特集

2008.7/vol.11-No.4


消費者研究の新しいアプローチ

行動経済学は消費者をどう見ているか

 行動経済学は、これまでの経済学が前提としていた常に合理的に行動する消費者を疑い、消費者をどうとらえるかというところからスタートした新しい経済学だ。02年にアメリカのダニエル・カーネマン博士がノーベル経済学賞を受賞したことで一躍脚光を浴びたが、この研究に日本でいち早く取り組んだのが明治大学教授の友野典男氏だ。行動経済学から見た消費者とは、どのようなものなのだろうか。

――行動経済学とはどういうものなのでしょう。

 これまでの経済学(標準的経済学)は、非常に合理的に物事を判断できる「経済人」を前提に作られてきました。完璧な損得計算や確率計算ができて、自分が最も満足のいくものを選ぶことが常にできるというのが、これまでの経済学が前提にしている消費者だったんですね。
 人間の非合理な行動を初めから排除していますから、非常に美しい理論体系ができている。ところが、その理論をいざ現実に当てはめようとすると妥当性があまりないことが、ずいぶん前から指摘されていたのです。行動経済学は、そういうこれまでの経済学の改良を目指して生まれた経済学の一分野です。これまでの経済学が前提にしていた「経済人」を疑って、消費者はどんなものか考えるところから始まった経済学と言い換えてもいいかもしれません。
 実は行動経済学は、心理学者の研究から始まっています。行動経済学の重要な理論になっている「プロスペクト理論」は、カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという2人の心理学者が79年に発表したものです。その後、経済学者のリチャード・セイラーが加わり、心理学者と経済学者の協同によって行動経済学が確立されていきます。 
 その行動経済学が前提にしている消費者というのは、合理的ではないけれど、そんなにむちゃくちゃではない人たちです。理論的に押さえられる範囲の非合理性、つまり「限定合理性」を持った人たちです。そういう消費者の行動をうまく説明できる最初の理論が「プロスペクト理論」だったのです。そこから行動経済学は始まるわけですね。

プロスペクト理論

商品の品質がわからない消費者

――限定合理性の下で動いている消費者とは、どういう人たちなのか、もう少し詳しく説明してもらえますか。

 かなり単純なことに左右されるけれども、そうかと言って、むちゃくちゃな行動をするわけではない人たちです。消費者が単純なことに左右される例を挙げると、「モノの値段を推測させると、その直前に見聞きした何の関連もない数字の大きさに左右される」ということがあります。
 ハサミの値段を聞く実験をしたことがあるのですが、まずルーレットを回してもらい、その数字が出てからハサミの値段を聞くと、ルーレットで大きな数字を出した人の方が、小さな数字を出した人より、推測するハサミの値段が高いのです。

――それは、どういうことを意味しているのでしょうか。

 何の関連もない数字に推測する商品の値段が左右されるということは、「消費者は、商品の品質がわからない」ということです。消費者の「商品の品質に対する不確実性」、それが消費行動を考える根本的な出発点だと思います。
 そこから、同じものを買い続けるという行動も説明できます。消費者は自分の経験を基に、できるだけ失敗しない選択をするような行動をとるわけです。
 また、対象となる商品の数が多くなればなるほど、ますますわからなくなってきますから、何かほかの情報に頼るという行動も起こってきます。ブランド品を選ぶのも、ネットの世界でランキングがはやるのも、自分ではその商品の品質がわからないから周りの評価に頼ろうという心理が働くわけです。口コミが起こるのも同じです。そういう行動は、消費者は商品の品質がわからないというところから出てきているわけです。

――しかし、商品の品質は使ってみればわかりますね。

 そのカテゴリーのありとあらゆる商品を試しに使ってみるわけにいかないですから、他の何かに頼るということです。インターネットに情報はたくさんあると言われますが、今度はその情報の信頼性がまた消費者にはわからないのです。選択肢が多過ぎると判断できなくなるのが人間ですから、ネット上で情報があふれればあふれるほど、余計わからなくなる。情報のパラドックスが起こるんですね。
 最近は、何かはやると、それが極端になっていますね。本がいい例です。新書だけでも山のように出ていますから、どれを買っていいかわからない。そうすると、はやりの本に手を出し、『バカの壁』や『国家の品格』など、売れている本はますます売れる。
 非常に大雑把な言い方をしていますが、「商品の品質がわからない」ということが今の消費者行動の一番奥底にあるものだと思っています。

――先ほど、消費者は自分の経験を基にできるだけ失敗しない選択をすると言われましたが、これはどういう心理から出てくる行動なのでしょうか。

 行動経済学では、「損失回避性」や、そこから導き出される「現状維持バイアス」という言葉で説明されるのですが、その一番単純な例が、「同じ物を買ってしまう」という行動です。
 「損失回避性」というのは、人は同額なら損失を利得より強く評価する傾向を言います。例えば、50%の確率で1000円もらえるが、同じ確率で1000円失うくじがあったとしても、大抵の人はそのくじを引くこと自体を拒否します。1000円をもらう確率と失う確率が五分五分だとしても、人は損失の方を強く評価するからです。
 また、ランチの時にいつもの定食屋につい足を運んでしまうのは、下手な店に当たってしまうよりはという気持ちが働くためで、これが「現状維持バイアス」です。
 ただ、商品選択を誤っても損失の少ない商品、例えばスナック菓子のようなものでは損失回避の力は弱まると思います。逆に、マンションなどの高額物件では損失回避性は大きく働くということです。

消費者は価格もわからない?

――商品の価格については、消費者はどういう判断をするのでしょうか。

 「アンカリング」が重要なポイントになりますね。アンカリングというのは、先ほどのルーレットで出た数字に人の判断が影響されるという話です。初めに印象に残った数字や物が、その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を「アンカリング効果」と言います。要するに、消費者は、商品の品質がわからないのと同様に、何がその商品の合理的な価格かわからないということです。
 だから、メーカー希望小売価格が書いてあれば、消費者はそれを基準に高いか安いかを考えます。最近はオープン価格になってメーカー希望小売価格もなくなってきていますが、消費者は何か判断基準がないと非常に困ります。それは、他店の値段でも、その店の昨日の価格でもいいわけです。消費者は与えられた情報を基に高いか安いかを判断しやすいのです。ネットで価格情報サイトが人気があるのも、そうした理由です。

――商品の値段の付け方にも、何か法則があるわけですか。

 よく寿司屋に松竹梅というお品書きがありますが、竹を選ぶ人が多いですね。それは、消費者に「真ん中」を選ぶ傾向があるからです。
 アメリカで実際に行われた実験があります。CからAの順で品質が良くなるが価格も高くなるミノルタのカメラを3機種用意した。106人の被験者に、まずAとBの選択を聞いたら50%ずつでした。次に、Cを加えて3機種から選んでもらうと、A22%、B57%、C21%になった。両極が排除されて真ん中が選ばれたんですね。
 これは、同じ商品を違う表現にするだけで、消費者の購買行動が変わってしまうということです。この商品の値段が提示される方法を判断や選択の「フレーム」と呼び、フレームが違うと異なる判断や選択に導かれることを「フレーミング効果」といいます。

近視眼的な消費者

――禁煙やダイエットはなかなか続かない人が多いですが、行動経済学的にはどう理解されているのでしょう。

図2  「明日から禁煙するぞ」「きょうからダイエットするわ」と決心しても、体の調子が良くなるとか、まわりから「痩せましたね」と言われるまで、つまり効用を得るまでには一定の時間が必要です。そうすると、意思決定をする時点と、そこから実際の利得や損失が発生する時点が離れている場合、人はどう効用を評価するかという問題になります。
 一つの考え方は、「割引率」で考える方法です。経済学では、1年後に受け取る1万円は今は効果を生まないから、将来の価値は割り引いて考えます。これが「割引率」の考え方です。1年後に1万円もらう満足度が、今9000円もらう満足度と同じなら、この割引率は1割です。これまでの経済学では割引率は時間がたっても一定としますが、実際の人間はそんな単純ではなくて、割引率は最初は大きく割り引かれるが、時間の経過とともに減少するんですね。これを「双曲型割引」と言っています。
 要するに人間は目先のものほど価値を大きく感じるということです。禁煙で言えば、目の前の小さな利得(たばこ一服)の方が、後で得られるはずの大きな利得(健康な体)より大きな効用を感じるということです。
 ただ、パーティーを開く時でも、まだ先だと楽しみですが、時期が近づくと、食事の準備など細かなことが気になり出し面倒くさくなるのが人間ですから、禁煙やダイエットが続かない原因は、「割引率」だけではないかもしれませんね。


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