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特集悪口はイノベーションの母!

(2014.6.5/2014年6・7月号 特集)

ものづくりの哲学が生んだ「悪口会議」
ダイヤ精機   代表取締役社長   諏訪 貴子 氏

諏訪 貴子 氏

中小企業の集積地として知られる東京・大田区で半世紀近く、自動車部品用ゲージを製作するダイヤ精機。二代目・諏訪貴子社長が、父の急逝でその会社を継いだのは32歳の時だ。その時始めたのが、社長と会社の悪口を自由に言っていいという「悪口会議」だった。突飛(とっぴ)な発想に思えるが、そこには、悪口までも業務改善と社員のやる気に変えてしまう日本のものづくり哲学があった。

若手社員のやる気、社内の一体感を引き出すべく始めた「悪口会議」

──32歳で会社を継いだ後、始めた会議が悪口会議と聞いていますが、どういう会議なのでしょう。

  悪口会議というのは通称で、「若手の会」というのが正式名称です。2004年4月に会社を継いで、まず取り組んだのが、厳しい事業環境の変化に対応するための「3年改革」でした。“悪口会議”は、その一環として始めたものです。
  それまで社内会議としては「全体会議」が先代の時代からあったのですが、そこで「意見を出してください」と言っても、積極的な意見がほとんど出てこなかったのです。そこで社員が発言しやすい環境を作ろうということで行ったのが、会議の細分化です。部門に関係なく、年代別に「若手の会」「中堅の会」「職人の会」というクロス・ファンクショナル・チーム(注)を作り、チームごとにリーダーを決め、私が参加しない会議を月1回開くようにしたのです。それまでは先代のセンスで経営されていた会社でしたが、それをボトムアップ型、問題集約型の組織にしていこうという意図もあったのです。
  ところが「若手の会」から、「何を話していいかわからない」という声が上がってきた。それで、〈悪口でも何でも、自分の好きな意見を言ってほしい。会議のテーマもその都度決めていい。ただし、会社の時間を使うのだから、必ず一つは結論を出し、それを私に報告する〉、「若手の会」をそういう会議にしようということにしたのです。だから、悪口というのは「例えば」の一つだったのです。ただし、悪口を言う場合は私と会社の悪口に限定した。それが「悪口会議」の始まりだったんですね。

注)クロス・ファンクショナル・チーム(Cross Functional Team)とは、全社的な経営課題を解決するために、部署や役職にとらわれず必要な人材を集めて構成されるチームのこと。通常は一時的なプロジェクト形式で編成されるが、正式部署として定常的に設置される場合もある。

ダイヤ精機の主力製品の一つ、穴内径測定用の限界ゲージ。左右の栓の寸法が1ミクロン単位で異なり、部品の穴に「通り栓」が入り、「止まり栓」が入らなければ規格通りとなる。3週間かけて作られ、10年以上修業した熟練工の手仕事で仕上げられる。

──悪口の対象を社長と会社に限定したのは、なぜですか。

  人がなぜ誰かの悪口を言うかというと、集団生活をする人間にとって悪口は共通認識になるからです。つまり、悪口を社員同士で言い合えば組織が壊れてしまいますが、社員とは違う立場にある私と会社に対する悪口だったら社員の結束に役立つ。だったら、私が悪者になろう。さらにそれが作業の改善に繋(つな)がるのであれば、それは願ったりかなったり。そう考えました。

──結果はどうだったのですか。

  拍子抜けでした。私に対する悪口がたくさん上がってくるかと思っていたら、出てきたのは「工場のガラスが割れたままだ」「作業でかがむので腰が痛い」というような、細かいことばかりでした。しかし、細かいことでも改善すると作業効率は上がるんですね。

──作業改善の具体例としては、どんなことがあったのでしょうか。

  「作業でかがむので腰が痛い」というのは、部品を研磨するとき、それまでは立って腰をかがめながらやっていたのです。ベテランの職人さんにその理由を尋ねると、「昔からそうだから」という答えでした。合理的な理由がないのに、そうすることが当たり前になっていたのです。ところが、これまでのやり方に染まっていない若い人たちの目には、それが不合理に見えた。それで、ベテランに椅子を用意して、座りながら研磨の作業をしてもらったところ、「これは楽でいい」と驚くほど素直に納得してもらえたのです。そういう風に、大事なのは会議で上がってきた些細(ささい)な問題や改善案にも会社がすぐ応えることです。そうした積み重ねが、会社全体としての作業効率を上げていくだけでなく、社員のモチベーションを上げ、若手でも意見を言いやすい雰囲気を社内に作っていくことになるのです。

社員のモチベーションを上げるのはわかりやすい言葉

──悪口会議は、製造業で行われているカイゼン活動の一環だったということですか。

  まさにそうで、中小企業では「今から問題点の抽出と改善策を議論してください」と社員に言っても意見が出てきません。だから、それを社員にわかりやすい言葉にしたものが「悪口会議」だったのです。大事なのは、自分の考えていることを、人が動く、わかりやすい言葉にしてどう伝えるかなんですね。
  3年改革の後、人材確保と育成に力を入れ、その一環として東京商工会議所が主催する「勇気ある経営大賞」に応募しました。その時、社員のモチベーションを上げるために使った言葉も、難しい趣旨説明ではなく、「賞金でトイレを直すぞ」でした(笑)。

──「勇気ある経営大賞」というのは?

  東京商工会議所が毎年実施している革新的な技術や経営に挑戦している中小企業を顕彰する賞で、大賞に200万円、優秀賞に50万円の賞金が出ます。昨年の「第10回勇気ある経営大賞」に応募し、優秀賞を受賞しました。私自身の中には〈自動車産業がグローバル化して今後自動車メーカー向けの金型やゲージ製作だけでは生き残っていけない。新しい分野に挑戦するためには人材確保が必要で、そのための会社の宣伝活動のために「勇気ある経営大賞」を受賞する〉というストーリーがあったのですが、それをそのまま社員に言っても伝わらないし、モチベーションも上がらない。だから、「トイレを直すぞ」なんです。

──諏訪さんが会社を継いだ時は専業主婦だったと聞いていますが。

  その時は専業主婦だったのですが、実は私には早逝した兄がいて、その兄の代わりに会社の二代目として育てられてきたのです。だから、大学も工学部しか行かせてもらえなかったし、卒業後も大手自動車部品メーカーのエンジニアとして2年間勤務しています。それからダイヤ精機に入社するのですが、父から2度リストラされているんですね。自動車部品メーカーで学んだことを生かしてほしいというので、会社の経営分析をした結果、「不採算部門のリストラしかない」という結論に達したのですが、それを父親に進言したら自分がリストラされたのです(笑)。そして、結婚して息子が生まれ、「二代目はその息子に」という話になったのですが、アメリカに転勤が決まった夫についていく直前、父が急逝したのです。

──ドラマチック過ぎる話ですが、そういう経歴だと社長就任もスムーズにいったのでしょうか。

  逆です。社長に就任してすぐ不採算部門をリストラし、社員全員から猛反発されました。社員に請われて社長になったのですが、社長の椅子に象徴として座っていてくれればいい、誰も経営してくれなんてお願いしていないというのが、社員たちの気持ちだったのです。それが就任早々リストラはやるわ、3年改革を言い出すわで、悪口どころではなく、大喧嘩になりました。

──その危機をどう乗り越えたのでしょうか。

  大手企業では教育する・されるというのは当たり前なのですが、中小企業では教育されることがまずありません。それを実感してもらうことから始めました。例えば、整理整頓の意味について、〈整理=いるものといらないものを分けていらないものを捨てること。整頓=いるものを使いやすく並べること。〉この意味をちゃんと知った上で行動に移すと、その行動に差が出るのです。社員にこの整理整頓の意味を教えた後、いますぐ現場に行って、いらないものすべてにテープを貼ってくださいと言いました。1か月後、4トントラックを呼び、荷台いっぱいのいらないものを捨てました。すると、通路が広くなり、工具を探す時間も短くなったのです。そういうことで教育の効果を実感してもらい、ジェネラリストとスペシャリストの役割の違いを認識してもらっていったのです。
  そうして社員の信頼を得て、3年改革が進み始めた頃には、逆に社内に一体感が生まれてきました。というのも、私が製造業には珍しい女性経営者で、当時は世の中にまったく評価されていなかったからです。「あの会社は潰れる、ダメになる」と言われていたので、逆に「負けてたまるか」みたいな気持ちが社員全員に生まれたのだと思います。

改革を可能にするのは調査・分析・計画に裏打ちされた「先読み」

──ところで、今思い返して不採算部門をリストラしたのは正しかったと思いますか。

  やらなければならなかったつらい決断でしたが、今なら父の気持ちもわかります。リストラをするのであれば、まず身内からということだったと思いますし、できればリストラはしたくなかった。したくないから、売り上げを伸ばすことを常に先を読んで必死に考える。きっとあの時の先代も、そう思ったに違いないと思います。売り上げを伸ばすためには、経営者は「先読み」ができることが重要です。「先読み」というのは、分析と調査と計画に基づく予測と方向づけです。

──それが3年改革ということですか。

  それに続く、人材確保と育成もそうです。社長に就任した2004年というのは、経営的には厳しい状況でしたが、国の金融政策が功を奏して、後にプチバブルと呼ばれる景気回復の波がやってきた時期でした。社内には仕事があふれる状況だったのです。しかし、過去30年の会社の経営分析をしてみると、5〜7年周期の景気の波を読み取ることができました。プチバブル崩壊後、不況が5年続くとして、リストラや給料カットせずに耐えることのできる体力を、この好景気の3年間に蓄える。それが3年改革だったのです。例えば、設備投資やインフラ整備は仕事がある時にできることです。だから年代別の会議を導入してボトムアップ型の組織に改革しただけでなく、バーコードを使った生産管理システムを導入して、すべてのオーダーの進捗(しんちょく)管理が行えるようにしたのです。
  それから、3年改革が終わる2007年以降は、景気が落ち込むと予測し、人材確保に取り組む予定を立てました。うちのような中小企業には、不景気の時のほうがいい人材が来るからです。

「悪口会議」から「ありがとう会議」へ カイゼンから人を育てる会議へ

──そういう発想はどこから生まれてくるのでしょうか。

  物事には原理原則があって、その基本がわかっているから応用ができるという考え方をすべてに当てはめているだけなのです。これは私が考えたというよりは、日本のものづくりの考え方です。現場に赴き、現物を見て、現実を知り、原理にのっとって、原則をつくるというのが、ものづくりの基本です。
  うちの会社は2008年から人材確保に力を入れ始めましたが、ハローワークに求人票を出しても、来る人が1人か2人の、まったく人気がない企業だったのです。それで、「現場に赴き、現物を見て、現実を知る」ということで、TシャツとGパンになって、自分がニートになったつもりでハローワークに潜入して、企業検索をしてみたのです。そうしたら求人票を出しているのに、うちの会社がまったく検索に上がってこないのです。その当時はキーワード検索、給料検索、地域検索だったのですが、地域は変えられないとして、まずキーワードが、うちは生産品目の「治工具」「ゲージ」だったのです。誰もそんなキーワードは打たない。それで、生産品目に「自動車向け治工具」「自動車向けゲージ」と入れたのです。そうすると「自動車」で検索すると引っかかるようになった。
  次は給料。検索条件が「低い」「中くらい」「高い」だったのですが、うちの求人票は未経験者か経験者だったので、真ん中がすっぽり抜けていたのです。ところが、自分がニートのつもりになって検索してみると、「高い」は仕事が厳しいか、資格や経験が必要だから押さない。しかし、「中くらい」で自分に合う会社があればラッキーと人間は思うのです。そういう点を改善していったら半年後には大田区で応募が一番になりました。

──悪口会議は今も行われているのでしょうか。

  「若手の会」は今もありますが、悪口会議という形では行っていません。代わりに昨年から始めたのが「ありがとう会議」です。今、中間管理職=副工場長の育成を3年かけて行っているのですが、中間管理職は部下を一人一人見られなければいけないし、今の若者たちは、しっかりとした評価をしてあげないとモチベーションが上がらないということもあって始めたのです。褒める役回りは中間管理職がします。うちには70歳近い職人さんもいて、中間管理職のほうがはるかに若い場合もありますが、最近はベテランの職人さんのほうから、「俺も褒めてくれよ」と言うようになった。普段照れて言えないことも「会議」にかこつければ言える。悪口会議と同じ原理原則が、そこには働いていると思いますね。

Takako Suwa

1971年東京都生まれ。成蹊大学工学部を卒業し、大手の自動車部品メーカーにエンジニアとして就職。2年間の勤務を経て、父の経営するダイヤ精機に入社。不採算部門のリストラを提案し、父から2度のリストラにあうも、父の逝去によって2004年、32歳で社長に就任。リーマンショックや東日本大震災、歴史的な円高などの経営危機を乗り越え3年連続増収し、会社を成長発展に導く。11年から経済産業省産業構造審議会委員、12年日経BP社ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013 大賞を受賞。