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コラム広告日和

(Tue Aug 05 10:00:00 JST 2014/2014年8・9月号 広告日和)

「わかりやすさ」がウケる時代に、せめて「考えさせる」広告
澤本嘉光 電通 CDC エグゼクティブ・クリエーティブディレクター/CMプランナー

  実家に帰ったら何故か葬式の話になった。それも僕の。両親の葬式の話ならまだわかるのだが。なんでも妻が知人の葬儀に行った時、故人が載っていた雑誌や新聞の記事、書いたエッセイなどがコーナーとして集められていたのを見て、僕が今こうして書いているようなものをきちんと保管していない、という事に気がついたらしい。「そろそろちゃんと集めとかないとねえ」みたいな話をしている。まったく失礼だ、と思ったが、母が「少しとってあるわよ」と、今まで僕の事が出ていた記事的なものなどを集めたファイルを持って来たのには、ありふれたドラマのような展開にびっくりした。
  「やっぱり息子の記事とか集めていてくれてるんだ……」と感傷に浸りたいところだが、そのファイルの中にあった自分の大学4年の時の写真を見て卒倒しそうになってそれどころじゃなかった。「死んでもこれは見せられない。というか死ねない」。今で言うインターンで電通に通っていた時の写真なのだが、着ている服が「一世風靡(いっせいふうび)セピア(と言ってもわからない人多いだろうけど)かお前は?」みたいな、股上が深いパンツにTシャツをインして肩パッドの入ったジャケット、である。周りの女子もワンレン。すさまじく恥ずかしい。わかりやすく馬鹿みたいである。そう、わかりやすい。
  考えてみたら、この写真の時期に見ていたドラマもとても「わかりやすい」ものが多かった気がする。泣くために見ていた「北の国から」とか、妙にセリフも浮いていた「東京ラブストーリー」に代表されるトレンディードラマとか、わかりやすいと言うと怒られそうだが、ある目標にむかって真っ直ぐなドラマが多くて、それを素直に大好きだった。

  ふと最近のことを思うと、ドラマが一言で言うとまた「わかりやすい」ものになって来ている気がしている。よく言われるが、「半沢直樹」、「ルーズヴェルト・ゲーム」といったTBSの一群の企業ドラマは現代版時代劇のような「わかりやすさ」がある。悪人はわかりやすく悪人顔。音楽で休みなく感情を盛り上げ続ける。そして、決め台詞。「この紋所が目に入らぬか」の代わりが「倍返しだ」であり「逆転だ」である。「ルーズヴェルト・ゲーム」の敵会社の社長は悪代官そのもの、ピッチャーにおいてはニヤニヤしながら投げている。そんなヤツは現実にはいない。
  ニュアンスというものはそこに存在しない、視聴者に意味を強制する記号の集合体である、が、それに現実感が何故か出ている。堺雅人の方が唐沢寿明よりこの一群のドラマの主人公にハマっていた差は、NHKの大河ドラマ「新選組!」の山南敬助役で見せた時代劇(という記号性)への猛烈な適合感による気がする。時代劇で栄える人の方がこの企業ドラマシリーズでは栄える。その記号の集合をある種安心しながらも緊張して見ているのでは、僕たちは。
  「若者たち2014」も、一言で言えば「一生懸命なドラマ」。「2014年の現実感が無い」と言われる過剰な貧乏さの中で見せる過剰な懸命さが結果として「迷わず泣いていいドラマ」として胸を打つ。過剰な記号が生むリアリティーと言うか。見ている人に余計な思考を要求しないと言うか。この「疑わないでいい姿勢、余計な事を考えないで見ていい安心感」が、毎日多量の情報に接し、疑い、でも信じ、すべてを解っているかのような気になっているけれど実はすべてを深く解っていない今の視聴者の気分にうまく適合しているのかも知れない。

  これはCMにも共通するように思えるのだ。かつてあったような見る側にある種の思考と解釈を要求するCM、コピーは見られない。1980年代の傑作、サントリーウイスキーのアルチュール・ランボーのCMのような意味の不明瞭さ、取り方の多様さに魅力があるようなものはすっかりなくなり、わかりやすく感動させようとするもの、いい話、ばかりである。
  確かに「今SNSではいい話の方が『いいね!』を押しやすく拡散もしやすい」と最近言って来た気がするが、なんとなく流れ的にもうそっちだけではない気はしている。僕もトレンディードラマは大好きだし、「北の国から」も大好きなのだが、へそ曲がりで人の裏を行こうと思う性分からすると、せめてCMでは見ている人の思考をすこし要求したり解が1つではないものを提示してそこで話題を作れたらなあ、なんて思い始めている。何でも解っているようで解っていない今だから、むしろ、ちゃんと考えてみよう、と思考を促すようなものを提案できたらと。
  というこの記事自体をスクラップされてあとで読んで、一世風靡のような衣装並みに恥ずかしくて言い訳しそうになるかも知れないので、まあこれで止めておきます。
  とにかく、作るということはまあこうぐちゅぐちゅ悩むものなんだと思っているので、こういう悩みを制作者同士で話し合うのはとても楽しい。最近こういう話をする場が減っている気がするのと、「モノを作りたい」と言う割にカンタンな解答ばかり求めて悩んだり努力したりをしたくなさそうな人を見たりするので、あまり良くない未来が透けて見えてしまう気がしておじさん的にはおいおいおい!と思ったりするのだけれど。まあ、任せて心配しなきゃいいんでしょうけれど。僕は悩む人の方を信用しちゃうたちなんで。もう少し考えてみたら、とか、思ってしまうわけです。

〔筆者プロフィル〕

1966年、長崎市生まれ。1990年、東京大学文学部国文科卒業、電通に入社。ソフトバンクモバイル「ホワイト家族」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、中央酪農会議「牛乳に相談だ」、家庭教師のトライ「ハイジ」、トヨタ自動車「ドラえもん」、読売新聞など、次々と話題のテレビCMを制作している。著書に小説「おとうさんは同級生」、小説「犬と私の10の約束」(ペンネーム=サイトウアカリ)。前者は読売新聞会員制サービスyorimoの連載を単行本化。後者の映画脚本も執筆。2014年1月に公開された映画「ジャッジ!」の脚本も担当。クリエイター・オブ・ザ・イヤー(2000年、06年、08年)、カンヌ国際広告祭賞、ADFEST(アジア太平洋広告祭)グランプリ、クリオ賞、TCC賞グランプリ、ACCグランプリなど、受賞多数。数多くの海外の広告賞の審査員も歴任。