特集

2008.11/vol.11-No.8


本を売るための視点

 時代をつくってきた雑誌の休刊が相次ぐ一方、書籍は4割近い返品率が恒常化し、96年をピークに売り上げは年々減少している。
 出版業界が厳しい現状にあるのは確かだが、本との接し方が変わり、書店に足を運ぶ人たちが減った今、“変化”を見据えた取り組みも始まっている。
 本を売るための新しい視点とは何か。作家、出版社に加え、本との接点を広げるブックディレクターの取り組みにも注目した。

読者との距離を縮める作家の試み

 大沢在昌、宮部みゆき、京極夏彦。3人の人気作家が所属するのが「大沢オフィス」だ。複数の作家をマネジメントする日本初の試みということだけでなく、出版社を横断する作家フェアやコンビニとの本の共同企画にも取り組んでいる。そこには本を売るための新たな視点がある。大沢オフィスの主宰者である大沢在昌氏に聞いた。

――大沢オフィスとして、3人の人気作家が一緒に活動している目的は何か。単なる私利私欲ではないだろうということで本日はうかがったのですが。

 いや、私利私欲ですけどね(笑)。ただ、それがどういう私利私欲かは、大沢オフィスの成り立ちから話した方がいいと思います。
 もともとは僕の個人事務所で、90年に『新宿鮫』を書いてから仕事が忙しくなって、個人で対応しきれないというのでマネジャーを置いた。それが92年です。世の中というのは名前が少し売れると、そいつに何でもいいから仕事をさせようというところがあって、極端な話「トイレの芳香剤について、ちょっと一言」みたいな、なんで俺がそんなもんに答えなきゃいかんの、しかも原稿書いている最中に、ということが起こる。特に仕事を断るときはエネルギーを使うんですね。それで消耗してしまうと、肝心の仕事に気持ちが向かなくなる。それで、個人事務所をやり始めたんです。
 宮部みゆきさんも『火車』で売れて、同じ状況に陥った。推理作家仲間で顔を合わせる機会も多かったことから、「大沢さんとこで頼めるかなぁ」と言われて、事務所の費用の一部を月額いくらで負担してくれるなら、ということで契約した。それが93年です。
 その後、京極夏彦君が『姑獲鳥の夏』で彗星のごとくデビューした。彼の場合は講談社が連絡先を1年間非公開にしていたのですが、解禁になった途端、朝から電話が鳴りやまなくて、その対応で声が嗄れてしまった。それを見かねて、宮部さんが京極君に「ちょっと大沢オフィス、どう?」と話して、京極君とも契約をした。それが96年ということなんです。

作家が編集者を頼れない時代に

――その時点では、大沢オフィスはまだ株式会社化されていない?

 株式会社大沢オフィスになるのは02年6月です。3人が所属する事務所になった96年から、株式会社化の間に何が起こったかというと、出版業界の業績悪化です。出版社は少しでも売れる本を出したいということで、どうしても優秀な編集者に仕事を集中させる。そのせいで、今まで作家が編集者に頼めたことが頼めなくなってきたんです。
 昔の作家は「この原稿料はこっちの愛人に」とお手当の手配まで編集者に頼んでいたというのですが、今はそんな牧歌的な風景はどこにもなくて、優秀な編集者は担当作家を何十人も抱えて、作家の頼みどころか、一冊一冊の本の販売戦略すら考える暇がない状況です。
 しかも、出版社の編集部と販売部の連携もうまくいっていないところが多い。編集部が「これだけつくって売りたい」と言えば、販売部は「そんなにつくっても売れない。部数はこれぐらいに減らせ」という具合にしょっちゅうやり合っている。
 そういう状況を見るにつけ、これは今まで編集者に任せてきたことを、そろそろ作家が自分で負担しなければいけない時代が来ているんじゃないかと思い始めたんです。もう一つは、宮部さん、京極君という世の中の評価が高く、多くの読者もいる作家と一緒にいる力をうまく使えば、今まで誰もやったことがないことができるかもしれない、例えば、オフィスのホームページをつくって、そこをコアにして活動していくことや、それまで出版社ごとにやっていた作家フェアを出版社横断でできないかと考えたわけです。
 ただ、そうするためには、それまでのマネジャー1人体制では対応できない。出版社横断の作家フェアをやるにしても、その調整を一つの出版社に頼むわけにはいかないから、それはこちらでやるしかない。そういう仕切りができる人間も必要になる。当然、事務所も大きくして、人も増やさなければいけないということになります。

株式会社大沢オフィスの誕生

――事務所の組織化というのは大沢さんのアイデアだった?

 2年ぐらい1人でずっと考えていましたね。2人に話をする前に、確かめておきたいこともあった。それは、出版社の交通整理みたいなことを作家の側が始めたときに、出版社の反感を買わないかということです。「作家は原稿さえ書いていればいいんだ」と言われる可能性もなくはない。
 それで、編集部の現場の人たちと酒を飲んだ夜などを狙って、「こういうこと考えてるんだけど、どう思うかな」と聞いていったんです。そうしたら、みんな「やるべきだ」「外から揺さぶってくれないと、なかなか変わらないですから」という声だった。現場の人間の危機感は非常に高いと感じました。

――その後、宮部さんと京極さんに話をした?

 株式会社化して資本を増やし、会社に対する3人のお金の払いも月額いくらではなく、収入の30%、「いくら稼いでも3割くれる?」という話をするわけですから、果たしてどうなのかです。で、構想を話したら、京極君は言下に「やるべきです」、宮部さんは「大沢さんと京極さんがそう言うなら、付き合うわ」って。それで、株式会社大沢オフィスをやることになったんです。
 会社をつくって最初にお披露目のパーティーを開いた。そこに関係する出版社、映画会社、テレビ局の方などに来ていただいて、「日本で最初の複数の作家をマネジメントする会社を旗揚げします」とあいさつした。
 そこで約束したことは一つ。「紙の出版はやらない」ということです。そんなことをしたら、出版社も我々に付き合う理由がまったくなくなります。
 また、我々がこういう会社をつくったのはお世話になった出版界に恩返しをしたいからで、そのために我々を利用してくださいということも申し上げた。
 それぞれ読者を持っている、キャリアもある3人の作家を使って何かおもしろいことができないか、そういうことを考えてください。我々からも提案していきますと言ったんです。
 それから我々の提案は、当然、現場サイドから上げることになりますから、お披露目にきてくださったお偉いさんたちには、若い人から提案が上がってきても、「大沢オフィス、聞いたことないぞ」と一蹴しないで、検討してくださいということを申し上げた。逆に、現場の人たちには、そのときは社長や役員の方に相談してくださいとお願いしました。

文庫フェアから小説配信まで

――用意周到な船出の後、大沢オフィスは本格的に活動を開始するわけですね。

 実はホームページ『大極宮』は、会社設立の前年01年2月からスタートしていました。「大極宮」というのは、大沢、京極、宮部から1文字ずつとったネーミングです。そこを活動のコアにしようとあらかじめ考えていたんです。
 主な活動としてはまず、3人が出演するチャリティー自作朗読会「リーディングカンパニー」を、毎年秋に開催して、経費を差し引いた収益を全額、主に犯罪被害者救済を目的とした団体に寄付しています。
 それから、毎年2月に「大極宮フェア」という、さっき言った出版社横断の文庫フェアをやっています。参加書店に「大極宮フェア」のパネルや3人が手書きしたコピーをPOPにして張ってもらって、フェアの対象になっている文庫を買うとプレゼントがもらえるなど、いろいろやっています。
 大極宮フェアが終わった後、我々大沢オフィスの3人と書店の方、それから各出版社の編集と営業が集まって、ちょっとした打ち上げをやるんです。そうすると、編集者同士はほかの出版社とも顔なじみですが、営業はお互いをまったく知らないんですね。その場で名刺交換をしている。
 今の出版状況の中でライバルとか言っている場合ではないと思うんです。小さくなっている市場を奪い合う前に、市場を少しでも大きくする方法を考えないと、どうしようもないわけだから。そうするためには、みんなが顔を合わせて知恵を出し合わなきゃならない。大極宮フェアの打ち上げで営業担当者が「はじめまして」とやっているのを見たとき、それだけでも「ああ、やって良かった」と思った。とりあえず横のつながりができた程度で、その先はどうなるかはわからない。ですが、少なくとも誰もやっていなかったことですから。

大沢オフィスのホームページ「大極宮」
――携帯電話への小説配信も行っていますね。

 3人の過去の小説を分割して携帯でも読めるようにしたもので、携帯電話というメディアに合わせて書く「携帯小説」とは違いますが、そういうこともやっています。
 それから、作品の映像化も、ただ待っているのではなくて、こちらから知り合いのプロデューサーなどに対して仕掛けていくことを始めました。
 また、ここ数年伸びているのは海外での翻訳出版です。欧米もそうですが、特に韓国、台湾、中国などのアジア地域で日本のミステリーの翻訳出版が非常に盛んになっている。権利関係の法律がその国で違うし、間に入っている代理店によって条件も違う。税金の問題もある。それをコントロールすることと、作品を売り込んでいくことも大沢オフィスの仕事です。
 最近始めたのが、地方紙への我々の連載の配信事業です。大沢オフィスと配信契約を結ぶと、3人の原稿が1年ずつ連載される。第1期の京極君の連載が今年初めからスタートしていて、来年が僕、最後が宮部さんの連載です。
 ただここまでやっても、出版界のリアクションがすごいかというと、そんなことはなくて、意外に動きは鈍いんです。古い体質からなかなか抜け出せないところがありますね。


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