特集 1999.9/vol.2-No.6

新聞とテレビのシナジー効果  商品理解を深めるには新聞、知名率を上げるにはテレビなど、新聞広告とテレビ広告では役割が違うといわれている。しかし、それらが同時に機能するとどうなるかはあまり知られていない。今回の特集では、広告効果を改めて考えるとともに、読売新聞社と電通が共同で行った「新聞広告とテレビCFの相乗効果」の実験結果も報告する。
広告効果と新聞広告の役割
田中 洋(たなか・ひろし)
1951年生まれ。慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。75年に電通入社。電通マーケティング・ディレクターなどを歴任。96年成城大学経済学部助教授を経て、98年法政大学経営学部教授に。共著に『新広告心理』(電通)、『最新ブランド・マネジメント体系』(日経広告研究所)など。


 メディア環境の変化が広告効果を一層わかりにくいものにしている。広告はどのようなプロセスで効いているのか。そこに新聞広告はどうかかわり、また今後どういう役割を果たしていくべきか。最近の研究成果も交え、法政大学経営学部教授田中洋氏に聞く。
 
 広告会社に二十年ほど勤めていたが、先輩やクライアントの方から「広告は売るためにある」とよく聞かされていた。しかし、理論的にはうまく言えなかったが、何か違うのではないかという思いが当時からあった。
 結局、広告の役割は「売れる環境を作ること」だと、今は考えている。

広告はプロセスを管理する

 通信販売の広告などの例外を除けば、広告によって物が直接その場で売れるわけではない。「広告を見た瞬間」と「買いに行く瞬間」とは距離、時間ともに離れている。だから、広告の課題は常にその距離や時間の差をどうやって克服するかにある。
 その一つの方法が、アイドマ(AIDMA)的なアプローチで、商品の知名率や欲求、関心、知識などを測定しようというものだ。要するに「プロセスを管理する」という考え方だ。
 例えば、ボウリングでピンを倒すには「あれを全部倒せ」と最終目標を言ってもだめなわけで、まず「どこに立つか」、「どういう姿勢で投げるか」、あるいはレーンの途中に印があるから「そこを通るように投げろ」と言われる。「どこを通ればピンが倒れるか(商品が売れるか)」がわかっているならそこを管理すればいいというわけだ。
 では、物が売れるまでにどういうプロセスがあるのか。これは大きく三つのモデルに分けられる。また、新聞、テレビといった媒体特性とも密接な関係がある。

直接効果を狙う広告は新聞

 新聞には特定の業種の出稿が多いが、その理由についてはこれまであまり語られてこなかった。新聞に多い「小売り」「書籍」「映画」「通販」「不動産」といった広告の特徴は、新聞を見てすぐアクションを起こさせようとする点だ。「関心のある本が出たから買いに行こう」とか「明日バーゲンセールがあるから百貨店に行ってみよう」など、直接効果を狙った広告が多い。
 言い方を変えれば、市場にある程度お客さんがいることを前提としている広告が新聞には多い。端的な例が尋ね人広告で、「すべて許す 洋帰ってこい」という尋ね人広告にはターゲットが必ず一人だけいる。映画の広告も「こういう映画だったら行く人が必ず出てくるだろう」という前提で打っている。
 だから、直接効果を狙う広告の効果は、広告注目率や媒体のリーチを測ればある程度はわかるということになる。
 広告注目率には、面や広告の大きさも影響を及ぼすが、業種効果もかなり大きい。映画に全然行かない人に映画の広告を見せても反応されないし、水虫でない人に水虫の薬の広告をいくら見せても効かない。
 広告の掲載面効果に関しては、日本の新聞の場合、映画は何曜日のどこの面とか業種で固定されている傾向がある。また、読者の側から見ても一面の下は書籍欄というような長年の習慣がある。そうすると「調査することがいいのか」という基本的な疑問に突き当たる。
 新聞に特定業種の出稿が多いということは、それ以外の業種の広告をいかに取り込むかが新聞社の営業課題ということにもなる。昔からいわゆる「雑品」と言われる業種の取り込みに営業努力が向けられているのはそのためだろう。

低関与商品は知名率がカギ

 スーパーで売っているような食品やトイレタリー商品は、一般に商品に対する関心が低い。消費者が商品を購入するときにあまり気や時間を使わずに買うような商品、価格も安くてしかも日常の購入頻度が高い商品を低関与商品という。こうした商品の広告は覚えてもらうことが大事で、スーパーに行ったときに広告を思い出して、商品を手に取ってもらえるかがカギになる。
 だから、この種の広告は、ターゲットに対してどのぐらいフリークエンシーがあったか――広告への接触回数である程度効果は測れる。
 生産技術が発達して大量生産されると物はパッケージ化される。味噌も昔は樽から量って売られていたが、今はスーパーの棚に並んでいる。アメリカでは異なるメーカーの新車を自由に選べる店舗が出てきているが、生産システムや流通システムが整ってくると世の中はスーパー化、低関与化してくる。必然的に広告はテレビに流れることになる。
 ただ、これでは語りきれない話ももちろんある。その一つが「ブランド広告」だと思う。マクドナルドやコカ・コーラといった成熟商品は多くの場合、広告計画を二つに分けている。一つは「ブランド広告」、もう一つは「商品の販促広告」だ。
 ブランド広告では、例えば「マクドナルドでハンバーガーを買って仲良くなったお父さんと子供」みたいな非常にエモーショナルなブランドとの関係を強める広告を展開する。一方、販促的な広告では「○○バーガー新発売」というような時期的に限られたキャンペーンを展開する。ビッグブランドの場合は、こうした展開が定石になっている。
 だから、新聞の課題として考えるべきことは、低関与商品であってもそういったブランド広告をどうやって取り入れていくかということだ。
 また、「企業広告」も「企業ブランド広告」と置き換えて考えたほうが、より目的が明確になる。ブランド広告は、「理性的」というよりはむしろ消費者との「エモーショナル」な結び付きを強めるために展開されることが多い。IBMの「e―ビジネス」もベネトンの広告もここで言う企業ブランド広告に該当してくると思う。

高関与商品は目的を明確に

 「広告は段階を踏んで効いてくる」という説は昔からあった。AIDAに始まり、AIDMA、AIDCAなどいろいろなモデルが一九六〇年から七〇年代にかけて提唱された。そういう考え方で非常に洗練されたものがコーレイが一九六一年に提唱したダグマー(DAGMAR)で「広告によって求めようとする特定の成果を明確にしない限り、広告の効果を測定することは事実上不可能である」という前提で、広告目標を設定することを重視する。広告目標を未知、認知、理解、確信、行為という測定可能な五つの指標に分けてそれを管理する考え方だ。
 この場合の広告効果測定は、それぞれの段階を追ってやればいいということになる。
 これはなかなかわかりやすいし使いやすいということで、三十八年たった今でも実際に広く使われている。問題は、当てはまる商品の範囲がある程度限られる点だ。例えば缶飲料など低関与商品にはこの理論は当てはまりにくい。
 一般的には、消費者の関心が高く購入頻度が少ない車や住宅といった高関与商品が当てはまると考えられている。
 例えば、車を買うとき、私たちはディーラーにいきなり行って買うのではなく、前もって車の情報を調べ、スタイル、価格、性能、燃費、安全性などをチェックして候補車を絞り、いくつかのディーラーを回って実際に試乗し、ようやく購入する。車よりリスクの高い住宅の場合は、さらに念入りなチェックを行う。
 高関与商品には新聞広告が役立つといわれているが、どの段階にどのような効果が期待できるのか、今後はさらに新聞の役割を明確にする必要があるだろう。

成熟ブランドの広告の役割

 成熟ブランドの場合の広告の役割は、商品に対する興味、関心を新たにしてもらうことだ。例えば「店頭でちょっと手に取ってみようかな」とか、「お店に今度行ってみようかな」とか、直接欲しいというよりは、新たな行動のきっかけ作りが広告の役割になる。最近出たアメリカの論文にも同様の趣旨が発表されている。
 成熟商品の問題は、単純に人々が「飽きる」ことだ。「人間は同じことやっていると飽きる」のが一般的な傾向で、何か自分の興味をかき立ててくれることを求めている。
 たぶん広告の実務家はそのことをわかっているが、これまでは強く主張ができなかった。実務家は、やはり一番最初に言った「広告は売るもの」という広告主の要望にこたえなければならない。しかし、「売るための広告」と「飽きさせない広告」では、結果的に広告の表現や仕組みも違ってくる。成熟ブランドの場合は、興味、関心をかき立てることを目的にすべきだろう。

メディア間の影響の研究を

 駒沢大学の猿山義広氏が「マス媒体で広告をすると、それより小さい媒体に出た情報の読む順番に影響する」という仮説を出している。要するに、インテルのマス広告に接触していると、雑誌に出た二位、三位のCPUメーカーの情報よりも先に読むということだ。例えば、パソコンを購入する人が読む専門的な媒体はあると思うが、それに影響を与えるメディアが別にある。メディア間の影響というのも今後研究してみる必要がある。
 その際重要となるのが、例えば新聞対テレビという対立的なとらえ方ではなく、どういう場合に新聞とテレビを使った方が効果があるかという視点だ。テレビと共通のタレントを新聞に使った場合と使わなかった場合の効果の差はどれくらいなのか。新聞広告に向いているメッセージ内容と向いていないものもあるはずだ。
 アメリカのエデルとケラーが、テレビとラジオの広告効果の研究を発表している(注)。興味を引くのは、テレビCMの後にラジオCMに接すると、消費者はテレビの画面を思い浮かべる。そして、テレビCMに対する批判的な反応が抑えられて情緒的な反応が多くなるという結果だ。
 これと同じように、テレビCMを見てから新聞広告を見るとはどういうことなのか、またその逆はどうなのか、改めて考えてみる必要がある。推測だが、ラジオCMとはまったく違う認知処理が行われているはずだ。だとすれば、新聞も、テレビ広告の内容と新聞広告の内容をどう関連づければより効果が上がるのかという仮説を持つ必要がある。
 また、実験は難しいと思うが、購入までのプロセスにおいて、この二つのメディアがどういう役割を担っているかを明らかにすることもテーマになるだろう。テレビはブランド知名率を急速にあげるには有用だが、購入を決める段階では新聞の方が有用かもしれない。

(注)エデルとケラーの「連動型メディアキャンペーンの情報処理」
Julie A. Edel and Kevin Lane Keller (1989) The information processing of coordinated media campaigns. Journal of Marketing Research, 26(2), pp.149-163


媒体固有の特性を見定める

 メディアの多様化はかなり以前から指摘されている。では、多メディア化すると従来のメディアはどうなるか。非常に役割が限定されてくる、言い換えれば役割が非常にはっきりしてくると思う。
 電報がいい例で、今は「お悔やみ」や「お祝い」などに役割が限定されている。だから、電報のマーケティング戦略は、そういうところでもっと使われるにはどうしたらいいかを考えればいい。
 新聞も他のメディアにはできないことを固めるというふうに考えるのがいい。新聞の役割が限定されるのは良くも悪くもいたしかたない。それは他のメディアにとっても同じことだ。むしろ、他のメディアにはない新聞だけの特性を見定めて、そこを固めるほうがいいのではないか。時代は、自分の役割をはっきりさせて、その中で一番強いものを築いていくというコア・コンピタンスの方向に経営の考え方が変わってきている。

 「売れる」が広告に期待される最終的なステージだが、これまで述べてきたように、そこに至るまでにはいろいろなプロセスがある。
 今後は、業界ごとにこうしたプロセスを明らかにするべきだと思う。それが今までの研究には欠けていた。業界のルールはだいたいみんなわかっているが、それをうまく取り出して、「映画の広告はどうあるべきか」「缶コーヒーの広告はどうあるべきか」など、知識の体系化が必要な時代になってきた。というより、これまでは広告市場が拡大を続けていたので、その必要がなかったというべきかもしれない。
 時折、業界のルールを破った広告の打ち方をして成功する企業があるが、ルールがわかれば、そのルールの破り方もわかる。そういう意味でも、実務家が持っている知恵を、もう一度探る必要があるだろう。




(→新聞広告とテレビCFの相乗効果
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