特集 2007.12/vol.10-No.9

広告賞から見たクリエイティブの今
アートディレクションと新しき良き時代の広告
 東京アートディレクターズクラブは、入会資格の非常に厳しい少数精鋭の団体として知られている。アートディレクションという視点から毎年選ばれるADC賞だが、そこからはどのような最近の広告状況が見えてくるのだろうか。2005年からADC賞の審査員長を務める葛西薫氏に聞いた。


――ADCは1952年の設立ですが、会員数は84人(07年11月現在)と少ないですね。ADC賞を取ったからといって入会できるわけではないと聞いていますが。
 ADC賞の受賞者じゃないともちろん会員になれないのですが、ここ数年の仕事を見て、全会員で候補者を挙げて投票し、さらに会員によって選ばれた委員がディスカッションして決定します。

あらゆるものがデザインの対象

――そのADC賞ですが、どのような方法で選考しているのでしょうか。
 会員全員の投票によって審査するというのが基本的な選考方法です。会員も実際の制作者であるわけで、自分たちの作品を含め応募作品を審査します。ADC賞の大きな特徴は、対象が幅広いことですね。
 例えば、TCC賞はコピーライターがコピーについて審査をするという非常にシンプルな仕組みですけど、ADC賞はテレビCMもあれば、パッケージデザイン、環境デザイン、さらには本の装丁や小さなDMまでを対象にしていて、それを横並びにして、ADC賞、ADC会員賞、グランプリを決めています。ですから、パッケージデザイナーが広告の審査をし、テレビCMを作っている人たちが環境デザインについて投票することがあるわけです。

――ADC賞は広告デザインに限った賞ではないということですね。
 ADCはアート・ディレクターズ・クラブ、つまりアートディレクターの集まりです。それぞれ職分はありますが、その真意は、言ってみればより良いコミュニケーション活動のために、デザイン、あるいは情報を客観的にコントロールできる力の持ち主たちの集まりがADCということなんです。ですから、ADC賞はアートディレクションを広義にとらえているんですね。アートディレクションする力がなければ、テレビCMもスペースデザインもパッケージデザインもできないという前提で審査しているんです。それは、設立当初からそうなんですね。
 ただ、以前は確かに、グラフィックデザイン派とアドバタイジング派という二つの大きな流れがあったと思います。しかし、最近はそれも混然となって、二派どころかプロダクト的なものもあれば、ディスプレー、イベントまでアートディレクションの領域になっている。例えば、佐藤卓さんは、最近、21_21デザインサイトで水をテーマにした「water」展のディレクションをしていますね。そういうキュレーター的仕事をやっているアートディレクターも増えてきています。ようやくアートディレクターズクラブが発足したとき目指した理想に近づいてきたと思いますね。

――いま一つわかりにくいのは、アートディレクションとデザインの違いですが。
 アートディレクションとデザインという言葉の意味は、大いに重なってきていると思いますね。デザインという言葉は、最近はデザイナーだけのものではなくなってきています。未来をデザインするとか、世の中の物事をカタチにする行為に共通に使える言葉になってきています。「予算をこのようにデザインしました」という言い方さえできないことはない。
 そういうところに段々グラフィックデザイナーのデザインという言葉も近づいて来たと思います。表層的なカタチを作るのではなく、カタチになる以前に方向を定めて、結果的に必然的なカタチができてくるというのがデザインだと思うんです。だから、デザインも結局はアートディレクションだと僕は思っています。

新しき良き時代のキャンペーン

――今年のADCグランプリは、ソフトバンクとソフトバンクモバイル「SoftBank」のCI、環境空間、コマーシャルフィルムですね。大貫卓也さん、佐々木宏さん、田中秀幸さんの3人が受賞されていますが。
  ADCグランプリ
AD/CD 大貫卓也
CD 佐々木宏
フィルムD 田中秀幸
「SoftBank」のテレビCI
「SoftBank」のCM
 これは、プロの仕事という感じがしましたね。いかにも広告然としていて、しかも商品のデザイン、ディスプレー、テレビCM、グラフィック広告全体が立体的にデザインされています。
 このキャンペーンの特徴は、いわゆるキャッチフレーズが耳に残らないことです。言葉のないキャンペーンという印象を強く受けましたね。ただ、残像感が非常にある。ショップのデザインや、テレビCMのキャメロン・ディアスやブラッド・ピッドが格好よく歩いている姿には、ものすごく残像感がありますね。音楽に乗っていい気分で携帯を片手に街を歩く。それだけなのに、閉塞感がある今の世の中を元気にしてくれるところがある。街の風景が変わったなと思ったんですよ。
 古き良き時代という言葉がありますが、このキャンペーンを見て、「新しき良き時代」という言葉が僕の中に浮かんだんですね。なぜかというと、広告が元気だった頃の気分にちょっと似ているんですよ。世の中が一回りして、広告を見て楽しくなったり、元気にしてくれるという匂いを持った広告が久しぶりに出てきたと思いましたね。
 よく見ると、すべて昔からある手法なんです。有名スターが出てきて、音楽に乗って商品が出てくる。その上でそぎ取るものはそぎ取って、ものすごく丹念に作られているから格好いいですよね。ビルボードもただ携帯電話を持ってこっちを見ているだけの普通の写真だけれど、すべて潔くて、完成度が高いのです。コピーライターはどう思うかわかりませんが、言葉ではなくて、仕組みで、キャンペーンの構造で勝負している一連の仕事だと思います。

――仕組みというのは?
 グラフィック広告ではこうする、ショップはこうする、取扱説明書はこうするという作り方ですね。一つの標語で引っ張るのではなくて、全体の相関関係が効果を生んでいる。

――この広告にはコピーはありませんが、ロゴタイプが「イコールソフトバンク」というスローガンに見えてきますね。
 よくロゴタイプの周りに「明日のために」のような、いかにもスローガンというコピーが入っていますが、ソフトバンクの場合、一切丸裸で、その潔さが格好よさになっているし、自信を表現していると思いますね。

ADC賞の傾向はさまざま

――ADC賞の岡室健さんのなかよし幼稚園「FEEL TYPE」のポスター、グラフィックデザインですが、アルファベットの風船というアイデアがいいですね。
 幼稚園の教育という目的があって、子どもたちが初めて学ぶ遊び道具として何を与えるかということをすごく深く考えて作られていると思いますね。実際にこの風船で遊んでいる子どもたちの写真も見ましたが、アルファベットと数字の風船というアイデアが先にあって、それを幼稚園に売り込もうということではなくて、子どもたちの教育という目的が先にあって、結果的に出てきたアイデアだと思うんです。
 大人ものんびり、ほのぼのした気分になりますね。風船を青空の中にレイアウトするというところには、グラフィックデザイナーの“切り込み”が入っていますが。

――ある意味、ほっとさせてくれる作品ですね。
 「デジタルだ」「スピードだ」ばかりでは人間心もとなくなりますよね。審査するほうだって人間ですから、格好いい広告を見た後に野原に出たような気持ちにさせる作品を見たら、票を入れたくなりますよ。
 ADCの審査をやっていていつも思うのは、今年の傾向というような総論を言うのはなかなかむずかしいということです。あえて言うなら、その年のグランプリがADCの総意ということになるかもしれませんが、受賞作を見渡すと、渋いものもあれば、かわいらしいものもある。一見、総花的に見えるかもしれないけれど、大きなひとつの群れとして見ると、現在と未来の視点で選ばれていると感じます。

ADC賞
AD 岡室健
なかよし幼稚園
「FEEL TYPE」のポスター、グラフィックデザイン

――秋山晶さんのキユーピーはADC賞だけでなく、TCC賞にも選ばれていますが。
 ニューヨークの街をヘリコプターで俯瞰で追って、そこに野菜が浮かんでいる。完成度の高さというか、キユーピーは安定的にすごいことをやっていると思いますね。それとコピーが良かった。ナレーションの中に「人が空中に住みはじめてからまだ、20年はたっていない」という言葉があったんですけど、都市生活者にちゃんと伝わる言葉で語りかけている。だから、マヨネーズが必要なんだということが言外に伝わってきますね。特に音の完成度、音楽との関係がすごいんじゃないですか。

――音と言えば、さすがにラジオCMはADC賞の対象にはなっていないですね。
 ええ。でも僕は、ウーロン茶やユナイテッドアローズの仕事の流れで、ラジオコマーシャルを作ったことがありますが、やってみるとデザインと同じだなと思いました。結局、時間配分がレイアウトだったり、ナレーターを選ぶことが書体を選ぶようなものだし、そんなに変わらないなと思いますね。やりたいこと、伝えたいことがはっきりしていればラジオCMもデザインだと思います。

新聞は熟成されたメディア

――今回、ADC賞を取った新聞広告としては?
 「エアバス A380」の広告がありますね。ただ、新聞広告と雑誌広告は、ここ数年、数量的に低調です。みんなモニターでインターネットばかり見ていて、新聞や雑誌の活字を見る時間が少なくなっている。クライアントも効率を考えて新聞離れを起こしているようなところがある。僕自身も、それは普段の仕事で体感しています。
 最近はいろいろなメディアが増えていますが、僕は新聞は帰って来るところというか、港のようなもので、ここに戻ってこないと広告の中心がなくなるような感覚があるんです。新聞広告を作るときは、少し気持ちが変わる。少しまじめになるというか。新聞だからこそ、新聞らしくないものを作って目立つようにしようということもよくやることですが、それもやはり新聞というメディアを意識しているからだと思うんですね。
 新聞広告が低調な理由には、若い広告の作り手やクライアントの担当者たちが「新聞のリズム」を持っていないこともあると思います。僕らが若い頃は、「この広告が全国の家庭で一斉に見られている」と思うと、新聞広告を作ることが楽しくて楽しくてしょうがなかったのですが、そういう経験をしていないから、新聞広告に対する感覚を持っていないんですね。若い広告の作り手やクライアントの担当者たちが真剣になって取り組んだら、新聞広告はグーンとよくなると思うんですけどね。誰かがいい新聞広告を作れば、変わると思うんです。
 例えば「チラシ」のことを「フライヤー」と呼ぶと生き生きとしますよね。新聞もちょっとスイッチを変えるだけで生き生きとする可能性は非常にあると思っています。

――そのスイッチをどうやったら変えられるかですが。
 これまで新聞は大量印刷物というイメージがありましたが、僕は今はむしろ新聞は「版画」だと思ったほうがいいと思っているんです。版画というのは直接インクを吸っているわけです。刷りによって微妙に色が違うんですね。新聞も、同じ広告なのに新聞社によって赤っぽかったり青っぽかったりする。これまでは、そういう時は新聞社や広告制作者のカラーコントロールが悪いじゃないかとクライアントから怒られたわけですが、僕はそれが新聞の良さじゃないかと、ふとある時考えたんです。これは1枚しかない非常に個的な印刷物だと。そう思うと自分だけに与えられたように思って、その色のばらつきが、いとおしくなってくるんです。そこに印刷されている情報さえもいとおしくなってくる。
 ウェブやメールの情報は、それこそ均質化、均一化された情報です。輪転機でインクを使って刷って、触れば手が黒くなるということは、いいことだと思うんです。肌合いや皮膚感があるわけです。雨が降ったら濡れるから、ビニールに包まれて新聞が届けられる。それは、人間本来の生活の営みにリンクしていると思うんです。
 それから、古くなったら読む気はなくなるかというと、そんなこともなくて、僕なんか1週間分まとめて読んだりすることもあるし、インターネットとはまったく時間軸が違いますよね。異相の時間軸の楽しみを持っている新聞というのは、貴重なメディアだと思うのです。同じニュースを知るためのメディアでも、新聞は熟成されたというか、テレビやインターネットなどとは違う速度を持ったメディアだと思いますね。

ADC賞 AD 野上隆生 Airbus S.A.S.「エアバス A380」の新聞広告(ほかにポスター)

皮膚感覚を避ける風潮

――ソフトバンクの広告を「キャッチフレーズが耳に残らない広告」とおっしゃいましたが、最近の広告の中でコピーの存在感が小さくなっていると思うのですが。
 それは、僕もよく考えるんですよ。なぜこうなったのか。僕なんかは、コピーというか、言葉がすてきなものに憧れる世代だし、若いころはそういう時代だったんです。今は、世の中に言葉に対する憧れが少なくなって、すごく寂しい気がしますね。
 記号的な言葉はあるけれど、汗水とか、苦労とか、匂いだとか、そういうものを世の中が嫌っていますよね。よく言えば清潔好きというか。
 今の時代、人から自分のホンネや深層心理を指摘されると余計なお世話という感覚がある。もちろん自分の心の中にはドロドロしたものはあると思うのですが、それは一種の汚れというか、自分にとって必要のないものとしておきたい。そういう皮膚感覚を避けるような風潮と、言葉遣いがなくなったこととは関係している気がするんです。
 もっと乾いたコミュニケーションで、必要なものだけは手に入れる。しかし、一方で、一度受け入れてしまうと怖いぐらい深いところに入ってしまうところもある。自殺サイトで実際に人が死んでしまうというのも、人から指摘されることを嫌う心理の裏返しのような気がするんです。普段から友だちと唾を飛ばしてしゃべるようなことをしていれば、それでもうスッキリするはずなんですけどね。生々しいことを避ける風潮が、コピーの存在感を小さくしている背景にあるような気がしますね。

デザイン以前のデザインを

――広告の作り手として、そういう人たちに対して、どう対処すべきだとお考えですか。
 今は、頭の中にある2つの回路の片方しか使っていない気がするんです。身体能力の半分、いやもっとそれ以上を占める皮膚感覚を忘れているんです。
 経済の考え方も、スピード、安いこと、均質化、グローバル化という同じような方向を向いている。企業も人を見るとき、個人ではなくて大衆という全体を一人と考えている気がします。十把ひとからげに数撃ちゃ当たるというか、網を広げて、そこにある程度ひっかかればいいみたいな、大雑把な対処の仕方になっている。
 でも、本当は人間は一人ひとり個性も違うし、趣味も違うわけだから、広告を作る立場としては、マスではなくて一人の人に伝えるという気持ちを忘れてはいけないと思うんですね。
 広告を作る人も個人なんです。感情的とか、皮膚感とか、手触りとか、使い古した言葉かもしれないけれど、よくよくかみしめるとすごく大切な言葉で、それを意識するとしないのとでは、物事が伝わる深さが随分違うと思うのです。
 インターネットができて、一見ウェブやメールでみんなつながっているように見えるけれど、実はみんなバラバラですよね。電車の中でヘッドホンをして音楽を聞いている人は、実は電車の中にはいなくて、自分の世界にいるわけです。
 本音でいえば僕は、広告の作り手が、今のそういう風潮に加担してきたのではないかと、時々罪の意識を感じることがあります。広告というのは、基本的にイケイケじゃないですか。いつも勝負ですよね。市場争いに巻き込まれているわけです。とにかく、売り上げグラフをできるだけ早く上げなければいけない。
 偉そうなことは言えないけれど、「これは急がなくてもいいんじゃないですか。その代わりこんな広告があります」と、誰かが言うべき時代に来ているのではないかと思います。今のこのスピードで行ったら、10年先、100年先はどうなるか。そういう想像力を働かせて、「今この時点でやるべきことはこういうことではないですか」と言うのも僕らの役割ではないかと思います。企業の中にいたら言えないけれど、僕らのように外部の人間だから言えることもあると思うんです。
 そこにはじめに言ったデザインという言葉が関係してくると思うんです。アートディレクターは、未来をデザインしないといけない。あるいは、子どもたちが大きくなったころを想像して、それをデザインしないといけないんですね。表層だけのデザインをやっていると、世の中全部が崩れていくと思いますね。それがデザインという言葉の真意ではないかなと思います。
 だから、広告をする前に広告以前のところにかかわって、それからパッケージデザインを起こしましょうとか、こういう広告にしましょうというところまで来て、ようやくデザインが表面に出てくる。そういうデザイン以前のデザインを、これからはアートディレクターに限らず、コピーライターもクリエイティブディレクターもやるべきだと思いますね。

変化球から直球勝負の時代へ

――最後に、もう少し短期的に広告はどうなるかについてお聞きしたいのですが。
 最近は、ギャグとか人の裏をかくとか、そういう広告が受ける。それはよくわかるのですが、中心をわざわざ外している気がするんです。相手が変化球で来たらこっちも技で返すみたいなところがありますね。まっすぐに語ることを照れているところがあります。それも、生々しい生活感や皮膚感を避ける風潮の裏返しだと思います。
 直球があって初めて変化球も生きるんで、みんな変化球ばかり投げ始めると、それに今度は飽きるかもしれないですね。そろそろ直球を投げようよと、みんな思っている気がします。お笑いや面白い広告も悪くはないけれど、みんなそっちに向かうのは怖いというか寂しい気がしますね。半分ぐらいそうじゃない広告があっていいと思いますね。

――グランプリのソフトバンクの広告は直球勝負ですか。
 真っ向勝負ですね。逃げ道がどこにもないところで勝負している。表現のすべての要素を大切にしている。そういう意味では久々な感じがしたんですよ。それが古き良き時代を感じさせるし、これはもしかしたら新しき良き時代の到来かなと僕は思ったんですね。
 小手先のレトリックではなくて、こういうときにこの音楽を聞いて、大股で街を歩くって気持ちいいよねということが、言葉なしに伝わってくる。人間のカラダが一番感じる部分に直接伝わる広告だという気がしたんです。携帯電話で話しながら街中を歩くことは格好いいことなんだというのを言葉なしで伝えてくれている。ADC賞グランプリのソフトバンクの広告は、そういう直球ですよね。



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コピーライター TCC会長 仲畑貴志氏→


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