立ち読み広告 2008.4/vol.11-No.1

『JJ』ガールが歩んできたそれぞれの『STORY』
 女性誌『STORY』の表紙モデルが、黒田知永子さんから清原亜希さんへと交代した。女性ともファッションとも無縁なオッサンである私ですら、そんなニュースを知っている。雑誌の影響力というものについて、つくづく考えさせられる「事件」である。
 そもそも黒田知永子さんという存在が、きわめて象徴的である。20代は『JJ』モデルとして知られた。今から20年以上前の話である。あのころの『JJ』は女性ファッションの牽引役だった。『JJ』が流行を生み出していた。おしゃれな街では『JJ』ガールが闊歩していて、私なんか半径10メートル以内に近づくこともできなかった。
 黒田さんはいちど引退。結婚と出産を経て『VERY』のモデルとしてカムバックした。このとき30代。まさに『VERY』が想定する読者像にぴったり合致するライフストーリーだ。そして40代になると『STORY』の表紙モデルになる。『VERY』のときと同じく、読者はチコさん(黒田さんの愛称)に自分を重ねてきた。
 人間、40年あまりも生きてくると、いろいろあるものである。いいことも悪いことも、悲しいことも嬉しいことも。どんなに美しい人でも、いろんなことがある。その「いろんなこと」が、黒田さんのただ表層だけではない美しさの源だった。と、読者は『STORY』を手に取って思ったはずだ。そして、「私だって……」と。

読者に響く清原さんのメッセージ

 3月1日の朝刊第19面は『STORY』の全面広告。黒田さんのあとを襲った清原亜希さんのお披露目的紙面だ。
 「40歳、もう一回女を頑張ろうよ!」というコピーとともに、清原さんのメッセージが載っている。
 「31歳で結婚し、33歳で長男を、36歳で次男を出産。私の30代はとにかく家庭が第一でした」とある。
 これまた読者は「あ、私と同じだ!」と思うだろう。結婚した年齢や出産した年齢は多少ちがっているかもしれないが、「30代はとにかく家庭が第一でした」にガツンとやられたはず。
 表紙モデルの誘いが来て、躊躇していたが、「私の背中を押してくれたのは、夫でした」というのである。夫とはオリックス・バファローズの清原和博選手である。亭主関白の典型みたいなイメージがある清原選手が「なにが表紙モデルや。そんなことする暇があったら、もっと子供やワイの面倒をみたらんかい」などと言うかと思いきや、モデルになることを薦めたというのである。
 もちろん清原亜希さんは素人の専業主婦ではなく、結婚前はモデルでアイドルだったし、結婚・出産後もテレビCMや雑誌広告の仕事を続けてきたのではあるが。
 清原さん表紙デビューの4月号は、大特集「自由を得た日にしたいこと、着たい服」である。家庭から社会に出て働くことを「自由を得た」と表現するのだろうか。なかなか意味深長な特集だ。
 もっとも、私の関心は、黒田さんの今後である。『JJ』、『VERY』、『STORY』と来たのだから、当然、次は50代女性誌の表紙モデル、イメージキャラクターとして登場するのではないか。どんな雑誌になるのか、それが楽しみだ。


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