一語一絵』を読んで、コピーが豊かな情報を伝えていた時代ということを強く感じました。昨年の同じ対談では、情報デフレが語り始めでしたが……。
 水島 情報デフレは、そのまま続いていますね。最近は、情報感度が高いといわれている人ほど、情報をうわべだけで受け取るようになってきています。だから、情報感度が比較的鈍い人と比べても頭の中に残っている情報は実はあまり変わらない。そういう感じがします。
 眞木 今のコミュニケーションは「多語多絵」と言ったらいいのか、たくさんの言葉と、たくさんの絵が使われているけれど、それぞれの言葉や絵の価値そのものは小さくなっている。そういうところがありますね。芥川賞受賞の最年少コンビが話題になりましたが、その批評がいろいろなところに出ている中で大変感心したのは、「文学はいま薄い空気の中にいる」という話です。
 実の我が子を殺したり、誘拐事件が起きたり、世界では戦争も絶えない。たくさんの人がそこで死んでいる。現実の方が、フィクションの世界よりはるかにドラマチックで、悲惨です。今は現実の世界の方に、濃い空気がある。文学はその現実を超えることをやめて、薄い世界に行ってしまったというんですね。もともと文学は、人の生や死などリアルな人生よりずっと重いことを深く、鋭くえぐるものだった。70年代、80年代の小説にはそういうものがあったと思うのですが、今の文学の状況は希薄な空気の中に存在している。世の中全体も同じで、情報はあふれているが、それが大変薄い存在になっている気がしますね。

Jun Maki
1948年、愛知県生まれ。コピーライター。71年慶応義塾大学経済学部卒業後、博報堂入社。83年にフリーランスとして独立。眞木準企画室を主宰。主な作品に「でっかいどお。 北海道」(ANA)、「恋を何年、休んでますか」(伊勢丹)、「ホンダ買うボーイ」(ホンダ「CR―V」)、「六本人、生まれる」(森ビル「六本木ヒルズ」)など。TCC賞、ADC賞など受賞歴多数。近著に『一語一絵』(宣伝会議)。
眞木  準氏

刺激を薄めて受け止める読者

 水島 今のコミュニケーション環境を考える一つの軸として、「重い・軽い」という軸があります。それに対して、「多い・少ない」という全然別の軸がある。しかし、実際は重さや軽さというところに今の時代を感じる焦点があるはずなのに、情報が量や速度だけで語られて、そこにいかない。
 眞木 その裏には、今の不況や人の気持ちを閉塞させるような現実から、自分を守ろうという防衛本能があると思うんです。やってくる刺激に満ちた情報を「これは大したことないんだ」と自分で薄めて受け止める。今の人には、その防衛本能がよろいのようにあると思いますね。大きな刺激を受けることを無意識に拒否している。新聞広告やテレビコマーシャルを見る場合も、その気持ちがあるという気がします。
 水島 そういう読者、視聴者に対して、最近の広告はどう対処しているかということですが。
 眞木 広告は、もっと高く、鋭い表現をめざすべきなんでしょうけど……。昨年、最も成功したテレビコマーシャルは、サントリーの健康飲料「燃焼系アミノ式」だと思います。さまざまな賞も取っている。しかし、あれだけ刺激に満ちたテレビコマーシャルですら、「おもしろい」という程度の受け止め方しかされない。人間が逆立ちしながら犬を散歩させるような刺激的な映像さえ、受け取る側はわずかな刺激としか受け取らないようにブレーキをかけている。
 一方、もう一つの広告の柱である新聞広告は、刺激という意味では、テレビコマーシャルよりも薄いですから、そのまま時代の空気を映すことになる。それが、いまの新聞広告に出ているように思います。

水島久光氏 Hisamitsu Mizushima
1984年慶応義塾大学経済学部卒業後、旭通信社に入社。98年インフォシークの日本法人設立準備にあわせて旭通信社を退社。99年インフォシーク設立後、編成部長を務める。 2001年東京大学大学院学際情報学府修士課程を経て、2003年4月から東海大学文学部広報メディア学科助教授。2002年度まで(社)日本広告主協会傘下の「Web広告研究会」の事務局を務める。

ポスターとジャーナル

 水島 昨年の新聞広告を振り返って思うのは、印刷の技術がよくなったせいもあるのかもしれませんが、ポスターを見ているような広告が多いことです。それとまったく逆の流れで、一つの言葉に委ねる重さがだんだん薄くなってきたせいか、たくさんの言葉を詰め込んだ広告が一方にはある。
 最近の新聞広告は、ポスター的な広告と、情報を流し込み過ぎと思えるくらいの広告の両極に分かれている気がします。一方にポスターがあり、もう一方にカタログがある。新聞広告なのに、ほかの媒体のクリエイティブ手法が使われている。ただ、その根っこは同じで、今の話のように情報が伝わりにくい状況が反映していると思うのですが。
 眞木 私も、まったく同じことを感じました。昨年の新聞広告を二つのキーワードでまとめると、一つは「ポスター新聞」という流れ。もう一つは、企業のニュースをきちんと伝えているという意味での「ジャーナルアド」。ニュースメディアという新聞の特性を利用した広告が目立ったことです。


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