マーケターは時に胡散臭いと言われることがある。怒ってはいけない。事実、胡散臭いのだ。なぜなら、マーケターというのは「まだ誰も見たことのない風景を見てきて、それについて語る」人のことだからだ。
問題が解決されて、商品が飛ぶように売れるようになった暁、つまり成功像をありありと描くのが仕事。まだ誰も見たことのない風景というのは、つまり「未来」のことである。胡散臭くないわけがない。
ダメなマーケティングプランというのは、誰からも見えている風景しか書かれていないもののことを言う。いくらデータ分析が緻密だろうと、美麗なチャートが描きこまれていようと、それが「現在」についての言及に終始しているならば、マーケティングプランと呼ぶには値しないのである。それは問題の再描写にすぎない。
マーケティングを学ぶ、ということは、データ分析の方法や、チャート表現のレパートリーを増やしていくことではない。風景の描写技術を磨くことはもちろん大切だ。しかしより本質的なことは、描写に先行して、まだ誰も見たことのない風景を見ること、これである。
マーケティング関連図書をよく読んで勉強している人ほど、描写技術のハウツーの隘路にハマりこむ傾向がある。そんな人に強烈な解毒剤になるのが、「精神分析入門」(フロイト著)だ。20世紀の知の開闢を告げた泣く子も黙る名講義録だが、ちゃんと読んだことがある人は存外少ないのではないだろうか。
これはまさに、まだ誰も見たことのない風景を見てきた男が、それについて語った本である。人間の心の中には「無意識」という広大な未知の風景がある、そしてそこはこんな異様な眺望、複雑な構造になっている……。私はこれを読むたび、ダイバーのイメージを思い浮かべる。海に潜って誰も見たことのない深層を見てきた男。水面は誰からも見えるが、海中の風景は潜った者のみが見ることができるのだ。
それにしても、フロイトの語り口の何たる晦渋ぶり。信じてもらえないでしょうが……という逡巡で行きつ戻りつする様子は、描写技術の面からは全く参考にならないが、私はここにマーケターの本来的な困難と喜びに相通じるものを見る。胡散臭さを積極的に引き受ける覚悟がある者だけが、優れたマーケターたり得るのだ。

新潮文庫(上下巻)は「続・精神分析入門」も併録のお徳用。ところで私は生まれてこのかた43年、海で泳いだことが一度もない。海のない岐阜県の山奥で育ったせいにしたら、岐阜の人が怒るだろうか(笑)。本稿を書きながら、ビーチ・ボーイズのレコードを聴いた。中心人物だったブライアン・ウィルソンは、サーフィンをしたことがなかったらしい。