こちら宣伝倶楽部 2007.6/vol.10-No.3

広告の「原産地」について考える

イラスト CMの評価、ランクづけをする月刊誌を送っていただけるようになった。直近のデータでは四大媒体の33.6%、2兆161億円、新聞の倍額以上を使っているメディアのことだから、かなりつっこんだ専門誌があってもおかしくない。しかし個人的には、毎回東京のキー5局を基準にしているために、対象の偏りと評価の偏りがあって、やや一般性、社会性に欠けることが気になっている。作品として優れていても出てこないものは永遠に出てこない。

仕事がパターン化していないか

 その月刊誌、その月のCM好感度新作TOP10とそのクリエイターを紹介している。広告主の責任者(宣伝担当者)、扱い広告会社、制作したプロダクション、そして出演者を含む制作クルーの一覧がフルネームで列記される。広告主はこれもノウハウの一種、簡単に公表したくないはずだ。しかしそれ以外の人は「わが手柄」を知らしめ、次なる仕事の履歴か勲章がわりに、公表はむしろハッピーと思い、それを目標に仕事をしているふしもある。当事者外の広告主は、漠然と「今どきの顔ぶれ」をチェックするのに参考にはなる。こういう場合の個人情報というのはかなりあいまいに見えてしまう。
 そのリストを見ていて驚いたことがある。いろいろと現場で調整があるのかも知れぬが、そこに紹介のほとんどのCMが、ある特定の大手広告会社扱いになっていることだ。広告主とのよりよき関係づくりが抜きんでて、広告会社としての営業力が段違いに優れているのか、チームやスタッフ編成力そのものが超クリエイティブになっているのか、ちょっと驚いてしまう。
 そして制作会社、これもかなり集中していておなじみの社が実績のシェアを占めている。これはどういうことか、広告会社は広告業協会の会員だけでも約170社、日本テレビコマーシャル制作社連盟の会員社は約130社、この組み合わせはもっと複雑であってもよいはずだ。
 CMにかかわらず広告の考え方、つくり方がどこかでパターン化しているのではないかと考えてしまう。会社はたくさんあり、人材はきら星の如くいるのに、ごく少数が忙しくがんばっていることになる。脱皮のための努力を広告主が怠っているのかも知れぬし、狭い人間関係だけに頼って、いつもの顔ぶれ、いつもの仲間で要領よく仕事をこなすことが働き方の原型になっているのかも知れぬ。クリエイティブの底流に義理・人情つながりのようなものがある。

広告の主力産地「東京」

 ここまでで整理しておきたいことがある。広告主は尊重しつつも「旧来関係」にはいつも疑問を持ち、仕事はじめの第一歩を大切に、依頼や相談の第一声をもっと慎重にしなさいということ。現状打破、通例脱皮、新しい活路を開くために、広告主は普段からエネルギーの出し惜しみをせず、もっと広い視野を持ち、人頼み人まかせに重心をかけず、新しい出会い、新鮮な議論の場を積極的に求め、長期のロードマップを描いてわが道を行けということだ。
 ことのついでに、以前から考えていることでこの際あわせて問題提起しておきたいことがある。CMに限らず広告そのものをどこで考え、どこで作るかという「広告の原産地」のことだ。
 どこを窓口に、クリエイティブのスタッフをどこで組むか、作る現場をどこにおくかということだ。前述したおなじみのクルーによる仕事ぶりそのものに、突破口をみつける執念がなくなっていないかということとも関係する。
 いまや「広告の主力産地」としての東京は、たしかに人材も設備も集中して使い勝手がよくなっている。制作はブランド企業と組めば社内稟議は通りやすいという思いこみが、作業途中の内部調整のわずらわしさから逃げ、宣伝部の怠慢を招いていないだろうか。それらが当たり前になりすぎたら、広告主として精気をなくし、内部で癒着を疑われ、その社の広告そのものが鈍感になっていく気がするのだ。
 「広告の主産地」としての東京、これを「畑」に例えると土壌のいたみがすすんでいる。同じようなところを掘りかえし、勝手なときに勝手なタネをまき、無差別に肥料をまいてまぜ返すから、もうそこから良質の野菜はコンスタントにできなくなっている。発育不全や市場に出せないハネモノ野菜が増え、そこに暮らしていればわからないが、むかしにくらべて野菜の味がしない野菜の主産地になっているのでは……。

東京主義はイージー発想か

 広告(作品)という野菜をつくる農民(クリエイター)も多毛作で疲れている。一部は高齢化がすすんで、過去の栄光しか売り物がなくなり庄屋をきどって、小作人(弟子やパートナー)頼みに知恵を出し始めている。だからどこをつついても同じような顔ぶれがでてくる。特にテレビからことを始めるとこうなる確率は高い。
 余裕がなくなると主観の押しつけをし、競合の仕事はやらない、プランはひとつしかつくらない、そうでなければ良質の仕事は保証できないと、この地方の農民のなかにはすごいひらきなおりをするのがゴロゴロといる。
 畑を変える。同じ農業でも養蜂家のやり方を学ぶのだ。かわいい蜂のために全国の花のあるところへ移動して、蜂に新鮮でじゅうぶんな蜜を与えるという発想だ。普段から地方の研究をしっかりして、機会を与えれば輝きを増す人や集団、グループをリストアップして、その仕事ぶりや人となりをリサーチしておくこと。
 地方には中央への参加を望む気持ちがきっとある。手を抜かず、労を惜しまず彼らのために広告主がひと肌ぬぐこと。疲れていないし素直な向上心もあるはずだ。通常の仕事をすすめながら、思いきった次のシーンを開くための努力をすること。広告会社はあてにならぬし、この種の仕事は歓迎しないはずだ。
 自社の広告のことについて、ゆっくり考えて新しい議論をしてみること。人頼みにせず自らで学習し、ここらあたりで腰をすえて自分の社の新しい広告の展開について考えてみること。東京をちょっと出ると意外に新鮮な風が吹いているものだ。奇をてらわない正攻法や、とにかく一生懸命に、商品やサービスをどまん中においた広告づくりのために、納得いくまでの議論をきめつけや押しつけぬきですすめるべきだ。
 地方のプロダクションやクリエイターは勇んで立ちあがるべし、なにがなんでも東京という簡単発想にひと泡ふかせてほしいと思っている。

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