こちら宣伝倶楽部

2009.8・9/vol.12-No.5・6

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クリエイターつながり

イラスト

 広告をつくる上で、クリエイターとのかかわりは必ずどこかで必要になる。問題はどの時点でこの人たちと接点を持つかであり、いかなる職能の人との出会いを最初のステップにするかということ。クリエイターにもいろいろあって、ひとつやふたつのよその成功例だけを見て、早呑みこみしないこと。クリエイターの力量というのは、その時のチームのセンスと、広告主との呼吸、テーマとなる広告商品の出来ばえへの感動、惚れこみで左右される。のりがよいか悪いかでもある。

牡蠣の養殖棚の仕掛け

 クリエイターは向こう岸にいる人という印象をときどき持つ。広告会社の営業担当は敢えてそういう印象を広告主に持たせようとしているふしもある。同じ会社の人間なのに敬語を使ったりするし、クリエイティブ担当が居丈高に見えることもある。理由はひとつ、ほとんどの場合クリエイティブが決まるとメディアのアカウントが有利になることが多いからと、結局、広告主は広告会社にクリエイティブの質を一番強く期待し、そのことで広告会社を評価する傾向がいまだにあるからだ。だから営業マンはクリエイターに弱くなる。
 少しかばうとするなら、広告の意見調整や内部での議論、検討というのは、どこかで何かが合意しなければ前へすすまず、難しい理屈ぬきということでは、クリエイティブに関することから合意、決着をつけていくのが一番手っとり早いということがある。スキやキライでも判断のための意見がさしはさめるし、誰でも参加し、話しあって納得できる広告の分野であるからだ。テレビCMには熱くなる社内現場は、その社の広告観や文化を軽くしてしまう危険が少しある。
 どの時点からでもいい。クリエイターと呼ばれる職人との最初の接点でこんなことはないか。ひとりが決まるとズルズルとあとはなかば自動的に顔ぶれが決まってしまうということ。牡蠣の養殖棚で一本の仕掛けを持ちあげると、ゾロゾロと牡蠣が繋がって上がってくるようなことを体験しているはずだ。AにはBがついていて、BはCを連れてくるというようなつながり、キーマンがどんどん仕切り、広告主不在のままでキャスティングができていく。期間限定の仕事だからこれでいいのだろうが、広告主のふんばり所のひとつだ。

広告主以外は和気あいあい

 例えばテレビCMからまとめていこうと、その関係で最初のメンバリングをすると、CM撮影の現場に、プリントメディア担当のスタッフがまぎれこんでいたりする。雑踏と喧噪の中で初対面の挨拶をすることになる。
 タレントを使うと、マネジャーや事務所の幹部のほかに、ヘアメイク、スタイリストなどお抱えのスタッフがついてまわる。カメラマンや照明のチーフ、使用機材まで指定されることもあり、できあがったスチール写真のスポット修整をするところまで指定されたりする。みごとな連携でファミリーは終始ごきげんで、広告主だけが現場で「よその人」になってしまったりする。
 広告の制作現場というのは、ほとんどの場合、「期間限定の勝負仕事」になる。それをよいことにして「細部は現場で様子を見て」などといわれても広告主には不安が残る。限られた時間や期間だけ全員が熱くなって盛りあがればよいというのもわかる。しかしそれが「わかりあえ、許しあえる関係」だけになって、仕事ぶりがパターン化されていくようでは困る。失礼ながら養殖の牡蠣みたいなクリエイターつながりは、個人の才能をじゅうぶんに発揮するより、チームやクルーでの成果のために自らを抑えるようなことはないのだろうか。仕事のオーダーがどこから始まっても、同じような顔ぶれによる同じような世界観になっていくとしたら、ちょっと気になる。
 広告会社にオーダーすると、コストを考えて必ず無難なキャスティングをしてくるし、広告会社のディレクターが中心になって動く構図を作りがちだ。顔見知りや別の仕事での借りた貸したの人間関係は、万事に融通が利くことも想像できる。現場が妙にはしゃいでいるような制作現場では、広告主はつとめて冷静に毅然としていることが好ましい。

クリエイティブのクリエイティブ

 大手広告会社のクリエイティブ部門から独立して、会社に縛られず、必要以上に媚を売らず、自分が先頭に立って、広告主とダイレクトに仕事をすすめている人は多い。固有名詞のあるクリエイターだ。格好よろしい。
 しかしよく見ていると、やっぱり元の所属会社をあてにした仕事が多いし、会社に資本をいれてもらっているケースもある。クリエイターと営業の兼務、両立は感情的に難しいのは想像できる。実力派クリエイターを表彰する日本広告業協会の「クリエイター・オブ・ザ・イヤー賞」も、昨今はいささか鮮度に欠け、颯爽感のある人選でなくなった。ここにも、限られた人だけの集団仕事が影響しているように思う。日本のクリエイティブそのもののクリエイティブが、どこかで少しずつ退屈になっているのではないだろうか。
 耳なれたけれど、やっぱりなじめない「クリエイティブディレクター」という呼称を「コミュニケーションデザイナー」に改め、意識改革にのりだした広告会社がある。この手の呼称はこの業界にはまだまだ多い。決していい名前とは思わないが、広告会社の一部にこのあたりのことに悩みや迷いや、てらいへの気づきがでかけていることは確かである。
 クリエイティブとアカウントの区別がまた議論されるだろうし、アカウントだけ担当してくれる広告代理業との接点も研究テーマになる。社内でさんざん苦労し、決裁を重ねたあげくのクリエイティブが、祭りの日だけの神輿のようになってしまっては困るのだ。

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