adv.yomiuriトップページへ

ojoトップ  > 広告リポート  > from Asia  > 身に迫る生々しさ タイの啓発キャンペーン

広告リポートfrom Asia

(Fri Jun 05 10:00:00 JST 2015/2015年6・7月号 from Asia)

身に迫る生々しさ タイの啓発キャンペーン
堀井葉月   バンコク駐在

  タイは喫煙者に厳しい。屋内はほぼ完全に禁煙と言ってよく、喫煙コーナーの設置はまれである。違反者には2000バーツ(約7000円)、場所を提供した者には2万バーツ(約7万円)の罰金が科される。タイ人の平均月収が2.5万バーツであることを考えると、相当重い罰則である。それでもタイでは毎年20万人から30万人が新たに喫煙を始めていると見られ、年間約5.2万人が喫煙のために命を落としているという。

  今年、タイ健康振興財団は、ややグロテスクとも思える手法で喫煙の害を啓発した。 “肺インク”の配布である。50年間毎日たばこを吸い続けた男性の献体内の肺から色素を抽出し、インクを作成。これをボトル詰めしたものが、バンコクのイベント会場で配られた。喫煙者の肺から作られた真っ黒いインクのインパクトは鮮烈だった。キャンペーン名でもある「The Message from the Lungs」―肺からのメッセージ―は、瞬く間にタイ全土へ拡散した。多くのメディアが報じ、イベントに参加した著名人と一般人は禁煙を訴える絵やメッセージを“肺インク”で描いてSNSに次々とアップ。10万人以上が情報をシェアし、財団主催の禁煙プログラムへの参加者は前年比500%を達成した。インクという、人が目で見て、触れて、使うことができるリアルなモノ。かつて喫煙者の肺であったモノ。“肺インク”の圧倒的な説得力が社会を動かし、一部とはいえ少なくない喫煙者たちの意識を変え、行動させたのだ。

  同財団が2012年に行い、全世界で反響を呼んだ禁煙啓発キャンペーン「Smoking Kid」をご存じの方も多いだろう。街頭で、一般人の喫煙者を少年少女が呼び止める。子どもらの手にはたばこがあり、無邪気な様子で「火を貸してくれ」と頼む。喫煙者は驚き、喫煙の悪影響を語って、たばこを吸うなと諭す。子どもらは紙片を手渡して去っていく。そこに書かれたメッセージは、「では、なぜあなたはたばこを吸うの?」――実にスマートな内容だ。ただ、クリエイティブが高く評価される一方で、実際の啓発効果は期待を下回ったのではないか。人びとに“気づき”を与える「Smoking Kid」から“生理的な恐怖”を与える「The Message from the Lungs」への路線変更は、より過激な手法によってでも目的を遂行せねばならない財団の事情を推測させる。

  タイの啓発活動には、このような事例もある。映画館での上映前、音響チェックの途中で何の前置きもなく「助けて!」「そのお金だけはだめ! あの子の学費じゃないの」といった痛切な悲鳴と平手打ちの音が臨場感たっぷりに四方のスピーカーから発せられる。客席に広がる動揺。その内、スクリーンに「このような音声を聞いたら、迷わずホットラインへ通報を」との表示が現れる。タイ女性財団とシネコンによる反DV共同キャンペーンなのだ。

  いずれの事例も、今の日本では実現しそうにない。喫煙する権利への配慮も必要だろうし、遺体の一部の頒布は物議を醸すだろう。事情を知らない一般人を巻き込む手法にも批判が集まりそうだ。ただ、タイには配慮も物議も批判もないという訳ではなく、差し迫った危機感と現状改善への要請が、それらに優先するのではないかと思われる。根深い社会問題や人びとの習慣を変えるには、“リアル”なモノを用いた力技が必要なのかも知れない。
  

堀井葉月・バンコク駐在

初の訪タイ・着任から3週間。バンコクの大都会ぶりに驚く毎日です。18階の駐在事務所から眺めるルンピニ公園とその先のシーロム地区は、日比谷公園と丸の内ビル群に似ています。ただ、東京との大きな違いは、におい。この街に満ちる生活のにおい、嫌いじゃありません。