特集 2007.4/vol.10-No.1

映画文化とプロモーションの今
 90年代以降、映画を取り巻く環境は大きく変化した。快適な環境で映画が見られるシネコンは2000スクリーンを超え、全映画館のスクリーン数の4分の3を占めるまでになった。その一方で、複数の会社が出資して映画の製作を行う製作委員会方式が当たり前になり、ブログを活用した話題作りなど新しいメディア環境への対応も進み始めている。日本における映画文化は、今、どう変わろうとしているのか。その現状と映画宣伝の取り組みを取材した。

 映画が一時期の低迷を抜け出し元気になりつつある。シネコンの普及でスクリーン数は70年以来3000スクリーンを回復し、日本映画も好調だ。もちろん、若い世代が映画館に足を運ばなくなっていることや映画人口がここ数年横ばいなことなど課題がないわけではない。シネコンの普及がもたらしたものは何か。映画にとって広告の果たす役割はどう変わってきたのか。映画文化と映画ビジネスを総合的に研究するキネマ旬報映画総合研究所所長の掛尾良夫氏に聞いた。

――まず、世界の映画状況についてお聞きしたいのですが。
 今もアメリカが世界の映画の中心であることは間違いないですね。アメリカ国内のチケット売り上げ、興行収入は93年から右肩上がりで伸びています。93年には約6000億円だったものが、最近は約1兆円。この12、3年、ものすごい勢いで成長を続けています。観客動員数も06年で延べ14億人。アメリカの人口は2億8000万人ですから、年間1人平均5回は映画館で映画を見ています。

──日本に比べてかなり多いですね。
 日本は、06年で1人1.3回弱です。それに加えて、アメリカの映画、つまりハリウッド映画は、89年にベルリンの壁が崩壊して東ヨーロッパが資本主義社会になったことで、輸出も大きく広がっていった。同様に01年に遅まきながらWTOに加盟した中国にも、ハリウッド映画がどんどん入るようになったんですね。まだ中国には輸入規制があって年間50本しか外国映画を入れていないのですが、その90%以上がハリウッド映画です。世界的に見れば、ハリウッド中心に動いているというのが、この十数年の傾向です。

日本映画復活とシネコン

――昨年、日本では日本映画の興行収入が外国映画を上回りましたが。
 日本映画のピークは、57年から60年の4年間です。そのころは、毎年延べ10億人から11億人ぐらいの観客動員数がありました。それから70年代半ばから80年代後半にかけて、日本映画と外国映画のシェアが50%前後を行ったり来たりしたのですが、89年を境に日本映画は急坂を転げ落ちるように斜陽になって、逆に外国映画がずっと勝ち続けて最近まで来ました。
 だから、昨年、日本映画が外国映画を上回ったというのは、本当に久しぶりなんですね。

日本映画・外国映画のシェアは日本映画製作者連盟「日本映画産業統計」から作成(1999年以前は配給収入、2000年以降は興行収入)

――日本映画復活の背景には、シネマコンプレックスの普及があった?
 ある意味では影響していると思いますね。
 日本の映画館数が底を打ったのは93年で、1734館になってしまいます。くしくもその年に、ワーナー・マイカルがアメリカと同じスタイルの複合型映画館、シネコン1号店を神奈川県の海老名に作った。ただ、シネコンも90年代後半になるまでは、外資系ばかりが先行して、日本で定着するかどうかは疑問がもたれていました。国内の映画会社は松竹以外、恐る恐るという感じだったんです。

――シネコンが、日本の映画業界に最初受け入れられなかった理由は何なのでしょう。
 シネコンは、言ってみれば新規参入の業態です。日本の映画市場は大手映画会社と劇場という既得権者で成立してきたところがあります。ですから、日本の大手映画会社は一緒に長い間やってきた劇場を守ろうとして、シネコンの進出はあまり歓迎しなかったんですね。
 その一方で、シネコンは「音がいい」「見やすい」「いつでも座れる」というので観客には支持され、90年代後半から急速に増えていったんです。日本の映画館数も06年に3000スクリーンを超えたのですが、そのうちの75%はシネコンです。3000スクリーンというのは、70年以来なんですね。
 ところが、従来型の映画館はこの10年間で半減してしまったんです。大雑把に言えば、2000スクリーン以上のシネコンが誕生して、1000スクリーンの映画館が廃業に追い込まれたということです。そして、シネコンが受け入れられると分かると、東宝がヴァージン・シネマを買収し、先行した外資系各社はワーナー・マイカルを除いて、日本の企業に売って撤退してしまった。

日本映画製作者連盟「日本映画産業統計」から

テレビ局と映画会社のコラボ

――日本映画復活のきっかけは何だったのでしょう。
 98年にフジテレビのドラマの劇場版『踊る大捜査線 THE MOVIE』が公開されて、大成功を収めたことがきっかけですね。それから、テレビと映画のコラボレーションが始まって次々と成功していく。もう一つは、「日本テレビと宮崎アニメ」に代表されるように、テレビ局と映画が従来とは違う形で結びついていったことです。
 ただ、テレビ局が映画製作にかかわること自体は、今に始まったことではありません。フジテレビは69年には五社英雄監督で『御用金』を作っていますし、80年代には『南極物語』『タスマニア物語』『病院へ行こう』といった映画を作っている。ただ、そのころは映画に対して遠慮というか、リスペクトがあったんです。映画業界の監督を起用して、映画作りのシステムをテレビ局がサポートするという関係だったんですね。

──最近は、映画が特別なものではなくなってきた?
 日本映画が60年のピークから急坂を転げ落ちたのは、やはりテレビの普及が大きかったんですね。それ以降も回復基調に向かわなかったのは、作る映画が観客に受け入れてもらえなかったからです。よく言えば、作り手のこだわりが込められていて、テレビ的な安直なものは映画業界は作らなかった。悪く言えば、「独りよがり」だったということです。
 その一方で、視聴率競争という受け手を獲得するための激しい競争で培われたテレビ局の企画力は、観客が求めるものを提供する力を持っていたということだと思うんですね。だから、90年代後半から、テレビ局が積極的に映画製作に参画することによって、少しずつヒット作が増え始めてきた。
 でも、それが結実していくのは03年以降です。それまではやはり、ジブリに代表されるアニメが日本映画を支えてきた。
 02年に27%台までシェアを落とした日本映画が、わずか4年でシェア50%超の急回復を示した理由は、日本の映画業界が観客の求めるものを送り込んだことが大きいですね。

無国籍映画になったハリウッド

――日本映画は復活したと言えるのでしょうか。
 製作本数も増えているし、スクリーン数も増えている。最近は、「新宿バルト9」のように都心型のシネコンも登場している。そういう意味では活況ではあるのですが、問題は観客が増えていないことです。ここ数年の外国映画を含めた興行収入は2000億円のラインで微減微増を繰り返している。つまり、映画市場全体のパイは増えていないんですね。その中で日本映画のシェアが上がり、外国映画のシェアが下がったというのは、ある意味、外国映画のオウンゴールでもあるんです。

――初めに、世界的には映画はハリウッド中心に回っているという話がありましたが。
 世界的に見ればそうですが、日本と韓国ではハリウッド映画は21世紀に入ってからシェアを落としています。

――その理由というのは?
 日本と同じように映画の黄金時代があったイタリア、ドイツ、イギリスといった国の映画産業は、テレビの普及した70年以降、疲弊してしまい、ハリウッドに対抗する力を持てなくなった。興行のネットワークや製作企画力がかなり傷んでしまっているんですね。
 一方で、韓国映画は制度的な保護(注)もあり、元気がいい。日本はかなり状況が厳しいとはいいながら、東宝、東映、松竹、旧大映の角川といったところが、それなりの映画製作能力を持っていたし、独自の興行ネットワークを持っていたことで、ほかの国に比べてまだまだ製作する力を残していたということがあります。もう一つは日本の国民性で、ハリウッド映画のような作風は、それほど好まれないこともあります。
(注)韓国には自国内で製作された映画の上映日数を年間73日以上にするというスクリーンクォータ制がある。同様の制度は、フランスやブラジルなど数か国で採用。

――ただ、観客動員数の多い映画にはハリウッド映画が多いと思いますが。
 『パイレーツ・オブ・カリビアン』『ハリー・ポッター』といった世界規模の娯楽映画は、日本でも当たります。そういう大型のハリウッド映画は日本映画が太刀打ちできない世界ですが、中クラス以下の映画がほとんど当たらなくなっています。
 93年以降、ハリウッド映画の輸出額が北米、つまりカナダとアメリカの売り上げを超えます。その一方で、映画の製作費が高騰して、それまで1本の製作費が70億円ぐらいだったものが、100億円ぐらいになってくる。ハリウッド映画は、ますます海外で成功する必要が出てきたんですね。世界中で受け入れられる映画というのは、どうしても「わかりやすい映画」ということになる。つまり、ハリウッド映画がアメリカ映画でなく「無国籍世界映画」になっていくんですね。
 もちろん、すべてのアメリカ映画がそうだとは言わないけれども、多くの映画はアメリカ固有の文化を捨て、世界映画になっていった。やはり、ニューヨークを舞台にユダヤ人のアイデンティティーに苦悩する姿を描くウッディ・アレンの映画のようなものは、よその国の人たちの関心を呼ばないんですね。
 その一方で、世界で受け入れられる安定した企画が求められることから、ハリウッド映画は、テレビのヒットシリーズの映画化やかつての成功作のリメイクが主流になっていきます。
 『ミッション・インポッシブル』『奥さまは魔女』『逃亡者』はテレビシリーズの映画化だし、『キングコング』や『猿の惑星』のようにリメイクされる映画が目立つようになっていった。

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