特集 1999.7/vol.2-No.4

消費者はどこに行ったか マーケティングは最も効果的な企業活動とは何かを追求し、経済学はその寄って立つ経済システムの効率と公正を問う。
バブル崩壊以降、「消費者が見えなくなった」と言われる。消費者はどこに行ったのか。
マーケティング、経済学、二つの視点から現在の消費者をどうとらえるべきかを探る。
マーケティングの視点 消費者は見えていたか 青木幸弘
 マーケティングの研究者は、最近の消費者をどうとらえているのか。従来の消費者調査やライフスタイル論の有効性は。消費者ニーズを問うことの意味は。消費者行動、ブランド論が専門の学習院大学経済学部教授青木幸弘氏に聞く。
 
既存カテゴリーの分析では見えにくくなった消費者

不況で消費者が見えなくなったと言われます。最近の消費者をどう見ていますか?
 この間、マーケティング研究者の集まりである商業学会が岡山商科大学で開催されましたが、ここでも同様の問題が出ました。皆がそこで言ったことは、実は、昔から消費者は見えていなかったのではないか、その当たり前のことが今また当たり前に確認されているのではないかということでした。ただ、見えなくなったという実感は現在のほうが強く、実務家であれ研究者であれ持っています。
 その原因をあえて私なりの論旨で整理すると、こういうことだと思います。従来型の消費者行動の分析やマーケティングは、ある意味で既存のカテゴリーを前提とした分析でした。ところが、最近はそうした閉じた世界の分析だけでは十分ではなくなってきている。むしろ、カテゴリーを変えたり、新しいカテゴリーをつくらないと大きな成果が得られなくなった。
 例えば、以前は自動車というと多くの人がセダンを思い浮かべた。だから、今まではそのセダンというカテゴリーを前提としたマーケティングであり、そのカテゴリーの中の競争だった。範囲が確定されているからコストダウンも図れるし、それに適したチャネル戦略で競争ができた。
 ところが、セダンだけでなくてRVだ、さらにRVを超えて乗物自体が大きく変わっていくとなると、まだよく分からない新しい乗物のカテゴリーに対応して、どんな生産設備やチャネルをつくればいいのか分からなくなってくる。たぶんそういうことが、消費者が分かりにくくなった原因の一つです。
 だとすると、消費者を認識する仕方も一方的なものではだめで、まず企業が製品のコンセプトを確定し提示した上で、それに消費者がどう対応するかを考える。つまり、インタラクティブな対話が重要になってきます。
 私も研究者として、固定的なカテゴリーを前提として、消費者のブランド選択や情報処理の研究をやってきましたが、その中で語れる世界はどんどん小さくなってきている。もちろん、それはそれで重要なことだし、自分がやってきたことを否定するつもりもない。ただ、既存のカテゴリーの中でのブランド選択の分析だけでは、効果的なマーケティングはできなくなってきています。

マーケティングの総決算としてのブランド論

現状を考える過程で、ブランド論も出てきたと思いますが?
 ある広告会社の人と話をしていて、「思いの外、ブランドの議論は長続きしてますね」と言われて戸惑った経験があります。確かにマーケティングや広告の世界は、はやり廃りがある。ブランド研究者や、広告会社の中でもブランド評価システムの開発者やブランド構築に取り組んできた人を別にすると、ややファッション的にとらえている人も少なくはない。
 ブランドに関する議論が、なぜここまで続いたのか、仲間うちで議論したことがあります。一つには不況がある。ブランドを確立している商品の強さは好況期にはあまり見えないが、不況期には見えてくる。
 しかし、本質的には、今語られているブランド論はマーケティング百年の歴史の総決算という側面がある。あるいは、この議論の中からマーケティングが進むべき新しい見方や枠組みが出てくるのではないかという思いが研究者にはある。
 現在のマーケティングは、学問的には今世紀の初頭にアメリカの大学で研究され始めた。実務的には、十九世紀末からいろいろなことが起こり始めて、百年を超える歴史がある。営々として築き上げられてきたマーケティングの仕組みが、本当に今後も通用するか考え直すべき時期になって、いろいろな角度・側面から再検討されるなかで、その議論の一つの焦点がブランドだったということです。
日本では、これまでなぜブランドが重要視されてこなかったのですか?
 アメリカでは十九世紀の終わりに通信網や鉄道網ができ、全国市場が成立する。その全国市場に進出するときにブランドが必要になってくるわけです。ブランディングとパッケージングとアドバタイジングが三位一体化する中で、今日のマーケティングの仕組みができあがってきた。
 見知らぬ消費者に商品を売るときに、「お前のところの商品は何なんだ」ということが問われる。それが今日で言うブランドのアイデンティティーで、それを持ったブランドでないと全国市場に出ていけなかった。さらに、アメリカから出てグローバルに展開する上でもアイデンティティーが必要だった。欧米の企業は、そういうブランドづくりをしてきたわけです。
 日本の企業は、それをせずにこれまで成長できた。ブランドをつくる以上に、コストダウンを図って価格で勝負するとか、チャネルで勝負するとか、新技術で勝負するやり方のほうが同質的な国内市場では有効に機能してきた。しかし、今後どれだけコストダウンや技術革新による新製品を生み出すことが可能なのか。チャネルもインターネットに代表される情報化社会の中でその有り様が変わってくる。今までの日本企業の成功体験、方法論が通用するという保証がなくなってしまった。
 今後も企業が存続し、成長するためには、単に売れるものをつくるだけではなく、それが売れ続けなければいけない。それを保証する仕組みがブランドだということで、もう一回ブランドに帰ってきた。決してブランドだけがマーケティングのすべてではないが、非常に重要な切り口としてブランドがある。
 ブランド論の世界では、ブランディングは単なるネーミングではなくてプロミシング、約束をすることだといいます。ブランドを通して企業がある価値の提供を約束する。それを使った消費者が次の期待をする。そこにブランドを通した企業と顧客との関係性が構築されるわけで、それを関係性マーケティングと呼ぶ人もいれば、ブランドの視点から見ていく者もいる。いずれにしても、売れ続けるための工夫、買い続けてもらうための工夫をどうするかというところに、マーケティングの焦点が来ていると思います。

インタラクティブな関係から見えてくる消費者

企業がまず打つ手を考えるということですが、具体的にはどうすればいいのですか。
バイオ 例えばソニーのバイオが、なぜ成功したのかを考えてみましょう。
 パソコンはこれまで「何でもできる装置」で売られてきた。基本的にはスペックの競争であって、処理速度を上げ、ハードディスクの容量を大きくし、価格を下げていく。そういう競争をしてきた。対してソニーのバイオは、ソニーという企業ブランドが持っているAVの世界における確固たる地位やイメージをうまく使いながら、パソコンを使って動画を編集する、MDを編集する、そのためのパソコンという方向性を明確に出していった。もちろん、デジタルの録音機器やカメラ、インターネットが普及するという市場環境の変化もあった。それをうまくとらえながら、動画やMDの編集に特化していった。だから、それを求めている消費者はついてくる。それが次の商品開発につながり、また評判になる。
 パソコンは何でもできる装置ということを前提にしている限り、消費者は今何を期待しているのかを調べても見えてこない。しかし、パソコンにMDや動画の編集機能を求める人たちがパソコンをどう使うのかという点にフォーカスしていけばある程度は見えてきます。
 もう一つは、消費者は一方的に調べられるために胸襟は開かないということです。やはり、そこには一体の関係が成立することが必要で、そのためには期待を裏切らない商品の継続的な提供が必要になる。使い続ける中から、こういうものがほしい、ここは駄目だと積極的に情報を提供する消費者が出てくる。だが一方的に調べようという姿勢では、たぶん何も分からない。
 繰り返しになりますが、消費者が見えないのは何も今始まったことではなくて、昔からあったことなのだろうと思います。それをその時々で工夫をしながら調べてきたし、分かろうとしてきた。ただ、それが既存のカテゴリーの中で定量的な調査である程度把握できた時代、それは古きよき時代だった。
 今はそれができないとは言いませんが、それで分かる部分は小さくなってきている。重要なことは、固定的なカテゴリーの中で消費者が何を求めて、どう行動するかを調べることだけではなく、新しいカテゴリーの創造のために何を調べなければいけないのかです。それをどういう新しいマーケティングの仕組みの中でやっていくのか。そこで消費者によって求められている点は何かを明確にしていくことが重要です。

日本人にライフスタイル・アプローチは有効か

団塊の世代のような世代やライフスタイルから消費者を見ていく方法については?
 人口統計学的に見て団塊の世代というものはあるわけだし、各年代でいろいろなインパクトを市場や社会に対して与えてきた。それに当然着目しなければいけないし、それはそれでいいと思います。団塊の世代を境に戦後大きく価値観が変わる。家族観や消費の仕方も変わってくる。それにマーケティング的に対応していかなければいけない。また、ライフスタイルというものも存在すると思いますし、ライフスタイルを異にする消費者に対して同じやり方でうまくいくはずはない。
 ただ重要なポイントは、目先の変化のみを語ってはいけないことです。その時々に現れてくる問題に対処するのと、本当の意味でのトレンドと言うか潮流への対応、あるいは長い目で見たマーケティングのあり方とは別だと思います。
 ブランド構築は、そういう中長期的に企業のマーケティングを成り立たせていく軸の部分であって、それを一方でしっかりつかみながら、そのときどきの変化に対応していかなければいけない。その使い分けが、非常に難しい時期に来ていると思います。
商品寿命が短くなった。モノの売り方もスピードアップしてきています。
 あっと言う間に情報が伝播するし、モノをつくる側の企業も情報化された生産システムでフレキシブルに対応できるがゆえに、結果的に商品寿命を縮めてしまっているところがあります。
 音楽のCDも、ほとんどを予約で売ってしまうから、バンと売れて、すぐに需要がなくなる。今の消費者に、パッと飛びついて、パッと離れていく面がないとは言いませんが、売り方の問題でもある。「およげたいやきくん」は三十六週間もヒットチャート百位以内を維持したが、「だんご三兄弟」は二か月余りでブームが去ってしまった。「それくらいにサイクルが短く、変化が激しい。だからもっと早く売っていかなければいけない」と主張されている向きもあります。だが、それは現象の一面しか見ていない。つまり、そういう売り方を売り手が志向している面もあるわけです。
 確かに消費者自身のニーズや購買行動も変化しているが、それだけでそういう現象が起こるのではなくて、サプライサイドの仕組みも変化してきている。それが相乗しながら、ますますスパイラル化をしてきているわけです。
 そのような構造変化を理解しないで、表層的にとらえて、需要のサイクルが短くなってきているから、それにすばやく対応すべきだというのは間違いだと思います。対応することが、本当に社会的にみて望ましいことなのか。企業の経営から考えていいことなのか。一方で長続きするシステムをどこかで持っていなければいけない。それをどう組み合わせていくのか、そういうところに来ていると思います。
改めて伺いますが、ライフスタイルでマーケットを見ていくことは意味がない?
 だれがマーケットをリードしているのかについて慎重に議論すべきだと思います。
 マーケターは、ターゲットは中学生だ、高校生だと言いますが、彼らが自立的に自分たちのジャイロスコープを持って行動しているのか疑問です。ジャイロスコープとか、ある価値観を持っている人間に対しては、きちんとそれを見てマーケティングも合わせていかなければいけない。でも、それを持っていない人間に合わせるとはいったいどういうことなのか。彼ら自身が企業に踊らされている部分があるわけで、その踊らされている人間に踊らされるという、不可思議な状態に陥ってしまう。
 また、日本人の場合は、欧米のようにきちんと消費の仕方も明確に規定できるような、他人とは異なった価値観を持って、他人に影響されないで生活をしていく国民性ではない気がします。もちろん、ライフスタイルをまったく持っていないのではなくて、「それ的なもの」は持っている。
 ライフスタイル・アプローチの調査では、必ず何々派、何々志向と名前をつけます。私は、このネーミングの仕方が間違っていると思っている。日本の消費者の場合、自然志向はない。あるのは“自然志向”志向です。自然志向を志向する消費者がいるのであって、自分の生活が不便でも環境に負荷をかけない生活や消費をするという価値観を貫いて生活をしてる人はほとんどいない。今のトレンドは自然かなとか、環境のことを考えなければいけないからという周囲の傾向に対して同調する。そういう消費者です。
 だから、本来のトレンドや需要を明確に見極めて、それを追いかけていくのではなくて、「これがはやりかな」という感覚でマーケティングや広告をやっている人が多いのではないかと思います。

企業が余儀なくされる内と外の“異人”との戦い

消費者を直接つかまえにくい時代。では、どうしたらつかまえられますか。
 ある意味では、ブランドを通して初めて消費者が見えてくるのだと思います。こういうブランドをつくっていこうという意思表明の中で、初めてそれにこたえてくれる消費者の姿が見えてくる。 
 企業も同じで、百貨店やスーパーマーケットという業態も初めは新しい小売りのビジョンがあった。ビジネスのスタイルやコンセプトが明確であったから、それにこたえてくれる消費者が見えた。それが不明確になっていく中で消費者が見えなくなり、凋落する企業が出てきた。ビジネスの方向性やビジョン、コンセプトを失う中でだれがお客さんなのかが分からなくなったということだ思うのです。
 日本の企業も、かつては全国市場が成立するなかでブランドづくりをしてきたが、この十年、二十年は、身内の中でのビジネスで、消費者の流行に寄りかかって、外と戦える武器づくり、ブランドづくりを避けてきた。
 変なたとえ話ですが、徳川二百数十年の太平の世に酔いしれた日本の武士階層は戦い方を忘れ、武器づくりを怠った。これでは何百年も戦争を繰り返してきた欧米列強と戦いになるはずがない。それと同じようなことが、今日本の企業、マーケティングの世界でも起こっているような気がします。
 もう一つは内なる異人、若い人たちへの対応です。今までの旧世代には有名な会社の商品だから買うという行動があったが、内なる異人にはそれは通用しづらくなっている。
 世界市場の外なる異人に対して、お前は何者だと言われたときに「こういう自動車です。こういう化粧品です」と語っていくのと同じように、若い人たちに対しても自らを語っていかなければいけない。これから日本の企業はこの内外の戦いを余儀なくされると思います。



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