立ち読み広告 2005.10/vol.8-No.7

太宰がもらえなかった文学賞
8月10日 朝刊 文藝春秋
 8月10日の朝刊には、雑誌「文藝春秋」の広告がどーんと載っている。「どーんと」というのはけっしてオーバーな表現ではない。全5段プラス全ページ。
 この号は、第133回芥川賞の発表号である。「土の中の子供」で同賞を受賞した中村文則のポートレートと、選考委員のうち、石原慎太郎、高樹のぶ子、黒井千次の選評抜粋が載っている。
 いま文学賞の数は自治体主催やマイナーなものまで含めると、100を超えるといわれる。だが、数ある文学賞のなかで、テレビのニュースにまで取り上げられるのは芥川賞と直木賞ぐらいのものだ。
 だが両賞は、昔からこんなに華々しかったわけではない。もとはといえば、世の中の消費が落ち込む2月と8月、いわゆるニッパチに、購買につながるようなイベントをやりたい、ということで始まった賞である。昔は授賞式も地味で、文藝春秋の応接室で「おめでとう」といって、正賞副賞が手渡されたそうだ。それでも、太宰治は芥川賞が欲しくて嘆願の手紙を書いた、なんていう事実があるから(結局、太宰はもらえなかったが、それで自殺したわけではない)、作家にとってはわりと早くからステータスのある賞だったのだろう。
 芥川賞が社会的ニュースとして注目されるようになったのは、1967年上期(第75回)の村上龍『限りなく透明に近いブルー』からである。米軍基地のある街での、セックスとドラッグにおぼれる若者たちを描いたこの小説をめぐって、賛否両論、激しい議論が巻き起こった。村上龍自身はポップカルチャーの若きスターとなった。
 その後、芥川賞・直木賞の扱いは年々大きくなっていった。出版界にとっては、真冬と真夏の、年に2回のお祭りだ。候補作が発表されると、「誰がとると思う?」という会話が、この業界ではよく交わされる。  

読みたい『背中』

 熱狂が頂点に達したのは、昨2004年の春(第130回)である。『蹴りたい背中』の綿矢りさと、『蛇にピアス』の金原ひとみという2大スター(というよりもアイドル?)を生んだ。なかでも『蹴りたい背中』はミリオンセラーとなった。
 当時、書店で本を探していると、10歳ぐらいの女の子が母親に「ねえ、『蹴りたい背中』を買って。読みたいの」とねだっているのに出くわしたことがある。10歳の子供が読んで分かる小説だとは思えないが(文章の意味は追えるだろうが)、小学生にも「読みたい」と思わせる芥川賞のパワーに驚いた。
 作家になりたいという人も増えている。文芸誌(純文学の専門誌をこういう。大衆文学の専門誌は小説誌)の新人賞に応募してくる作品数は増え続けている。しかも、その数は当該雑誌の発行部数の2割以上に及ぶ場合もある。どうやら、雑誌は買わないけれども、新人賞には応募する、という人が増えているらしい。
 芥川賞の場合、おもしろいのは、同賞の発表が文芸誌の『文學界』ではなく、総合誌の『文藝春秋』であること(直木賞は小説誌の『オール讀物』)。『文藝春秋』に発表するからこそ、社会的ニュースになったのかもしれない。創業者、菊池寛の遺産は大きい。
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