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コラム広告日和

(Tue Apr 08 10:19:00 JST 2014/2014年4・5月号 広告日和)

「セレンディピティー」で“偶然の傑作”を呼び込む
澤本嘉光 電通 CDC エグゼクティブ・クリエーティブディレクター/CMプランナー

  一つの単語が存在するおかげでこんなに説明が楽になったという経験は初めてだ。「セレンディピティー」。Wikipediaによれば、「何かを探しているときに探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉」だそうだ。「能力、才能を指す」と言われると使いづらい部分もあるが、CMの企画をしている時にしばしばこの単語の持つ意味のような経験をする。つまり、最初に頭の中で考えついた企画を「コンテ」として文字や絵にして行く作業の途中で、その文字の配列の中に出て来た言葉や描いた一つの絵がきっかけになって全く違う道筋の企画が誘発され、「当初頭の中にあったものとは全く別の企画コンテに変わっていく」、というような経験だ。その結果、もともと考えていたのと全く違うけれどもより面白いコンテになっていたりする。「ふとした偶然をきっかけにひらめきを得て幸運をつかみ取る」というセレンディピティーの結果そのものだ。

  実は僕はしばしば自分に起こるこの事象を、性格的にいい加減だから起こる現象じゃないか?と密かに恥ずかしく思っていて、あまり他言していなかった。最初からキチンと全体を企画し通してコンテを描いていれば、こういう、思考の途中の偶然で結果が大きく変わるような事態は起こらないからだ。
  一つ例をあげてみる。頭の中で企画をして、男女2人が喧嘩をする企画がいいな、と思い、絵コンテ(CMの企画を4コママンガのような絵とセリフとで表現するもの)を一生懸命描いているとする。ところが、自分の絵が稚拙なため、ロングヘアーの女の人を描こうとしているのに、髪の毛を長く描きすぎたために風呂に入っていない仙人にしか見えなかったとする。それがきっかけで、「あ、じゃあ、いっそ風呂に入ってない仙人との会話に変えてしまえ!」と、男女の会話という考えを全くやめてしまい、男と風呂嫌いな仙人の会話にしてみると、なんだか会話の内容も最初考えても無かった「風呂に右足から入るか左足から入るか」みたいな話に飛んで、飛んだ結果すごくうまい具合に面白くなる、というような事だ。
  まあ自分の画力のなさが原因ではあるが、「ふとしたきっかけが原因でひらめきを得て、幸運をつかみ取る」という点では、まさにセレンディピティーである。
  この現象をいろいろ説明するより「セレンディピティーで企画してます」なんて言った方がちょっとカッコいいし、実は事実に一番近い。ついこないだまで知らなかった言葉だけれど。
  この言葉が無いときは説明に本当に困った。説明すればするほど、運に頼るただのいい加減な人に聞こえてしまうから。実際自分もそうじゃないかなと思っていたし。
  この結果できる企画の特徴は、普通に頭だけで考えていたらまるで考えつかないような突拍子も無い流れの計算外のコンテが出来る、ということだ。「よくこんなアイデアうかびましたねえ」なんてほめられるときは、「一生懸命計算して作りました」と優等生な言動をしているものの、本当は、描いている途中で起きた偶然で誘発されてできている場合が多い。セレンディピティー、と言っておこう。僕は、自分の企画の特徴は?と聞かれる時に、「運がいいだけです」とよく答えていた。これは、本当にそう思っていたし今もそう思っているからなのだが、その「運」とは、実は、こういうセレンディピティーを呼べる偶然が起こる、という意味での「運」である。
  この言葉が一般化してきていろいろな例をネットでも散見するようになると、決して僕だけがいい加減な訳ではなく、意外と皆そうなんじゃないか!と勇気づけられたりしている。そう、セレンディピティーはCM企画の大きな武器になりうる。でも、それはいつ起こるかわからないのだけれど。だって偶然なんだから。

  じゃあ、なんで僕が「セレンディピティー」を多く体験出来ているか、といえば、答えは簡単で、企画がまとまっていないのにとにかく描き出してみる、という習慣がついているからだと思う。結論もわからないままとりあえず走り出してみると、セレンディピティーを呼べる偶然を誘発できることがあるからだ。まあ、多くの場合はそんなにうまく行かないが、時々、妙にするすると一気に解決出来る偶然が起こったりする。なので、とにかく勧めるのは、頭だけじゃなくて手を動かす事、目に見えるカタチに企画をして行く作業をする事、だ。手を動かす、という事自体、脳の活性化にいいという話も聞いた事があるが、動かなければ偶然のネタも起こらないから。口に出してもいい。言い間違えからいい企画に変化する事もある。
  セレンディピティーを起こすには、努力も大切なのだ。
  僕は昔から小学校で「人の揚げ足を取るのが悪い癖です」みたいな事を言われていたけれど、偶然の揚げ足を取ってどんどんそこから広げていくとなんだかいい結果が近づいてくる、という感覚なのかも知れない。小学校で散々怒られておいた事が今頃役に立っている気がする。
  でも、ホントにいい加減と紙一重なので、いい加減だとバレないようにとりあえず案の数だけは考えようと思っている。ということで、セレンディピティーを気取るのを許してもらえると嬉しいです。少し言葉の定義とずれている部分がありそうですが、そこは許してください。
  というこの文章もセレンディピティーで出来てるって気がついたでしょうか?

〔筆者プロフィル〕

1966年、長崎市生まれ。1990年、東京大学文学部国文科卒業、電通に入社。ソフトバンクモバイル「ホワイト家族」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、中央酪農会議「牛乳に相談だ」、家庭教師のトライ「ハイジ」、トヨタ自動車「ドラえもん」、読売新聞など、次々と話題のテレビCMを制作している。著書に小説「おとうさんは同級生」、小説「犬と私の10の約束」(ペンネーム=サイトウアカリ)。前者は読売新聞会員制サービスyorimoの連載を単行本化。後者の映画脚本も執筆。2014年1月に公開された映画「ジャッジ!」の脚本も担当。クリエイター・オブ・ザ・イヤー(2000年、06年、08年)、カンヌ国際広告祭賞、ADFEST(アジア太平洋広告祭)グランプリ、クリオ賞、TCC賞グランプリ、ACCグランプリなど、受賞多数。数多くの海外の広告賞の審査員も歴任。