特集 1999.6/vol.2-No.3

 新聞広告を新しい視点から見直す動きが始まっている。一つは、新聞広告をコミュニケーション機能からとらえ直そうという動き、もう一つは、明確な広告目標のもとに新聞広告の効果を確認する動きが企業に出てきたことだ。テレビのGRP神話に代表されるように、媒体選択には多くの先入観が存在する。広告の効果・効率を求める声とメディア環境の変化が、従来の媒体選択とその効果の見直しを求めている。
コミュニケーション機能からの新聞再認識 早稲田大学商学部教授/日本広告学会会長 亀井昭宏
 
 広告主や広告会社などの関係者は新聞広告を、マスメディアとして一くくりにして位置付けている。ラジオを別にすれば、マスメディアの中でテレビ、新聞、雑誌は、それぞれオーバーラップする領域を非常に大きく持っていることは事実だ。その一方で、新聞は新聞独自のコミュニケーション機能を持っている。私は、なぜその部分が評価されないのかといつも不思議に思っている。

新聞が持つ心理的機能

 新聞広告の効果を再認識するための具体的な指標化が行われないと、言い換えれば到達レベルでの効果を前提にしている限り、新聞広告の効果はテレビCMのサブ的な位置に置かれ続けるだろう。
 テレビCMと同じ土俵の上で、新しいことを知ることや、面白さ、楽しさだけを広告の評価のポイントに置いていたのでは、新聞広告はマスメディア広告の中で独自の地位を築けない。データの部分でも、販売部数や面別接触率、広告注目率といったレベルから、できるだけ早く脱却すべきだというのが、私の持論だ。
 新聞広告が飛躍するためには、読者が新聞をなぜ読むのか、あるいは読むことによって得られた情報や報道内容についてどんな心理的処理を行っているのか、という原点まで立ち返る必要がある。その観点から新聞の特徴を見直すと、五つの心理的機能が見えてくる。

(1)未知の情報の獲得
 新聞はテレビやラジオ、雑誌など他のマスメディアと同様に新しい未知の情報を獲得できる。

(2)既知の情報の再確認・共感
 すでに持っている情報を再確認したり、その内容に共感したりできることもまた、新聞の大きな特徴だ。情報は断片的なものであったり体系的なものであったりするが、情報の価値は時代とともに絶えず変わっていくから、その情報が現在でも通用するかどうかを確認するのに活字情報は非常に効果がある。

(3)情報の自己体系化
 新聞は、断片化し、散乱した情報を一貫した情報として整備し、体系化する。テレビコマーシャルの場合は、視聴者がその広告を断片的に享受するだけだが、新聞広告の場合は、そこで立ち止まって、その商品や企業情報を軸に自分の思考を発展させていく動機づけに非常に大きな効果を持っていると思う。電波媒体の広告は受動的であり、一過性なのでそれが難しい。

(4)生活行動基準の強化
 新聞広告を見ることによって一定の判断評価、それも体系立った組織的な生活行動基準が形成され強化される。あるいは、自分が持っていたものに代替させる価値があるかどうかの再確認をしていくことができる。ライフスタイル広告や意見広告なども、この例に入るだろう。

(5)ウィズダムの形成
 単なる知識としてのナレッジ(knowledge)ではなく、生活の英知、知恵としてのウィズダム(wisdom)を形成していくのは、活字情報の非常に重要な働きだ。四媒体の中で、ある一定の基準に合った読者をマスで確保できているのは新聞だけだ。それを支えているのが宅配制度だ。新聞を定期購読するということは、読者側にもその新聞が持っている価値基準を受け入れる一定の基準があるということだ。だから、基本的に新聞広告も読者の一定の価値基準に合う広告を提示することが最大の効果を挙げるのではないか。

新聞の五つの心理的機能 以上の五点を挙げたが、改めて言うと、新聞のメーンとなる価値は、テレビあるいはラジオの持つ娯楽や楽しさとは違ったところにある。電波媒体のコマーシャルは断片的で、思考回路が体系的にその情報を発展させていくための動機づけにならない。そういう意味で、テレビやラジオが直感的な評価を促進していくのに対して、新聞は論理的、体系的、網羅的な生活行動基準というものを形成促進していく機能がある。
 もちろん、四媒体にはそれぞれ共通する機能がある。その共通するものから飛び出した新聞独自のコミュニケーション機能を明確に把握した上で新聞広告の持つポジションを浮き彫りにする新たな新聞広告の開発を行わないと、現状維持は可能だとしても発展性はないだろう。

新聞広告のこれからの展開

 新聞広告は今、絶え間ない変化のプロセスにあるが、これまで述べた新聞広告独自のコミュニケーション機能を前提にすると、いくつかの具体策が見えてくる。新聞社や広告主の中には、戦略としてすでに実行し始めているところも現れている。

大型化、シリーズ化
 新聞広告の機能の必然として一層大型化、シリーズ化してくると思う。体系的な思考を刺激したいと考えるなら、そのための必要最低限の情報量を読者が入手できるような形で商品情報や企業情報を繰り返し、あるいは継続的に提示していく必要がある。新聞広告の大きな特徴は、全ページなどの大型広告で非常にインパクトのあるものを打ち出していけることだ。

広報的な訴求
 新聞でも、ダイレクト・レスポンスあるいは直接的な商品の販売に結びつけるというような効果が機能としてはあるし、相応の効果を挙げている。しかし、業種によっては、新聞の質的作用を強調していわゆるウィズダムを形成していく形の広告を目指せば、広報的な訴求が新聞広告の大きな部分を占めていくはずだ。

媒体ミックスのかなめとして
 テレビ、ラジオ、雑誌の特徴を生かしながら、それと連動して新聞広告を展開する。その際に、新聞広告が媒体ミックスのかなめとして中心的な役割を果たすようなポジションを明確に意識した広告づくりが必要だ。なぜなら、さまざまな方向に発信された情報を体系的に再確認できるのは新聞以外にないからだ。

グローバル広告主の開拓
 いきなり電波媒体にファミリアリティー(familiarity)のないグローバルな広告主が登場しても基本的にコミュニケーション効率が落ちる。そこで、新聞の持つニュース価値・信頼性を重視する形での媒体選択があるだろうから、グローバル企業による新聞広告出稿の可能性は高い。こうした広告主を開拓しなければならない。

社会広告の開拓
 企業が単体で公共広告的なものを打つと一種の社会広告となる。それは直接的な営利には結びつかないが、企業が社会的公器としての部分をより前面に出した訴求であって、継続して提示することにより、読者のその企業に対する評価の断片的な知識や情報が次第に膨らんでいく。

ブランドとリレーションシップ

 ブランド広告と新聞広告の関係は、ブランドを受け入れるための評価基準の形成という形で展開されるようになると思う。 
 しかし、日本の広告主はせっかく築き上げたブランド資産を自ら殺していくブランドキラーの役割を果たしているのではないかとよく言われる。それは、日本の広告主には広告は専門職という意識が確立していなくて、人事ローテーションの中で、ある日、製造部門や人事部門担当者が広告宣伝部の責任者になったり、担当役員になったりするからだ。そのため、前任者のやったことを否定し、それまで築き上げたものを次から次へと殺していくことになる。
 だが、最近、ブランド資産についての意識が変わってきつつある。ブランド認知やブランドイメージを、常に新しい何かの手だてによって膨らませていかなければならないという意識が浸透してきたからだ。広告戦略の中心にテレビを置いている限り、従来のパターンから脱却するのは非常に難しい。そういう意味で、企業イメージやブランドイメージ、ブランド資産を育てていく時に基軸になり得るのは新聞だ。その場合、すでに述べたように、新聞広告では一回の訴求で終わるのではなく、本来伝えなければならないことを何回かに分けて読者自身の基準や情報体系を形成していくのに役立つ形で流しつづけていくことが非常に重要になってくる。
 リレーションマーケティングの枠組みで新聞広告を見ていくと、消費者の生活行動基準は企業に対するリレーションシップにほかならない。そこでは評価する枠組みだけではなく、同時に対象との関連で生活行動基準が形成される。基準の中では対象企業なり対象商品がどこに位置づけられるかが必ず絡み合ってくる。いったん形成されて、もし良好な位置付けにあればそれでいいが、悪ければ広告も商品も企業活動によって変えていくことが必要となる。維持されるとすれば、その関係を保ち続けるための最低限の情報が不可欠で、情報を流しコミュニケーションを持続することによってそれが確保される。

新聞広告の質的指標

 広告情報を受け入れる前提となる心理的な枠組みや心理的な基盤の形成を一切無視して短期的に効果を狙っていくなら、テレビのほうが圧倒的に強いことは事実だ。しかし、新聞の持つ枠組みやメッセージ内容ははるかに信頼性があると受け入れられているので、メッセージの評価基準はテレビとは違う。それなのに、両者は同じレベルで競い合ってきた。これには正しい部分と間違っている部分があり、従来、あまりにも間違っている部分が強調され過ぎてきたのだ。つまり、四媒体の質的差異を十分に踏まえ、またそれを浮き彫りにするような調査ではなくて、一律に評価する形で到達のレベルだけに注目してきた。それは新聞広告にとって不幸なことだったといえる。
 新聞広告業界も、到達レベルの情報開発ではなく、いわゆるコミュニケーションの質についての効果を具体的に指標化するような努力をしていく必要がある。そうすると、全国紙に有利で、地方紙には生き残る道がないという議論につながりやすいが、そんなことはない。規模の大小にかかわりない質的差異の部分があるからだ。もちろん一千万部以上の部数を持つ全国紙の量的な強みもあるが、地方紙はそのローカルであるがゆえに浮かび上がってくる質的特徴や強みがあり、結果的にはそれをお互いに認め合う形になるだろう。
 だから、同じ効果の調査でも心理学的なアプローチが必要となる。例えばこれはアーチャーのシステムの利用だが、広告で接した商品についてだれかと「話したくなる・ならない」、あるいは、その情報内容について「自分の思っていた情報と一致していると評価する・しない」か、違った情報なら「それを受け入れたい・拒否したい」かなど具体的項目が必要だ。新しい知識によって、自分や自分の思考がどう変わりどう補足されたのかということも不可欠だろう。
 つまり、従来のように、広告が商品購買にすぐにつながるかどうかという形だけだと、新聞広告の本当の効果の測定にはならないだろう。新聞広告の訴求ポイントは、そういう心理的な枠組みが評価の基準となるべきで、逆にそれを形成していく部分が浮き彫りにされない限り、「新聞広告は効果がない」と言い続けられると思う。
 また、短期的な広告戦略と長期的な広告戦略を使い分けるという考え方も出てくるだろう。短期的な広告戦略としては新聞の持つデイリーな報道という部分も非常に重要な要素として否定できない。しかし、毎日朝刊と夕刊が発行されているからという側面だけから、本来長期的な効果を発揮すべき広告も同じように効果測定をしているが、今後は評価基準は短期と長期の二つの体系に分けて考えなくてはいけないと思う。

新聞と広告の今後

 締めくくりに、新聞と広告の今後についてこれまで述べた以外のことを項目別に言及してみたい。
(1)メディア・バイイング
 広告のコスト効率が問われる中で一つ出てきたのがメディア・バイイング・サービスだ。メディア販売だけを専門にして他のサービスを一切やらない広告会社が日本でも増えてくると思う。グローバル企業の戦略の一端を担う広告会社の登場もその問題に拍車をかけている。
 インターネット広告だけを扱う小規模の広告会社も出てきている。そういう意味で今、従来、メディア寄りだった広告会社も生き残りをかけて模索している。
(2)横断的効果尺度の開発
 新聞は、全国紙、地方紙にかかわらず相互に比較できるような統一された効果尺度体系を開発していくのが課題だ。この普及が、新聞広告の今後の位置づけにとって非常に重要な要因になるだろう。
(3)電子新聞との相互補完
 新聞と電子新聞とは互いに補完し合いながら、すみ分けするだろう。オンラインのデジタル新聞は、広告もコマーシャル化の方向をたどるだろう。そうなると、デジタル新聞はテレビと新聞の中間的な位置づけになっていく。一方、一定の新聞読者の中に電子新聞を利用できない、しない層が必ず残る。この層に対しては、現在の新聞の宅配は最後まで維持される必要がある。いずれにしろ、新聞の広告媒体としての存在意義が電子新聞との関係において鮮明になってくるだろう。そこで、相互補完を意識した新聞広告の出稿も戦略としてあり得る。
(4)広告取引のデジタル化
 電子送稿の問題と新聞広告取引のEDI化は時代の趨勢(すうせい)だ。EDIは新聞広告の持つ本質的な機能をさらに発揮させる促進要因だと思っている。物理的な制約から新聞の持つ本来の機能が発揮できなかった部分がこれによって解消されるメリットはは非常に大きい。



(→プリント媒体だけを使ったブランド広告の試み
(→広告主の現場と新聞広告―JAA広告論文に見る新聞の効果と課題―
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