こちら宣伝倶楽部 2007.10/vol.10-No.7

「やめる」と「残す」の研究

イラスト 「(社)日本広告主協会」(会員287社)はこの2月をもって創立50周年を迎え、これを機に6月12日から団体名を「(社)日本アドバタイザーズ協会」と改称した。広告界のすべての人たちと真のイコールパートナーとしてというのが理由らしいが、「広告主」という言葉では生意気に睥睨しているように見えぬかというのが、一歩引いた謙虚な理由らしい。生意気は困るが自信と責任を持つ、広告の源泉としての誇りと自覚を持つことは忘れてほしくない。

男と女の愛のようなもの

 その協会の新中長期5か年計画のトップに掲げられているのは「広告取引の透明性と効率化の更なる推進」だ。この中には取引基本契約書のこと、広告効果測定のこと、媒体費・制作費の研究と効率化のこと、媒体基礎データ整備のことなど、どうもはっきりしないままのことについて、その必要性から本格的に取り組んで解明していこうとしている。多くの議論と葛藤が予測され、これは真正面から取り組みリードしていく姿勢と決意こそが、改名改称より前へ出したい大切な50周年記念事業だと思っている。
 さて、その取引の透明性、その裏には不透明があるわけだが、そのひとつの広告効果は広告環境が厳しくなる一方で、各広告主企業わけてもその所轄担当は上層部からこまごまと責められている。いわく効果を立証せよ、いわくそのコストの根拠を説明せよ、いわく提案通りにならなかったらその保証は誰がしてくれるのかなど、答えがあるようでないものがまだまだ多く、広告業界そのものへの不信感が、冷静な常識人としての経営上層部にあってもおかしくない。
 例えば広告の効果。ある大学教授の見解は「男女間の愛情」のようなもの、愛されているのはわかるがどれくらい愛されているかはわからないもの(ほじくりかえさない方がよいかも)だそうだ。これでは会社の中で宣伝部長が社長や事業部長にかえす答えにはならない。
 私はいつもこういう時、乱暴だが効果がどうしても知りたければ、わかりたければ、すべての広告宣伝活動をストップして様子や反応を見ればよろしいということにしている。広告はやらなければやらないでもすむが、やらぬよりやった方がよいことは多い。やらずにすむのは地域と期間限定の小プロジェクトの場合、それ以外の全国区ねらいの中型以上で長期の、ブランドがらみのプロジェクトの場合、広告という方法を通して「知らせる義務と責任」を遂行する。

プラスの連鎖のために

 華やかに思えても各社の広告をとりまく環境は厳しい。本業が比較的順調な時ならうまくいく社内コミュニケーションも、希望のもてない推移が続くとこじれだし、広告という対外的な仕事の大半は社内的なことに神経をとられ、内部疲れしてしまうようなことが増えてくる。宣伝部の弱体化をいう人も増え、そのポジションが冴えず、優秀な人材の配置についても消極的なところがまだまだ多い。大切なことは「マイナスの連鎖」を「プラスの連鎖」にかえていくこと。宣伝部と宣伝部長の腕の見せどころ、存在感をアピールするチャンスだ。シミュレーションからでもいいから思いきった策を講じてみること。広告会社などに相談しないでやってみる。ここでの提案はそういうレベルの話だ。
 前に少しふれたが思いきって自社の広告宣伝をやめてみる、もしくは「積極的縮小」を考えてみること。世の中には「超弱小広告主」と「それ以外」があり、「超弱小」は広告を休んでもさほど大きなビジネス上の影響はない。その逆に「超大型広告主」の場合は広告をやめてしまうわけにはいかなくとも、一部やめる、一部縮小し、減額してみるのは、思ったほどに営業ダメージを受けたり、与えたりしないものだ。
 やっかいなのは「小規模広告主」でも「大型広告主」でもないその中間「中小規模広告主」はどうするかということ。頭が痛いのは日本の広告主の大半はこのタイプ、だから広告をやめてみる、縮小してみるのは悩ましい話になる。
 広告予算はかなり変動的、広告の主題(商品やサービスの情報)がやや平凡、営業力は必ずしも一級ではない、宣伝理解力も低い、担当も辞令仕事でくらいつく迫力に欠けるなど、このレベルの「中小広告主」が残念ながら日本の広告主の主流ではないだろうか。広告に関する身辺整理をして、常識、あたり前だと思ってきたことの洗いなおしが重点仕事になっている。

クールに身辺整理を

 広告活動をやめてみる。全体計画をやめるのはハイリスキーだが、一部を縮小、修正するのはできないことではない。軌道修正は新しい前進だ。広告をやめたら営業マンが足を使ってよく歩き、よく説明するようになったという話がある。新製品の発表をストップしたら、既存商品を組み合わせて新しいセット販売で活路を見いだし、まったく新しいルートやチャネルを開発し、展開シーンを増やしたという例もある。
 計画の一部修正というのは、片よったメディア配分の是正であり、量の不足はどこかに集約して散らばりを集中させる工夫のことだ。惰性になったテレビ広告偏重が、広告計画の全体像を歪めているとしたら、テレビを「やめる」か「減らす」もひとつの判断だ。ちから及ばずの広告宣伝だったら、やるよりやらない方がプラスということもあり得る。このアドバイスは広告会社もメディアもしてくれない。ちょっと立ち止まって広告の身辺整理を少しクールになってやってみるときだと思う。
 もうひとつ、これもやる気になってみたいのは与えられた広告宣伝予算を「残す」ということ。役所の年度予算のように使いきってしまわないと実績にならず、次年度に不利になるなどと考えないこと。たとえ100万でも200万でも予算を残して年度を締める、あるいはプロジェクトをまとめあげる、それがプロという信頼の仕事をする人の仕事ぶりだ。もちろん与えられた仕事の成果は予定以上のスコアと実績で仕上げること。これは「やめる」や「縮小する」ことより実現性が高い。投資であれ経費であれその経営的関心は高くなり、その効果や成果の実証を求める社内常識はますます厳しくなる。そのひとつひとつに説得性のある報告や説明をすることは大事だが、あらぶらず、はしゃぎすぎずの謙虚なマネジメント仕事が、部門仕事の信用や信頼をサポートしていくことになる。いったんちょっと引いてみることを研究してほしい。

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