特集 2003.2/vol.5-No.11

広告にとってデータとは何か
多メディア化と態度情報の重要性

 多メディア化の中で、広告に問われているものは何か。そのメディアを広告媒体として有効に活用するにはどのような視点が必要か。東海大学助教授の水島久光氏は、それぞれのメディアとどう接しているかの態度情報が今後は重要になると言う。
 
 広告は昔は効いたが、今は効かなくなったとよく言われる。本当にそうだろうか。昔にくらべ広告そのものの効果は下がっていないというのが私の考えだ。
 広告効果が下がったように見えるのは、消費意欲が下がっているためと、市場が成熟し、商品の力が相対的に低下したことが原因になっている。しかし、広告関係者でそれをはっきり口にする人は少ない。昔は広告が効いたというのも正しくない。昔は商品の力と消費意欲があったから、広告が後押ししやすかったということだと思う。
 広告効果が下がったように見えるもう1つの原因は、メディア環境の変化だ。消費意欲の減退と同じだが、生活の中にメディアが増え過ぎて、メディアに対する意欲が減退しているところがある。
 最近の調査を見ればわかることだが、1日の中でメディアに接している時間は増えている。おかげでみんな仕事をしなくなり、酒を飲まなくなり、睡眠時間が少なくなり、学生は勉強をしなくなった。しかし、1つ1つのメディアに接触する濃度は確実に薄くなっている。
 情報意欲が旺盛で情報感度の高い人は、インターネットにアクセスし、携帯端末を持ち歩き、BS、CS放送を見て、従来のメディアにも接している。1日の時間は限られているわけだから、きちんとメディアに接することができなくなった。1つ1つのメディアに対する接触の濃度は、必然的に薄くなる。一方で、情報感度が低い人は、ますますすることがなくなって、毎日暇で、ただのんべんだらりとテレビをつけている。そういう人がかえって増えてきている。
 では、ただぼーっとテレビを1日中つけている情報感度の低い人の情報接触の“薄さ”と、あちこち情報を集めたけれども、結局その情報を満足に使いこなせていない情報感度の高い人の情報接触の“薄さ”に違いはあるだろうか。“薄さ”という意味では大して違わないように思う。

データにもリテラシーを

 こうしたメディア環境の変化をとらえるため、さまざまな調査が行われている。メディアが違えば調査方法も違う。また、新しいメディアはその実態を把握するためさまざまな試みが行われている。多メディア化の時代にはデータリテラシーが絶対必要になる。私自身はインターネット畑の人間なので、その具体例をいくつか挙げてみたい。
 インターネットの問題で1番深刻なのは、インターネットユーザー数だ。総務省が発表している数6942万人で、すでに人口の50%を超えている(平成14年「通信利用動向調査」)。実はこの数字は字は、パソコン以外のあらゆる機器(例えば携帯電話など)からの接続を含み、今ではインターネットを使っていない人も含まれている。パソコンだけを見ても、ネットレイティングスの「自宅での月間インターネット利用人口」は、2704万人(4月末時点)だ。ところが、総務省が発表した「自宅その他(会社・学校以外)のパソコンからの利用者」の数字は4585万人になっていて、極めて大きな開きがある。 
 調査法もしっかりしているし、総務省の数字が間違っていると言っているのではない。ただ、どういう数字かわからずに使うのは危険だということだ。つまり、景気よくインターネットを持ち上げようと思えば、総務省の利用経験者数を使えばいい。その時に、6900万人という数字はどういう数字かをきちんと言えばいいだけだ。
 ちなみに、先ほどのネットレイティングスのインターネット利用人口2704万人は、モニターの数から推計した数字だ。これとは別に、「自宅でのインターネット利用可能者数(推定)」という数字が発表されている。これが6051 万人(四月末時点)で総務省の数字に近く、混同している人も多い。しかし、中身はまるで違っていて、利用可能者数というのは同一世帯で1台のPCを共用する可能性がある人数を利用人口に加えたものだ。新聞でいう回読者を含めた読者数と似た数字だ。
 ところが、利用可能者数の前提も最近違ってきている。これまではナローバンドで、インターネットにアクセスする度に、“接続”という行為が行われていたから、PCは常に1人1台とみなしてよかった。ところが、ブロードバンドは常時接続が前提になる。つなぎっぱなしの1台のPCでいちいち切り分けはやらなくなる可能性がある。ナローバンド時代につくった視聴者数の取り方がブロードバンドになったときにそのまま通用するのかという問題が、実はあまり議論されていない。
 もう1つは、インターネットのレイティングで、「Yahoo!のリーチは80数%あります」と発表される数字の解釈だ。これは1か月間に1回でもアクセスしたことのある人が、全インターネットユーザーの中で占める割合だ。根本的にテレビ視聴率のリーチと考え方が違う。インターネットのサイトについて使われているリーチの意味は、1か月間に1回でも特定のテレビ局の番組を見た人の割合にあたる。

情報を受け取るプロセス

 情報を受け取るまでのプロセスも、メディアごとにそれぞれ違う。例えば、新聞を読むためにはまず定期購読契約をしなければならない。朝、ポストまで取りに行かなければいけないし、マンションならエレベーターで下まで降りる必要がある。それから、紙面を広げられるテーブルまで持って行って、座って読む。新聞というのは、そういうプロセス、手続きを踏んで得る情報だ。それが良い悪いということではなく、そういうプロセス、手続きを踏んで得るということには、ある種の態度が表明されているということだ。それと同じことがいろいろなメディアにも言える。
 迷惑メールをスパムメールというが、なぜDMはスパムではなくて、メールはスパムなのか。それも、手続きの違いからくる。自分がプライベートだと思っているメールという領域に情報が踏み込んでくるからスパムになるのであって、いくら自分の個人情報が取られても、ポストからそのままゴミ箱に捨てることのできるDMはスパムとは認識されない。
 こうした情報を受け取るプロセスだけでなく、そのメディアから情報を受け取り始めても、それぞれモードも違う。新聞は面ごとに情報が割り振ってあるが、おそらく面ごとに読む気持ちや態度が違う。1面と商況面とスポーツ面では、朝ごはんと昼ごはんとおやつぐらいに違うはずだ。それが新聞というメディアで、それは他のメディアにはない特性だ。近いものに雑誌があるが、新聞ほどに定型化されていない。

メディアの接し方から見る

 では、それぞれのメディアを知るには、どんなデータが必要なのか。
 まず、メディアのユーザープロフィルについてだが、「消費者の顔が見えるデータ」という言い方をすることがある。商品の所有・非所有程度なら把握可能だろうが、1歩踏み込んで、個人的な行動や性質、キャラクターを知りたいという意味であれば、それを把握することは幻想に近い。
 1人の人間の人格は1つではない。いろいろな人格をもっている。これはインターネットを使っているとすぐわかることだが、極端な話が、いかがわしいサイトを見ている人と、車のサイトを見ている人は同一人物で、だからといって、いかがわしい車の広告を送ったら、その人は拒否反応を起こす。人間もいろいろな人格のパッチワークでできている。では、その人格とは何かというと、その人間の中にしまいこまれたものではなくて、その人間がどういう社会生活を送っているか、環境とどう接しているかというコンテクスト(文脈)の中でしか、その人の性格は表に出てこない。だから、その人間の顔の見えるデータといっても、その人間の中にわれわれには隠されている何かがあると思うこと自体が、実はフィクションだということだ。
 そういう観点で、それぞれのメディアと人々がどういう態度で接しているかという情報が、今後は特に必要になってくると思う。例えば、中華料理は回るテーブルにいろいろ料理が出てきて、それをみんなで取り分けながら食べるが、これは新聞を1面から順番に見ていくのと同じことだ。実は、そういった取り分けや情報のプロトコルがそれぞれのメディアにはあって、接し方はメディアごとに、また人によってまったく異なる。人々は、そのメディアにどういう接し方をしているかという分布をきちんと取っていくことが大事だ。その調査は、古典的な手法でいい。そのときにどういう条件の下に取った調査かというデータリテラシーさえあれば、十分だと思う。
 実は今までメディアデータといえば、いわゆるリーチ・フリークエンシー的な到達データが中心だった。テレビはそれで済んでいた。なぜかというと、テレビは圧倒的な情報量を送りつけるメディアだからだ。だからリーチとフリークエンシーでよかった。ところが、他のメディアは自分から積極的に取りに行かなければいけない。だから態度情報が大切なのだ。
 最近は、テレビも接触態度が実は多様であることが注目され始めている。NHKの放送文化研究所では、テレビの接触態度には積極視聴とながら視聴といった両極だけではなく、いくつかの特徴が組み合わさって「現代的なテレビの見方」が形成されているという調査(2002年10月「テレビ50年」調査)を発表している。

広告という名の記事

 メディアの多チャンネル化は、結局、広告とは何かという問いでもある。いままでの広告媒体の考え方は、空いている枠に広告を入れるという考え方だ。基本的には新聞もテレビもそうだが、結局メーンの情報のすき間に枠をつくって、広告を入れていく。なぜそこにバリューがあるかというと、希少性が高いからだ。少ないから広告枠にはバリューがある。
 ところが、メディアがこれだけ増えて、生活全体がメディアで覆われるようになると、1つ1つのメディアの枠がどのくらい空いているかではなくて、私たちの24時間の中にどういう情報が織り込まれるかのほうが大事になってくる。その媒体がどのくらい読まれているか、その番組の視聴率がどのくらいあるかではなくて、人々の24時間をどういうふうに媒体との接触時間にもってこられるかが大事だということになる。
 そうなった時に、広告の形はどうあるべきか。人々がどういうコンテクストの中でメディアに接しているか。そのコンテクストを想定して広告をつくらないとダメだということだ。
 新聞の記事がビールだとすれば、広告はソーセージの関係になる。つまり、一緒においしく食べられる広告が一番いい広告ということだ。面ごとに情報が分かれている新聞は、こうしたことがやりやすいメディアだと思う。それと一緒に広告主は、広告という名の記事をつくればいいだけだ。ある意味これは広告づくりの原点と言える。その原点にもう1度戻るべき時期に来ているのではないだろうか。

Hisamitsu Mizushima

 1984年慶応義塾大学経済学部卒業後、旭通信社に入社。98年情報検索サービス「インフォシーク」の日本法人設立準備にあわせて旭通信社を退社。99年インフォシーク設立後、編成部長を務める。 2001年東京大学大学院学際情報学府修士課程を経て、2003年4月から東海大学文学部広報メディア学科助教授。2002年度まで(社)日本広告主協会傘下の「Web広告研究会」の事務局を務める。




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