メディアの進行形 2006.3/vol.8-No.12

メディアの進行速度
 メディア関連の業界で講演をするとき、次のように言って笑いをとることがある。「50代のみなさんは今のやり方で大丈夫です。仕事で培ったみなさんのスキルは、定年まで持ちます。20代の人は時代の変化にあわせていってください。大変なのは40歳前後の人です。みなさんのスキルは定年まで持ちません。今のままではアウトです。でも変わることも難しいでしょうね」(爆笑)
 人ごとではない。メディアの変化速度が増す中で、どのように対処していけばよいのだろうか。

物流とデジタル情報流通

 人類が進行速度をあげたのは、動力を発明した産業革命のときだ。それ以前は、地球の自転と公転が生み出した自然エネルギーにより生活していた。日の出と日没がつくるリズム。雨と太陽の光による食物栽培。移動はもっぱら歩きか馬であり、物流も川の流れや風力を利用した運搬に限られていた。
 このスピードが動力利用により加速化される。貿易が始まり物流距離も世界規模に拡大された。大量の食物を短期間で遠くに届けることで人口の偏在が可能になった。
 そして電話、ラジオ、テレビなどによって、情報の生成と消費サイクルを早めてきた人類は、インターネットによって本格的な情報流通の時代をむかえる。パソコン、PDA、ケータイなどによって、誰もが同時に多量の情報を生成し、伝搬し、交換し、消費することになった。
 そのデジタル情報量は人間の消費能力をはるかに超え、体感を超えた情報加速度をあじわっている。

印刷の現場では

 職人の世界では、一人前となるのに10年かかると、よく言われる。そこで覚えた技術は、かつては生涯生活していくのに困らない宝となっていた。しかしデジタル技術は短期間でアナログの職人を駆逐した。
 印刷現場にコンピューター組版がやってきたとき、活版職人はどこに配置転換されたのだろうか。まだ記憶に新しい出来事である。フィルム製版、カラー印刷。次々とベテランたちの職場を奪っていった。
 でも、読者が印刷物を読んでいる間は文字に変化はなかった。製造技術がどれほどデジタル化されようと、スピードが増そうと、印刷物のたたずまいは不変だった。文字を支える物理的存在は信頼感をかもし出しながら読者の前にあった。

文字メディアの信頼性

 ところが活字がネットに流れ出したことで、変化は確実に訪れた。ディスプレーの上で文字は点滅を繰り返している。紙に固定されたことで生み出された信頼感は、ディスプレー上でどのように保証されるのだろうか。いや、そもそも信頼性は期待されているのだろうか。
 この答えを出すためにはインターネットで人気のメディアを考えてみるとよい。そこには一つの共通点がある。2ちゃんねる、ケータイ読書、ウィキペディア、ブログ、ソーシャルネットワーク。いずれも文字メディアなのだ。ひところ、騒がれたマルチメディアの先にやってきたのは文字の時代だったのである。では、その文字文化は、印刷時代と変わらなかったのか。
 ノー。インターネットはギャランティではなく、ベストエフォートであるといわれる。そこで表現されるデジタルメディアも同様なのだ。重要なのはもはや信頼性ではない。インタラクティブであること、品質よりオンデマンドであること。読者は同時に執筆者であり、参加できる文字メディアが人気を得ているのだ。
 ここまで書いて僕はちょっと安心する。文字の信頼性を保証するのは紙に残された領域かもしれない。誰かが、それに価値を求める間は。

「メディアの進行形」は今回で終わります。
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