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コラム広告日和

(Thu Jun 05 15:45:00 JST 2014/2014年6・7月号 広告日和)

腕時計をなくした喪失感を書いていたらアイデアの考案と似ていた
澤本嘉光 電通 CDC エグゼクティブ・クリエーティブディレクター/CMプランナー

  腕時計をなくした。もう10年以上前に購入した、当時の僕の立場にしては高額だったがその障害を乗り越えてでも手に入れたかった腕時計だ。そいつは、ある日、こつ然と僕の前から姿を消した。

  探し物のヘタクソな僕にしては珍しいくらい真剣に家の中を隅から隅まで探し尽くし、数日前からたどった道や訪ねた場所をたどり尽くし訪ね尽くした。タクシー会社にも鉄道会社にもすべて可能性のある所は連絡して行方を探した。見つからない。不安が募る。
  数日が経った。映画「プリズナーズ」ではヒュー・ジャックマンが、行方不明になった子どもの発見は1週間を過ぎると確率が愕然(がくぜん)とするくらいに落ちる、と言っていた。もうすぐ1週間。仕事にも気が入らないくらいに時計があるかも知れない場所の可能性を考えた。しばらくおみくじは引かなかった。失せものが「出ず」とでもなったらしばらく立ち直れない。
  この気持ちをどうにか落ち着かせようとすると、胸の中にたまった思いを外に出すしかない。出し方は、2つある。声として気持ちを外に出すか、文字として外に出すか。「どこにいるんだ!」と声にして叫ぶのはさすがに家の中、街の中だと気持ちが悪い。内心はそれくらい気持ちの悪い人間になっているのは確かなのだけれど、それを証明してしまうのには抵抗がある。そこで、twitterにいまの腕時計についての気持ちをあげてみようかと考えた。なるべく多くの人に気持ちをさらすことで、何かしらの救いをもらえそうな気がしたから。たぶん、tweetする時って何にせよ少なからずそういう気持ちが働いている気がする、僕の場合。よし、打ってやろう、腕時計への不安を。
  僕が少しだけ成長したとすれば、そう思ってもいきなり打ち込んで送信ボタンを押してtweetしたりしないでいられるようになったことだ。過去に酔っぱらってのtweetで恥ずかしい目に遭ったことが何度もある。そこで、事前に、仮にこの気持ちを文字にするとどういう文章になるのかをwordで打って確認してみた。次々と溜(た)め込んだ気持ちは文字にできる。
  「いなくなって初めてどれだけ必要だったのかがわかったよ」「いるはずの場所にいない、ということがこんなに不安だなんて」「1か月前の僕の写真をスマホで見かえしてみる。そこには確かに写っている」「つい癖で、ふといなくなった左手を眺めてしまう。そしてそこにないということを否応(いやおう)無く確認させられる」「あの日に戻ってやり直したい、戻れないとはわかっていても」「代わりを探してみた、でも、やっぱり何か違ってるんだ」……これ、もう振られた男の引きずってる気持ちと同じだ。槇原敬之の歌詞みたいな言葉がポンポン出てくる。「いつもより眺めがいい左にちょっと戸惑ってるよ」って、まんまだし。

  書き出してみて客観視したら、これ、まんまtweetしたら大失恋でもしたかのように誤解されるとわかって、そのtweet自体は中止した。本当はtweetしたって何の解決にもならないし。唯一の収穫として、この行為を通じて腕時計の喪失感は恋愛の喪失感とほぼ同質のものだということがわかった。
  で、やってみた。何を失ったら腕時計のようにまるで失恋のように擬人化した表現で書けるのかを。車、トイレットペーパー、靴、カバン、メガネ、ハサミ、ひげ剃(そ)り、ドライヤー。強引に結びつけてみる。差はあるけれど、書けないものは無い。そして、意外とものすごくうまく行ったりする。トイレットペーパーだって、「無くなって初めていま事の重大さに気がついて、今僕は立ち上がれない」「予感はしていた、でも、こんなに早くその日が来るなんて」「君の感触を感じられないという恐怖」。ほら、立派な失恋になるし、意外とうまく結びついてる気もする。ここまでうまく行くなんて書く前は思っていない、やっているうちに偶然うまくはまるピースを見つける。とにかく、検証の繰り返し。
  この、ルールを決めての「言葉開発ごっこ」は、考えてみればふだん何げなくやっているコピーを考える作業にずいぶんと似ている。「失恋」「擬人化」のような、何かしらのルールの元に幾つもの言葉の組み合わせを試しては検証し、少しでもいいものを残してダメなものは切り捨てて行く。偶然、ものすごくうまくハマる言葉が出てくれば、それはきっといい芽になる。計算で出てくるより、偶然で出てくる時にハマったものの方が力は強い。でも、その偶然は、ある種の計算の元に導き出そうとする、ということだ。
  コピーだけじゃない、アイデアを考えるのもほぼ同じ作業なのだと思う。結果を左右するのは、たとえば今回で言えば「何」を喪失したと設定すればうまく行くのか、その、「何」を選んで行く直感だ。それは繰り返しこういう作業をするうちに、いつのまにか距離感として身に付いて行くものだと思っている。
  僕の腕時計は、数日後に、普通に引き出しの中から唐突に現れた。それについてまた短文を擬人化して書けば、まるでよりを戻したかのような文章が並ぶのだろう。ただ、不思議なもので、不安は言葉にして解消しようと思うけど、喜びはそんな気持ちにはならないものらしいのだけれど。

〔筆者プロフィル〕

1966年、長崎市生まれ。1990年、東京大学文学部国文科卒業、電通に入社。ソフトバンクモバイル「ホワイト家族」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、中央酪農会議「牛乳に相談だ」、家庭教師のトライ「ハイジ」、トヨタ自動車「ドラえもん」、読売新聞など、次々と話題のテレビCMを制作している。著書に小説「おとうさんは同級生」、小説「犬と私の10の約束」(ペンネーム=サイトウアカリ)。前者は読売新聞会員制サービスyorimoの連載を単行本化。後者の映画脚本も執筆。2014年1月に公開された映画「ジャッジ!」の脚本も担当。クリエイター・オブ・ザ・イヤー(2000年、06年、08年)、カンヌ国際広告祭賞、ADFEST(アジア太平洋広告祭)グランプリ、クリオ賞、TCC賞グランプリ、ACCグランプリなど、受賞多数。数多くの海外の広告賞の審査員も歴任。