こちら宣伝倶楽部

2009.3/vol.11-No.12


広告主にできること

イラスト

 東京都が夜間の消費電力を減らす地球温暖化対策として、広告関係の団体に、都内にあるネオンサインなど広告用照明について、深夜0時以降の点灯自粛を申し入れていたらしく、これを受けた日本アドバタイザーズ協会や東京屋外広告協会、全日本ネオン協会、東京屋外広告美術協同組合などはこれに合意して、この4月ごろからこれらの深夜照明の自粛にのりだすことになったそうだ。自主的でなく役所にいわれて動きだしたのが残念だが、この種の動きはこれからもでてくるはずだ。

夜の暗さをとり戻す

 前述の団体のうち日本アドバタイザーズ協会以外は、その照明つき広告物を制作したり管理運用している業者の団体らしいので、その意思決定は、日本アドバタイザーズ協会の会員社によって広告の実施と管理のもとに行われる。だから会員社への通達や合意への周知はここが主管になる。
 少し時間をかけ、大手企業の多くがこの計画に応じることになった。電力消費をセーブし温暖化対策に協力するというおもて向きの理由もさることながら、消費電力という「もうひとつの広告宣伝費」の節減になることも、立派な口実(理由)にたすけられてふんぎることができる。抜いた刀を鞘におさめるチャンスが与えられたことになる。
 このネオンなどの自粛については、本誌07年11月号の「広告と広告主による時代貢献」で、広告主による省エネ活動として提言していたし、筆者の近著「広告心得」(すばる舎)でももう少し広範囲に述べている。広告主による自覚活動として、押しまくるだけではない広告活動と、広告と社会とのつながりをPRするいい機会にもなり、広告主のバランス感覚をわからせるチャンスでもあるのだから、東京都などからいわれてでなかった方が、はるかにアピール力があった。
 だから今回の対応はとりあえず東京からはじめる。協会も東京にしかないから、東京以外には周知力が弱い。大手広告主の自主力にたよるしかないが「役所のお達しにより」というクレジットがないと、突然ネオンが消えたりビルの照明がおちたりすると、ずいぶんケチくさく見えてマイナス・イメージになることもある。ネオンも大型や手のこんだものの大半は東京にあるのだから、東京だけでいいじゃないかという考えもある。深夜0時以降という時間はどういう判断できめられたのかもわからないが、これにはそんなに深い理由や根拠はないはずだ。

テレビに手をつけられるか

 心配になるのは、この動きが地方にまで及んでいくと、ただでさえ地盤沈下していく町の活況がさらに悪化し、経済面に与える影響もでてくるはずだ。「夜は暗い」のがあたり前なのに「夜は静かになる」のがあたりまえなのに「照明という名の広告」がその常識をこわしてきた。深夜0時に主要なネオンが消えビルなどの照明がおちると、時間の区切りがつくのは悪いことではないが、それで困る人もでてくる。消費電力の自粛はそう簡単にいくことではないことがわかってくる。ビールやウイスキーのネオンは繁華街へのエールでもあり、その麓には大口の得意先がひしめいていたりするのだ。
 ネオンの点灯自粛が一段落したら、テレビといかに向きあうかを問題にしなければならない。実はこちらの方が課題は多く、消費電力もくらべものにならない。しかし影響が大きすぎるのと、地デジへ移行する微妙な時だけに行政が簡単にもちかけて、自粛を促すというようなレベルのものではない。
 検討点がふたつある。ひとつはNHKも含めてほとんど24時間放送になっていること。ネオンのやり方でいくと、例えばどこかで放送を幕にすること。教育テレビで昨年12月29日に9時間へ短縮したが、NHKがそのお手本を示すのは難しくないはずだ。夜なかの3時ごろに買い物や通販の番組をオンエアする必要性がどこにあるのか。再放送番組を機械的に流すイージーもどこまで許されるのか。放送をどこかでストップする自粛節電はおそらく抵抗があるだろう。だったら新聞休刊日を見習って各局いっせいに、ネオンなみに深夜0時をもって日本中のテレビは眠りにはいる日を設けるのはどうか。テレビは都道府県のレベルでもちかけるのではなく、国のレベルで自粛を決意するしかないだろう。きっと規制だ、介入だとやかましい議論がおこるはずだ。想像するに、このことについてスポンサーである広告主側はかなり柔軟なはずだ。

テレビの自浄作用を促す

 テレビについてのもうひとつの検討点は、いいかげん鼻についてきた各局の「お気楽番組」をどうするかということ。これはもうテレビ局に期待するのではなく、広告主がある種の思いきりをするしかない。そんなにカリカリするな、テレビとは元来そんなものという意見もある。しかし、大金はたいてまじめで格調の高いCMを作っても、それをはさむ時間帯、番組がない。せっかくのCMを番組につぶされるケースが増えている。いつのまにかCMは番組のレベルにまで落として、同列にして融合性を保つというようなこともでてくる。スポンサーは番組(編成)の内容に立ちいれない聖域を認めていたが、ここへきて気がついたのは、「お気楽、ドタバタ、雑音番組」からいったん離れて、テレビの自浄作用を見守ることはできる。ネオンのスイッチを切るのはそのネオンの持ち主であるように、テレビの放送時間を考え、番組の質を改善、向上させていくのにも、広告主は一歩離れて関与することはできる。
 ネオンの点灯自粛にはじまり、テレビへのかかわりまで、広告主の社会的正論や理性、全体への浄化力は自覚してよいときだ。

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