特集 2007.6/vol.10-No.3

今こそ、広告で語れ!


 オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパンのチーフ・クリエイティブ・オフィサー小田桐昭氏は、40年近く電通でテレビCMを中心にクリエイティブディレクターとして活躍してきた。テレビの黎明期から日本の広告を見てきた小田桐氏の目に、今の日本の広告状況はどのように映っているのだろうか。


──広告が効かなくなったと言われることについて、どう思われますか。
 難しい質問ですね。まず、「人とモノとの関係」が変わったのは確かです。つまり、ものがあふれて、それもみんな似たようなものばっかりになっていますから、買いたいものがなくなった。たしかに一般にはそう言われています。でも、買いたいものがなくなったと言われながら、新商品は出ていますし、それでいい商品が出れば、それなりにちゃんと売れて、それなりのマーケットができているわけですから、消費意欲がなくなっているということではないと思うんです。
 人がものを買う理由には、もちろん何かに役に立つものを買いたいということもありますが、それだけでなく、「買いたい欲望」というものが人間にはありますよね。買うことが楽しい、新しいものを手に入れるのが楽しいという心理がある。
 広告が効かなくなっているとしたら、そういう「買いたい欲望」を喚起するようなメッセージが、広告を通してほとんど届けられていないからだと思います。つまり、広告が商品についてきちんと語っていないということです。デビッド・オグルヴィは、“we sell, or else.”と言っています。効かない広告を作ることほど悲しいことはありません。

商品を語らなくなった広告

──商品格差がなくなって、広告で語ることがなくなったということはないですか。
 むしろ、作っている側が語ることがないと思っているのかもしれないですね。ものを作るには理由があります。どんなものであれ、それが世の中に生まれた理由があるはずです。それがほとんど広告の中で語られていない。だから、人々のものに対する関心が少なくなっているところに自分とものの関係が語られないので、ものを買いたいと思わないという悪循環に陥っている。
 ものを作っている側に自信がないこともあるかもしれません。その自信のなさが、パワーで突破する広告手法を選ばせているところもあると思います。依然として、短いテレビの15秒スポットの大量投下で刺激の量を増やそうという広告キャンペーンは減っていません。15秒スポットは商品名を言うだけで、あとはインターネットにまかせるという形になっている。結果的にテレビCMをつまらなくしていると思いますね。

ポスター化した新聞広告

──新聞広告についてはどう見ていますか。
 新聞広告も、どんどんポスター化しています。「新聞をめくる0.何秒の間に目を留めなければ新聞広告は見られない」という言葉に惑わされ過ぎている気がしますね。
 少し前までは、その商品についてもっと知りたければ新聞広告で語る、というようになっていた。人々が興味をひくように商品を語る技術が新聞広告にはあったんです。

──新聞もポスター化したことで、インターネットぐらいしか商品を語る場がなくなってしまった?
 では、みんなインターネットを見に行くかというと、普通の人たちが何の理由もなくインターネットへ行くことはあまりないと思うんですね。インターネットへの誘導を意図したテレビCMもありますが、基本は自分で探せということですから、普通の消費者は放置されている感じはありますね。
 それと、テレビCMがおもしろくなくなったもう一つの大きな理由は、消費者を対象にするのではなく、流通向けになったことがあります。

──それは、いつごろからですか。
 1990年代、バブルが崩壊してからですね。そのころからCMで流通の棚を取ると言われていました。非常に内向きの事情に広告を使うようになったんですね。
 タレントを配して、いかにも消費者向けに広告をやっているようにみせて、実は流通に向かっていた。

本当のクリエイティブとは

──バブルの崩壊以降、15秒スポットが多くなったと言われていますね。
 15秒スポットが中心になってから、広告が変わってしまったんですね。それは「1日何回見れば必ず到達します」という論法なんです。広告のクリエイティブというのは「1回見たら忘れないものを作る」というのが本来で、それが効率のいいコミュニケーションなのです。
 でも、そういうクリエイティブなアイデアは説明しにくい。それより、人気タレントを使って「何千GRPやりますよ」と言えば、流通の人たちにもすぐ理解されるから、この商品は売れるだろうということで棚に置いてもらえる。
 しかも、広告を到達させるためには、そこに大量の広告投下が必要ですから、ほとんどの広告予算をテレビCMのために使うようになったのです。だから、ますます商品のことを語る場所がなくなったんですね。
 その商品を説明する場としてインターネットが期待されていますが、今のインターネットは、ある意味非常に無責任に使われていると思います。インターネットはメディアフィーがないから、お金をかけなくていいものと思われているところがあるからです。もし、そこで商品を売りたいなら、もっときちんとお金をかけてサイトを作らなければいけません。

──クリエイティブにお金を払うという発想がなかったことが、インターネットの企業サイトにも反映している?
 インターネットにも、きちんとしたクリエイティブが必要だと考えているクライアントは少ないと思いますね。
 ところで、広告が機能しなくなった、マスメディアがダメになったと言われていますが、本当にそうなのかなと思います。日本人くらいテレビを見たり新聞を読んだりする人たちはいません。新聞は特にそうだと思います。1000万部の読者がいる新聞なんて、よその国にはありません。
 インターネットというのは、ある意味閉ざされた、同質の世界です。コミュニティーサイトが注目されていますが、そこには同じ考えや同じ好みの人が集まります。ほかの違う人たちが何を考えているか、もっと言うと世の中が何を考えているかがわからない。
 人間はやはり社会的な動物ですから、インターネットだけだと不安なはずなんですね。今の世の中は、インターネットばかりに目が行って、そういうマスメディアの力をちゃんと使っていない気がします。

広告は社会的な価値を作るもの

──社会的な価値がブランドだと小田桐さんはおっしゃっていますね。
 そう思います。その社会的な価値を作るために重要な役割を果たしているのがマスメディアだと思います。新聞も世の中の価値をきちっと整理していくのが役割ですよね。
 インターネットに、最近はプロのブロガーがいるという話を聞きます。その人たちをいかにつかんで、その人たちから情報を発信させるか。広告的にも注目されていますが、実は、それも完全にマスメディア的な発想ですよね。あの人が言うから、自分が感じていたことは正しいと思う。そういう心理を利用している。自分の価値観が世の中の価値観と合わないと、人は心配なんですね。

──たとえば低価格の商品が、おもしろいCMで売れるということもありますが。
 おもしろいから買うのも、さっき言った「ものを買う楽しみ」の一つです。おもしろそうだから試しに買ってみる、あるいは人よりも先にそれを評価したいという楽しみもあるでしょう。人間の欲求は、多様なんです。

──それも広い意味では社会的価値なのでしょうか。
 だと思いますね。つまり社会の中で人間は自分のポジションを決めるということもあるけれど、自分の楽しみ方や自分の感じ方を確かめながら生きているところがあります。逆に言えば、自分の価値を自分で決められる人というのは、特別な人なんです。だれの意見も聞かず物事の本質を見極める人もいるにはいますが、それはたぶん何万人、何十万人に一人という人たちだと思います。

広告の機能は「人の心を動かす」

──最近、そういう広告の社会的機能が忘れられているような気がするのですが。
 広告の基本的な機能は、人の心を動かすことです。ものを売ることも広い意味ではそうですし、人の考え方を変えて、ある行動を取らせることもそうです。あるいは、そのものを好きにさせるとか、その人の今までの見方をがらりと変える、広告にはそういう機能があるんです。人の心を動かすとは、言い方を変えれば、「人とモノとの関係」をよりよい関係にしていくことです。それが、われわれの仕事だと思うんですね。
 では、バブル崩壊以降のこの十数年、広告がそういう役割を果たしてきたかというと、そうは言えないと思うんです。

──90年以降で言えば、たとえば佐藤雅彦さんがいると思うのですが。
 彼が出てきたのは90年の初めです。彼は、今のCMは商品のことをちゃんと語っていないと言って、クリエイティブの世界へ入ってきました。 たとえば彼の「モルツ」の広告がありますね。「モルツ、モルツ、モルツ、モルツ」とつい口ずさんだり、つい体を動かしてしまう。それも、人の心を動かす一つの方法には違いありません。

──しかし、佐藤雅彦さんの作る広告は、特に商品を説明しているわけではないですよね。
 でも、あのCMの中には商品のストーリーがちゃんとあります。飲みたかったのに飲めなくなったとか、飲もうとしたら何か起きたとか、いつも人間の欲望と商品が絡んでいるんです。彼が描いているのは「商品と人との関係」です。

──ビールの成分を言うことが、広告ではない?
 ビールを薀蓄で飲む人はそれほどいなくて、飲んで気持ちいいかおいしいかですよね。それも、広告でできたある種の関係で、味も変わってきます。人間は非常にいい加減で、好きな人の言葉はちゃんと聞くけれど、嫌いな人から正しいことを言われることほど頭に来ることはなくて、反発するじゃないですか(笑)。
 ですから、商品なら商品の人格やキャラクター、消費者への近寄り方が重要になってくるんです。90年代以降の広告は、そういう「人とモノとの関係」を作るものが、極端に少なくなったと思うんですね。

──15秒スポットの大量投下では、それは作れない?
 単なる広告の大量投下というのは、力で押せばなんとかなるという考え方ですね。でも広告をやめて刺激がなくなると、すぐに売れなくなります。何かメッセージを伝えていたわけではないので、人の心の中に何も残らないのです。


商品を語ることの意味

──小田桐さんのおっしゃっている「商品について語る」というのは、単なる商品説明のことではない?
 そうですね。今は「いい商品」は、当たり前なんですね。悪い商品であればすぐに社会的に糾弾され、売れなくなってしまいます。だから、いい商品であることが今の広告の前提なんです。
 以前、差別化ということが言われ、USP(注)が大事だとされた時代がありました。競合商品と違うところがあればいいというので、一つ、また一つと機能を足していった。その分ボタンが増えて、結局使われないボタンだらけになって、商品の力を結果的に弱めることにもなってしまったんです。
 商品は本質的なところに磨きをかけなくてはいけないという話で、オーディオ機器なら音がいいことが一番大事だということです。今は、そのメーカーの商品に対するフィロソフィーが大事になってきて、そういう会社が生き残っていく時代なんです。
 いい商品にどれだけ愛情を感じているか、いい商品にどういうストーリーがあるか、いい商品を作っている人はどういう人か、その商品にまつわるいろいろなエピソードが、今は商品について語るべきものになるわけです。
 結局そういうものがブランドを作っていくし、人とその商品との関係を深くしていく。しかし、最近は、「私はこういう人間です」と言わない広告が多い。消費者に近寄っていっていないんですね。
(注)Unique Selling Proposition、またはUnique Selling Pointのこと。その商品にしかない売りもの、特徴。

──それだと、人と商品の関係もできないし、人の記憶にも残っていかない?
 そうなんです。ですから今の広告は、刺激を与えるだけの広告になってしまっている。でも、本当の友だちなら、手紙が来なくてもその人のことを思っていたり、たまに手紙が来るとすごくうれしいはずなんです。それは「人とモノとの関係」も同じです。ところが最近の広告は、そこに向かっていないんですね。

──それが今の広告の抱える最大の問題だと。
 広告を積み重ねていくことがブランドを作り、消費者との関係を深めていくという発想に立っていないですから、広告が投資にならないんですね。

クライアントとの信頼関係

──以前の広告は、もっと長期的視点に立っていた?
 僕のやっていた仕事は全部10年以上続いたものばかりです。以前はブランド広告という言葉はあまりありませんでしたが、トーンアンドマナーをそろえて、広告を見る消費者にどういう気持ちを残していくかという意識は常にありました。
 それができたのは、クライアントとの間に信頼関係があったからだと思います。組織と組織の間にできていたかというとそうではなくて、やはり個人と個人のつながりでできていた。今そういう信頼関係ができにくくなっている状況があります。

──なぜですか。
 宣伝部員がローテーションで代わるようになったことが大きいですね。以前のように宣伝部一筋で、広告会社の人間以上に広告がわかっているプロがいなくなった。それから、事業部制になって、重要な情報が宣伝部に伝わりにくくなったこともありますね。
 ですから、ものが売れなくなった原因にもし広告があるとすれば、宣伝部の弱体化がもうひとつの原因だと思います。コミュニケーションを重要な経営資源として認識していない企業が多いと思うんです。
 商品の認知率が過度に重視されるのも、そういう事情があると思います。認知率は広告の内容ではなく、投下量にある程度比例します。つまり、広告をたくさんやれば認知率は上がるし、客観的な数字で出ますから社内の評価も得やすいんですね。それが、認知率がさほど必要ではない商品や企業までもが15秒のテレビスポットの大量投下に向かった要因でもあるのです。そういう意味では広告全体が今、非常に悪いスパイラルに陥っているとも言えるんですね。

広告を変えるのはクライアント

──そのスパイラルを抜け出す方法ですが。
 これまでの広告は、消費者とのコミュニケーションが大事といいながら、実は、消費者と真正面から向き合っていなかった。 認知率重視がいい例です。表現は数字に置き換えることができないものなんです。
 まず、広告の基本は人の心を動かすことだということに立ち返るべきだと思いますね。やはり消費者の気持ちをつかまえるのは、「ほかにないクリエイティブやアイデア」です。

──同じような商品がこれだけ多くても、それは可能ですか。
 アイデアは無限なんです。問題は広告を評価する軸が、「これで人の気持ちをつかめるか」という問いになっていないことだと思いますね。広告を見る目が内向きになっている企業が多いのでは、とつい思ってしまいます。
 昔の話をすれば、もちろんいい広告を作るためですが、クライアントとけんかもよくしましたし、それで出入り禁止になることもなかった。つまり、いい広告ができたり、広告が弾んでいてみずみずしくて、人々がそれにひかれる広告が生まれるには、クライアントとのパートナーとしての信頼関係がないとダメだと思うんですね。
 だから、さっきからクライアントの悪口ばかり言ってますが(笑)、ぼくは日本の広告を変えるのはクライアントだと思っています。広告会社が今の広告の仕組みを変えたくないという見方もありますが、その広告会社が今の仕組みを一番変えたいと思っているはずなんです。このままでは日本の広告はダメになるという恐怖は、だれもが持っているのではないかと思います。
 だから、クライアントの意識次第だと思います。クライアントが広告の効果を信じ、コミュニケーションで問題を解決したり、何かを生みだすことを信じていれば、必ず日本の広告は変わると思います。

──外資系企業は、広告キャンペーンの目標は明示するが、広告表現には口を出さないと聞きますが。
 欧米ではおおむねそうですね。一つはクライアントの宣伝の責任者に広告会社の出身者が多くて、広告目的と表現の関係をよくわかっています。つまり、達成すべき目標と、その達成のために表現をどこまで制約したり、広げたり、自由にしたりすべきかがわかっている。

「表現」が人を動かす

──小田桐さんのおっしゃっている「表現」の意味ですが。
 ぼくたちは、広告のための広告を作っているのではなくて、消費者を喜ばすための広告を作っているんです。その表現が人を動かす。でも最近のクライアントは、効果的な表現を嫌がるところもあるんですね。

──表現を嫌がるというのは、どういうことですか?
 広告の表現というのは、たとえば消費者が商品やサービスに無意識に抱いている欲望を取り出すわけです。それを人々がおもしろがるものに仕立てる。それが表現になります。その内に秘められた欲望をインサイトと言いますが、インサイトが人を動かすアイデアを導きます。
 たとえば、人間はいろいろな問題を抱えて生きています。親子の関係や社会のしきたりと自分との関係、そこに葛藤が生まれます。その葛藤を描いた小説や映画が人を引きつけるのです。広告の表現も同じです。その葛藤に対してみんなが深い所で共感するわけです。でも、人間的な葛藤ほどイヤなところも出てきます。それがやはり今のクライアントには好まれないというか、社内で波紋を起こすんですね。人とものとがうわべだけの関係にとどまっているのは、そんなクライアントの態度と関係があります。

成功例を作る責任

──そういう現状を変える解決策はありますか。
 我々ができることは、ケーススタディーを積み重ねていくことです。今までとは違う、こういうやり方をしたら成功した、それでモノが売れたというサクセスストーリーを作っていけば、クライアントも理解してくれる。 それは一つや二つではダメで、十本ぐらいになれば説得力も出てくる。それを作るのは我々の責任だと思います。つまり、今の広告環境の中できちんとした成功例を作る。
 成功体験がなくなったというのは、従来の広告が機能しなくなったことの裏返しなんです。クライアントも成功体験をすれば、広告の本来持っている力がわかるはずです。作るほうもそうです。一度成功体験すると、もう中途半端な表現では妥協しなくなる。それが、クライアントと広告会社との関係を、もう一度作り直すきっかけになると思っています。

Akira Odagiri
1938年北海道生まれ。金沢美術工芸大学卒業。61年電通入社。松下電器、資生堂、トヨタ自動車、サントリーなどを担当。ACCグランプリ、カンヌ国際広告祭金賞、クリオ賞など多数受賞。ADC、N.Y.ADC会員。小田桐昭事務所主宰。2003 年オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン最高顧問、チーフ・クリエイティブ・オフィサー、2007年から現職。


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