特集

2008.10/vol.11-No.7


新聞広告の力

“情報過剰時代の広告の役割

 総務省の「情報流通センサス」(07年3月)によると、この10年間で消費者に提供された情報量は410倍に増えたという。欲しい情報はインターネットで探して手に入れる時代の広告の役割、新聞広告の役割とは何か。コピーライターの前田知巳氏とメディア環境研究所所長の榊原廣氏の対談を通して探った。

――最近のメディアへの接触状況を榊原さんからお話ししていただけますか。

榊原 メディア環境研究所では5年前から「メディア定点調査」を実施していますが、ここ3年連続して総メディア接触時間が減ってきています。しかも、直近の調査ではパソコンのインターネット接触時間も減っている。増えているのは、携帯電話だけといった状況です。毎回同じ調査手法ですから、総接触時間が減ってきているという傾向は間違っていないと思います。
 世の中に情報が増えているのに、メディアに接触している時間が減っている原因は、実はまだよくわかっていません。これはあくまで推測ですが、グループインタビューなどの結果から考えると、テレビもハードディスクレコーダーにいったん録画して見たいものを見る、インターネットもネットサーフィンするのではなくて、検索エンジンやお気に入りに登録したもの、SNSなどで友だちに紹介してもらったサイトを直接見に行くなど、目的を持ってメディアに接触するようになってきているということはあると思いますね。
 テレビドラマも、以前は毎週同じ時間にテレビの前に座って見ていましたが、最近の若い人の中には1回目を見逃すと、もう次を見るのが面倒くさいとか、毎週同じ時間にテレビの前に座って始まるのを待っているのが面倒くさいという人が出てきています。自分の好きな時間に好きな映像が見られるYouTubeなどの動画サイトが人気なのはそういう理由です。
 誰もが同じ時間に同じ情報に接触するというのが、広告を含めたマスメディアの大前提だったと思うのですが、それが随分変わってきた。そのへんが反映されて、総接触時間が減っているのではないかと思います。
 前田 確かに僕自身の1日のメディア接触を振り返っても携帯電話と向き合っている時間は増えていますね。僕が興味があるのは、これだけ情報がある世の中で、若い人がそれをストレスとして感じているかどうかということですが、今の話だと別にストレスには感じていないということですね。
 榊原 そうですね。今の若い人は、情報が多いことに対するストレスよりも、情報が見つからないことへのストレスの方が大きいのではないでしょうか。要は、情報はあって当たり前、探せば見つかるのが当たり前、しかもどんな情報でもタダで手に入るのが当たり前という前提で暮らしているので、それが手に入らないほうがむしろストレスかもしれないですね。
 実は年代別に見ると、メディアの総接触時間が減っているのは10代から40代までで、50代以上は逆に増えているんです。50代以上の人は「ながら視聴」の傾向が残っている。若い子ほど、情報を絞り込んで接触している感じがしますね。

メディア定点調査・08東京

二極化する情報接触

 前田 僕も広告学校で若い人たちに話をする時に、今の情報環境をどう思うか聞くようにしています。あくまで僕個人の感想ですけど、結構、二極化しているところがあると思っています。今、榊原さんが言った「情報はあって当たり前」という前提でメディアに接触している人たちがいる一方で、情報を「選び疲れ」している人たちもいる感じがするんですよ。僕は2000年ぐらいから言っているんですけど、やっぱり共有体験欲求がどんどん増えている感じがしていますね。情報が個別化するほど体験をみんなで共有したいという欲求も増えると思っているんです。
 榊原 二極化は進んでいるかもしれませんね。昔は、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌は、ほとんどの家にありましたけど、今の子供たちの育っているメディア環境は家庭によってバラバラです。情報を取りに行く能力も、育ってきた環境で随分と差が出る。携帯はほとんどみんな持っていますが、パソコンがある家とない家では情報に対する感覚がまるで違うと思います。
 近ごろの幼稚園ぐらいの子供には、テレビを見ていて「お父さん、今のもう一回みせて」と言う子がいるらしいんですね。テレビはライブで見るものだという感覚がなくなってきているんです。
 前田 今の子供は、記憶が褪せないというのもありますね。当たり前に生まれたときからの自分をビデオで客観的に見ているから、記憶が褪せないんです。それって、脳に与える影響が違うと思うんですよね。
 榊原 だから逆に、その瞬間でなければという思いが弱いということも出てきています。最近の中学や高校の卒業式は、以前と全然雰囲気が違うらしいんです。知り合いの先生が言っていたのですが、以前の卒業式には、これで一生会えないかもしれないという思いがあったけど、今は最後のお別れという雰囲気が希薄になっている。メールアドレスを交換していればいつまでも繋がっていられるからなんですね。
 前田 でも、親は泣いているんでしょう(笑)。子供とは受け止め方が違うのがおかしいですね。
 榊原 その瞬間とか、その場所という意識が希薄になっているのは確かです。メールで世界中どこにいても、すぐに連絡が取れるから、我々の世代とは、時間や場所に対する感覚が違うんじゃないかと思いますね。
 これも僕の勝手な推測ですが、その境目は83年あたりにある気がするんです。83年というのは任天堂さんのファミコンが登場し、東京ディズニーランドができた年ですが、その年以降に生まれた子供たちは、赤ん坊の時から身の回りにオンデマンドなデジタルメディアがあった。
 その一世代上の団塊ジュニアもデジタルメディアを使いこなしてはいるけど、ネイティブではないんです。83年以降に生まれた子供たちは映像、画像、文字、音楽、音声の区別もなければ、リアルタイムとオンデマンドの境目もない。しかも、欲しい情報があれば、自分でかなり根性を入れて取りに行く。携帯やパソコンのインターネットの利用状況を見ても、ネットサーフィンはほとんどしないで、興味のある情報をダイレクトに探しに行って、すぐ戻ってくるという使い方が多いんですね。
 僕らの世代のように情報があふれていることに疲れている人たちもいますが、今の若い子たちは見たいものだけ見て、見たくないものは見なければいいという感じだと思いますね。
 前田さんの言った共有体験欲求は若い世代にもあると思いますが、友達などのコミュニティーで共有された情報しか見ないとか、自分の身の回りの情報以外はあまり興味がないというのはあると思うんです。
 前田 ただ、僕のやっている宝島社の広告を例に言うと、若い人でも驚くくらい大人っぽい反応をする人がいるし、単純に世代ではくくれなくなっていると思いますね。最近の「いい毒は薬。宝島社の活字」の新聞広告にも若い人からの反応が結構来ました。新聞を読んでいる若い人たちもいるということなんです。ただ、面白いのは、ウェブで新聞広告のことを知って、新聞を買いに行く人たちが結構いることですね。
 榊原 最近では、新聞広告が広く知られる上で口コミの力が大きくなっていますね。数年前に、ZARDのアルバム全曲を携帯電話で試聴できるQRコード付きの見開き30段広告が出ましたが、広告紙面がネットオークションでやりとりされて、数万円で売れていたらしいですね。話題にさえなれば、広告を見ていない人でも努力を厭わず探してでも見るようになっています。「続きはウェブ」ではなく、ネットで知って実際の広告を見るという行動も出てきていますね。
 前田 そうですね。ただ、作る側としては、どちらが先に見られるかということはそんなに意識していません。最近は、新聞広告を見た人がウェブも見てくれるので、今回の宝島社の広告の場合は、そういう人たちへのお楽しみという意味で、ウェブには長めのコピーを掲載している。新聞広告は逆に、パッと見で選ばれちゃうので、見た目で読みたくなるものという意識で作っています。僕自身、パッと見で読みたくないと思ってしまう新聞広告っていっぱいあるんです。だから、コピーを書く時は、文字面をすごい考えながら作っています。 文字もビジュアルなので、読みたくなる気配ってあるんですね。

宝島社 7月23日 朝刊

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