特集

2009.10・11/vol.12-No.7・8

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企業にとっての生物多様性

2010年は国連の「国際生物多様性年」であり、10月には名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)も開かれる。この条約は、今後解決すべき地球規模の課題として、92年のリオデジャネイロの地球サミットで気候変動枠組条約と共に採択された条約だ。COP10は、何に注目すべきか。そもそも生物多様性とは何か。そして、環境問題に先進的な企業は、生物多様性にどう取り組んでいるのだろうか。

今、なぜ「生物多様性」なのか

 生物多様性とは何か、それは企業にとってどのような意味を持つのだろうか。生物多様性保全に関する国際動向や、それが日本の社会や企業に及ぼす影響について、IUCN(国際自然保護連合)(※)の古田尚也氏に解説してもらった。

(※)IUCN(国際自然保護連合):1948年に創設された国際的な自然保護団体。世界の多くの国家、政府機関、NGOが加盟し、約1万1000人の専門家の協力のもと、自然保護に関する調査研究・助言勧告などを行っている。日本は1995年から国家会員。

――「生物多様性」という言葉は、いつごろから言われ出したのでしょうか。

 60年代頃から「自然保護」が言われ出して、絶滅危惧種やそれが危機に瀕した場所を守ることが行われてきました。それに対応して、絶滅の危機に瀕した野生動植物の取引を規制するワシントン条約や水鳥の生息地である湿地を保護するラムサール条約、自然遺産を保護する世界遺産条約などが作られてきたわけです。
 しかし、特定の種や生態系を対象に保全ルールを定めるやり方を続けてもうまくいかないことがわかってきた。なぜ絶滅危惧種が出てくるかと言えば、その種が生存できる環境、生態系が失われてしまっているからです。「自然保護」では、地球全体の生物の豊かさは守れないという問題提起が、IUCNなどの国際会議でも80年ぐらいから出てきました。
 それで、生物の多様性を包括的にみる国際的な条約が必要ではないかという動きが80年代後半に起きて、UNEP(国際連合環境計画)やIUCN、世界銀行といったキーとなる国際機関が集まって条約作りの準備が始められた。それが92年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議、いわゆる地球サミットの「生物多様性条約」採択につながるわけです。
 リオのサミットでは、この条約と気候変動枠組条約、砂漠化防止条約の三つが採択されています。当時は地球規模の課題としてどれも同じぐらいの重要性で認識されていたのですが、地球温暖化の問題が世界の関心を集めて、取り組みが一歩先に進んだんですね。
 現在、生物多様性条約には日本を含む190か国とECが参加し、世界の生物多様性を保全するための具体的な取り組みが検討されています。条約の締約国会議は2年おきに開催されるのですが、その第10回会合(COP10)が、来年10月、名古屋で開かれるということです。

――生物多様性保全は、単なる「自然を守ろう」ではない?

 自然保護というのは野生動植物やその生息地を守るだけですが、生物多様性で「保全」という場合には、開発との折り合いをつける、持続可能な形で使うという概念が含まれてきます。経済的、社会的な仕組みをどう変えていくかというところまで視野に入っています。
 言い換えれば、自然保護は、絶滅の危機というようなどうしようもなくなったところを何とかするということですが、そうではなくて、もう少し手前の段階で何とかしようというのが生物多様性の考え方です。
 厳密な概念では、生物の多様性は「生態系」「種」「遺伝子」の三つのレベルでとらえられています。生物多様性条約は、この各レベルでの生物多様性の保全、生物多様性の構成要素の持続可能な利用、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ公平な配分を目的としています。
 広い意味では、伝統的知識や文化も生物多様性の概念に含まれます。地域によって異なる伝統的な知識や多様な文化は各地の豊かな生物多様性に根ざしたもので、その保全と密接に関係しているんですね。

劣化が進行する生態系

――そういう生物多様性は、今、どの程度失われつつあるのでしょう。

 進化のプロセスでは種の絶滅も自然のプロセスで、これまでも恐竜のように多くの種が絶滅してきました。しかし、こうした自然に起きる絶滅と比べ、人類は100倍から1000倍もの速度で種の絶滅をもたらしていると試算されています。
 生物多様性は、食料や繊維といった人間にとって有用な素材を提供するだけでなく、医薬品の原料となり、先進的な技術開発のヒントを与え、不要な物質を分解し、水や空気を浄化し、気候を安定化させ、レクリエーションなどを通じて人々に文化的、精神的な満足を与えるなど様々な価値を提供しています。生物多様性が提供するこうした財やサービスを 「生態系サービス」と言うのですが、生物の多様性が保たれていればいるほど、生態系サービスの働きがしっかりします。しかし、実際は生態系サービスのうち3分の2が、劣化しているか持続可能ではない方法で利用されていると言われています。

――地球温暖化はCO2が尺度になっていますが、生物多様性を測る尺度というのはあるのでしょうか。

 実は、まだ、どういう指標で測るかという合意はできていません。生物多様性条約では、02年のCOP6で「2010年目標」が採択されていますが、その内容は「締約国は現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」というもので、生物多様性の損失を具体的に何で測るのかということには言及していません。これまでの締約国会議の中でもいくつかの指標が提案されてきましたが、そういう指標を作る作業を今まさにやっている段階です。
 たとえば、種の数については絶滅のおそれのある野生動植物を調べた「レッドリスト」があります。66年にIUCNが中心となって作成されたのが始まりで、現在は各国や団体などによってこれに準じるものが作成されています。しかし、遺伝資源や伝統的知識になると、どういう指標で測ったらいいかすらわかっていない段階です。
 ただ、科学的な知見は確かにまだ不足しているのですが、生物多様性を守ることが、生態系サービスの健全な働きを維持することは間違いないことです。

平均生物種豊富度(2050年の予測値)
生物多様性の損失を平均生物種豊富度(MSA)という指標によって表したマップ。2050年には、アフリカ、インド、中国、ヨーロッパで顕著な影響があらわれると予測されている。 「生態系と生物多様性の経済学 中間報告」から

COP10の焦点は何か

――生物多様性の損失が経済に及ぼす影響は、どのくらいあるのでしょうか。

 08年にドイツのボンで開催されたCOP9で、TEEB(ティーブ)と呼ばれる報告書が発表されたのですが、それによると我々が失っている生態系サービスの価値は、陸域だけで毎年約50億ユーロ、現状のまま特に対策をとらない場合、生態系や生物多様性が損なわれることによる経済的損失は、2050年までに控えめに見積もって世界のGDPの7%に達すると言われています。
 TEEBは、「生態系と生物多様性の経済学(The economics of ecosystems & biodiversity)」の略です。地球温暖化による世界の経済的損失を報告した「スターンレビュー」がありますが、その生物多様性版です。
 ただ、生物多様性は、CO2削減という目標が明確な地球温暖化対策と違い、どうしたら生物の多様性が守れるのかがまだよくわかっていません。そこで、TEEBは、対策となる事例も一緒に報告書に入れて、具体的なアクションをとれるような形にしようという構想で進められています。五つの報告書に分かれていて、D0というのが今言った経済的分析に関する報告書で、D1が政策決定者、D2が地方自治体、D3が企業、D4が市民はどういう行動をとったらいいのかという報告書です。今はD3のドラフトが書かれている段階で、名古屋のCOP10で最終報告が発表される予定になっています。

――そのCOP10では、何が焦点になるのでしょうか。

 まず、「生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という2010年目標の評価が行われます。それと同時に、「ポスト2010年目標」が議論されると思います。たとえば温暖化と同じように、2020年、2050年というような中期と長期の目標を立てるほうがいいのではないか、生物多様性損失は「生息地の変化」「気候変動」「侵略的移入種」「過度の資源利用」「汚染」が主たる原因だと言われていますが、そういう原因ごとに目標を作ったほうがいいのではないかなど、今いくつか案が出ています。一番厳しい形であれば、何らかの数値目標が設定され、そのための手段がセットになってくるかもしれません。そういう議論が今は行われている段階です。

企業にとっての生物多様性

――企業活動は、生物多様性にどのようにかかわっているのでしょうか。

 企業の事業活動は、遺伝子・種・生態系といったレベルで生物多様性に関係していますが、業種によってそのかかわり方は異なります。石油・ガス開発、鉱山開発、農林水産業、食品産業、観光業などは生態系レベルでかかわっていますし、種苗、製薬、化粧品産業などは遺伝子レベルでかかわっています。海運業や航空産業などは、貨物・旅客といっしょに侵略的移入種を運んでいる可能性がありますから、種レベルで生物多様性とかかわりがあります。また、製造業や流通業も、生物多様性が支えている生態系サービスを直接的、間接的に利用しています。何らかの形で企業は生物多様性の恩恵を受けています。
 ですから、生物多様性が失われれば、これまで安価に享受できた生態系サービスが入手困難となり、その確保に今まで以上の投資が必要となるわけです。また、生物多様性への社会的認識が高まれば、消費者、従業員、株主、行政当局が企業に期待するものも変化します。生物多様性に向けた規制が強化され、企業に要求する取り組みレベルも高まることも予想されます。

――今後は、あらゆる企業は生物多様性の保全に取り組まなければならなくなる?

 そうです。ただ、生物多様性の問題を突然出てきた、まったく新しい問題ととらえる必要はないと思います。侵略的移入種の問題など生物多様性固有の問題もありますが、気候変動や汚染、資源の過剰な利用など生物多様性や生態系の損失の原因の多くは、これまでの環境対策と重なります。ですから、企業は、これまでの施策を生物多様性という視点で見直し、欠けているところはどこかをまず考えていけばいいと思います。
 すでに環境問題に積極的な企業では、生物多様性保全への貢献を推進することで、商品や企業の価値を高める取り組みが広がっています。生物多様性問題は企業にとってリスクとチャンスの両面があります。しかし、何もしなければ、企業はリスクだけを負いかねない問題でもあるのです。

Naoya Furuta
1967年神奈川県生まれ。92年東京大学農学部修士課程修了。三菱総合研究所に入所後、環境問題に関する調査研究や途上国でのプロジェクトに従事。2000年〜01年に日本人として初めてIUCN(国際自然保護連合)本部(スイス)で勤務。現在は、09年5月に新設されたIUCN日本プロジェクトオフィスで生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)のため、「ポスト2010年目標」などのグローバルな政策課題の推進に携わっている。