こちら宣伝倶楽部

2009.10・11/vol.12-No.7・8

  • この記事をクリップ!
  • newsing it!
  • Buzzurlにブックマーク
  • このエントリーを含むはてなブックマーク

迷惑をかけない広告

イラスト

 それはふだんなら読みとばしてしまうような、小さな雑報扱いの記事だった。「リンゴ果汁偽装 元社長ら有罪に」という見出しで、安い中国産リンゴの果汁を青森産と偽り、2年半で37万キロを販売、約1億2753万円を欺し取った弘前市のリンゴ加工会社の元社長らに、判決公判で懲役3年執行猶予5年がいい渡され、会社には罰金1000万円の支払いが命じられたというものだ。その小さな記事をゆっくり何度も読み返した。最近考えていることと共通していることを感じたからだ。

これくらい 一度くらい

 この会社のことは、とりあえずは裁判所の判決通りでよい。しかし次の5点ほどは別の角度からチェックして他山の石としたい。
 まず第一、この会社は弘前にありながら地元の青森県を欺いて「土地の信用」に傷をつけたこと。第二は、地元の代表的産品、青森の顔でもあるリンゴを踏み台にし「業界の信頼」に迷惑をかけたこと。第三、青森のリンゴというブランドへの「顧客の期待」に水をさしたこと。第四、善良で働きものの「県民イメージの定評」を裏切ったこと。そして第五は、まじめな物づくりの「仕事に取り組む姿勢の常道」を踏み外したこと。これらは罰金を払っても始末はつかない。
 これを広告やキャンペーンにおきかえて考えてみる。不安定な経済環境のもと、業績が思うようにいかないと企業はしばしば性急になって、すぐの結果を望んだり、配慮や熟考を忘れて小さく軌道を外す場合がある。小さいうちはよいとしても、たび重なるうちに大きく道を外してしまうこともある。「これくらい」「一度くらい」「こういう時だから」が、全体を緩めてしまう引き金になったりする。
 それがあとを絶たない企業不正、嘘やごまかし、その場逃れによる一連の事件であり、日本人はいつの間にこんなワルになったのかと思うようなことが増えすぎている。良識あるクリエイターのなかには、長年つきあいのあるクライアントがゆっくり様変わりして、自分のつくる広告が嘘やごまかしの片棒をかついでいるようなことに気づくこともあるだろう。良質の環境や条件がそろっていてこそ、安心して良質のクリエイティブができ、責任ある良質の広告やプロモーションが組み立てられる。その根幹が揺らいではいけない。

広告の品位・品格

 ビジネスは勝ちすすまねばならない。しかしそれは必ずしも第一義ではない。世間を欺き、平穏無事な業界の秩序を乱し、周囲を蹴散らかして自分だけが浮かびあがるということがいいことか。がむしゃらに勝つビジネスへの反省や見直しはときどき必要になる。
 安い労働力が確保できるからと、途上国を踏み台にしての国際化というのも、日本人の道徳観や美意識には本来は合いかねるはずなのに、その論議や躊躇はどこにもない。恥ずかしいという感性も失ってしまった。
 会社やブランドは大きくするのではなく立派にしようと心掛ける。なにがなんでもでなく、譲りあいの配慮がほしい。会社やブランドも大切だが、その上位にある業界の健全のために、いかに判断し行動するかは大事なことだ。たくましさよりやさしさ、ちからより誠実に重点をおくことだ。勝負には勝たねばならぬが、その勝ち方のきれいさが問われていることになる。だから冒頭のリンゴ事件は逆から見た教訓のように思えてしまうのだ。
 企業が前述のようなベクトルで走り出し、周囲への配慮を軽んじ、熟考を忘れしばしば性急になると、そこから出る広告やプロモーションのスタイルもそれに準じてくる。ゆっくりと舵とりがそちらを向き、関係者の思慮も行き届かなくなり広告の品格が揺らいでくる。
 大相撲の本場所で、千秋楽で横綱対決になり、負かした相手がまだ土俵上にいるのに、勝った横綱はガッツポーズをした。ベテランの相撲解説者は「横綱の品格」を厳しくなじった。勝てばよいという訳ではない相撲のマナー、横綱の立ち居振る舞いのようなものがビジネスにもあるし、広告でも本来は強く求められるものだ。このすさんだ経済の時代は、ちょっとネジを緩めると、禍根を残すプロモーションに手をつけることがある。

足並みそろえた繁栄を

 自由競争の時代とはいえ、その広告が同業他社や関係する業界に知らず知らずのうちに迷惑をかけることがある。
 例えば習慣的安売りによる全体的な値くずれ市場の定着、これには必ず嚆矢がある。初めに仕掛けて、よい思いをした社が必ずある。おまけ、プレミアムをつけるプロモーションを仕掛けて、現場はプレミアム合戦になって商品は二の次になってしまったとか、問屋やバイヤーとのやりとりで、どこかが苦肉の策で取引条件を一歩譲ったりすると、そのとばっちりは全体に及び、業界のビジネスモデルが狂ってしまうこともある。その場しのぎの先駆者メリットが、のちのちの業界の悪弊になってはいけないのだ。広告費が苦しくなると量を騒音でしのごうとする。目だたせるために叫ぶ広告、大声主義、オーバーめになった上に上げ底主義にはしるとややこしくなる。広告のトーンが騒々しく、けたたましくなると広告が嫌われる。広告が誤解される。
 はじめにタレントありきの広告作法も、辿っていくとどこか、誰かがすすめた好ましいことばかりではない悪習のひとつ、広告の根の部分の議論がずっと後回しのままだ。
 我こそではなく、足並みそろえた健全な繁栄を考えるとき、迷惑をかけない広告やプロモーションを考えるときだ。はっきりしていることがひとつ、トップブランドがお行儀のよい業界は秩序が保たれているような気がする。暗黙の指導力が働いているのだろう。広告がその業界の賢さを表す場合がある。

もどる