特集 2004.10/vol.7-No.7

CSRが企業に問うもの−これからの企業に求められる「社会的責任」とは−

 CSR(企業の社会的責任)が注目を集めている。しかし、それに急いで取り組まなければならないほど国内の消費者や社会の圧力は、必ずしも高くはない。その中で、企業はなぜCSRに取り組まなければならないのか、戸惑いがあるような気がする。今起こっているCSRとはどのような変化なのか。またそれは、今後の企業活動やコミュニケーション活動をどう変えていくかを探った。

CSRというムーブメントの本質

 1990年代からグローバルに広がってきたCSRを求める潮流が、日本にも押し寄せてきている。CSRというムーブメントをどう理解すべきか、またそれは今後の企業活動をどう変えていくかを、この分野の研究に長年携わってきた一橋大学大学院の谷本寛治教授に聞いた。
 
――最近、CSRが注目されていますが、海外と日本ではとらえ方に差があるような気がします。
 CSRのムーブメントの本質は何かを見ないで、同業他社がやり出したからやるというだけでは、制度だけつくってブームは終わりということにもなりかねませんね。今のようなブームとしてのCSRは必ず去ると思います。それでは、70年代にCSRのブームがあったときと同じです。ただ、今言われているCSRとは、背景が違うのです。

――70年代というと、公害問題のころですか?
 公害問題もありましたし、オイルショック前後に企業の不祥事が頻発し、社会的責任が問われました。そのころアメリカでCSRの議論が初めて出てきてたくさん輸入されました。

――CSRという言葉は、そのころからあった?
 corporate social responsibilityと当時から言われていました。日本では、直訳して「企業の社会的責任」と言われ、本もかなり出版されました。しかし、低成長期になったとたん、その議論は跡形もなく消えてしまった。

――当時は、どういうことが言われていたのですか。
 理念的な議論が多く、「啓発された自己利益」という言葉が、もてはやされていました。つまり、いいことをしたら回り回って社会から評価してもらえるから企業はよくなるということです。

――それは本業を通した活動ということですか。
 当時のアメリカは反戦運動や公民権運動が盛んで、マイノリティーに対して企業が雇用の面で大きな差別をしていることが問題にされていました。アメリカでも、70年代まで取締役に黒人や女性は一人もいなくて、GMが70年に初めて黒人の重役を一人入れたことが当時話題になったぐらいです。そういう動きがポツポツ出始めて、企業の社会的責任を考えないといけないということが、初めてアメリカの大学の研究者の間でも議論されるようになった。その考えを日本はそのまま輸入した。当時もブームでした。
 ただし、どう回り回って企業がよくなるのか。企業と社会のダイナミックな接点をどう理論的に見ていくべきかという掘り下げた議論は、あまりなかったと言えます。

NPOを支援するメセナへ

――メセナやフィランソロフィーがもてはやされた時代もありましたが。
 日本では、80年代後半にブームになりました。80年代半ばに、自動車産業を中心にした集中豪雨的な対米輸出で貿易黒字が急増し、日米の間で激しい貿易交渉がありました。その後、直接投資が増え、現地生産が始まるわけです。
 現地で工場を建て製品を作るようになると、コミュニティーで求められていることを現地法人は無視できなくなります。企業が地域社会に貢献することはアメリカでは80年代には常識でしたし、マイノリティーや女性差別をしてしまって、現地の社会からかなり厳しい批判を受けることが重なった。
 それで89年に経団連が、日系企業が現地社会から「良き企業市民」として受け入れられることを奨励する目的で海外事業活動関連協議会(CBCC)をつくった。
 そこでフィランソロフィー活動やボランティアがどういうものかを日本企業は学んでいる。同時に、日本国内でもそういう活動を少しずつ始めるようになってきた。当時の日本はバブルのまっただ中ということもあり、国内に急速に普及していきました。

――その活動も、バブル崩壊以降、それほど盛んに行われていない気がするのですが。
 終わったということはないですね。「メセナ白書」や経団連の「有力企業の社会貢献度」の数字をみると、バブルが崩壊していったんは落ちましたが、それ以降は定着している。その背景にはNPO活動が日本でも盛んになってきたことがあります。95年に阪神淡路大震災があって、その前後からボランティア活動が盛んになりましたが、それをもっと組織的な活動にしたいということから、日本にNPOが多数生まれた。
 企業のメセナやフィランソロフィー活動は、そういうNPOを支援しようという動きと次第に結びついていきます。2000年ごろから、経団連もNPOとのコラボレーションをいうようになります。会社に余裕があるから文化に寄付しようではなくなってくるわけです。

――お金の使い方というか、投資先が変わったわけですね。有名なオーケストラを呼ぶとか、文化施設をつくればいいということではなくなってきた。
 そういうお金の使い方もムダとは思いませんが、企業も地域の活動に目を向けるようになった。そういう活動をするNPOを評価して支援しようという議論も広がってきました。
 今言われているCSRにも、そういう活動が含まれます。ただし、CSRイコール社会貢献活動、フィランソロフィーではない。CSRには非常に多様な領域が含まれていて、その中の1つとして社会貢献活動がある。ただ、これまでの日本企業のメセナやフィランソロフィー活動も、日本の社会の流れの中から生まれたCSR活動の一つとして評価していいと思います。

NGOの活動がきっかけに

――CSRは、海外のNGOやNPOの活動が要因になって生まれたと聞いています。そういうNPO活動は日本にはこれまでほとんどなかったと思っていたのですが。
 今言いたかったのは、あくまで地域の課題を解決する役割を政府や自治体に代わってNPOが日本でも少しずつやり始めた、それを企業が支援することは、CSR活動の1つだということです。日本の場合は、NPOが地域のボランティア活動から始まったわけですが、NPO/NGOといっても多様なものがあります。
 CSRを呼び起こした一番重要な要因は何かといえば、市民の意識の変化です。多くの人々が持続可能な発展ということの重要さを認識しはじめた。それに大きな影響を及ぼしたのが、多様な活動をしている海外のNPO、NGOです。
 それらの中身は何なのかというと、例えば環境保護団体であったり、女性の雇用や途上国における貧困対策を支援する団体など幅広い。さらに消費者の権利をただ主張するのではなく、その製品が本当に表示通りの性能を持っているのか、という商品テストレベル、さらには製品がどのようなプロセスでつくられてきたのか、企業経営のあり方をチェックするような団体も増えてきました。

――そういうNGOの活動が、CSRと結びついたきっかけというのは?
 最もシンボリックな出来事は、92年にリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議」です。地球環境問題をテーマとしてNGOが公式に参加し、同時に多数のNGOが集まりNGOフォーラムを開いた。環境サミットは国連の会議で、国の代表が集まって議論する場です。会議が開かれた理由は、地球環境を意識しないと、このままではもう地球はもたないということです。そこには国境を超えた問題がある。ところが、国の代表は自国の経済利益を守らなければならないので、国境を超えた課題をお互いになすりつけ合うか、力の弱い途上国に問題を振り向けようとする。国の利害だけを考えていたのでは解決できない課題が出てきた。まさに問題はグローバルなんだということをNGOが主張するようになった。
 その前からもちろんそういう動きはあったのですが、それがエポックメイキングですね。環境を中心に持続可能な社会経済システムのあり方が問われるようになった象徴的な会議でした。

――初めは環境問題から始まった。
 それが90年代半ばぐらいになると環境だけではなく、社会問題も含めて持続可能な社会を考えるにはどうしたらいいかについて、人権団体や労働団体が世界中から集まって議論されるようになった。たとえば、途上国における労働・人権問題や先進国の大都市の中にもインナーシティーといわれる社会的に排除された地域が出てくるといった問題がある。インナーシティーの問題には、リーガル、イリーガルな移民問題がからんでいます。そういうグローバリゼーションの負の部分が、あちこちで出てきた。
 しかし、グローバリゼーションの動きは止めようがない。90年代にグローバリゼーションが進むと同時に、その負の部分について、まず環境問題が本格的に地球レベルで議論され、次に、社会問題も議論されるようになった。それを引っ張ってきたのは、さまざまな人たちの利害を代表するNGOだったわけです。

対応を迫られた企業

2004年8月29日 朝刊
企業市民としてのNTTドコモの活動をシリーズで紹介する(2004年8月29日 朝刊)
――それが、CSRが起こった大きな背景だと。
 そういうNGOの動きを受けて、企業も対応を迫られた。日本ではほとんどありませんでしたが、90年代に入ってアメリカとヨーロッパを中心に、環境や人権、雇用などに問題のある企業に対して非常に厳しいボイコット運動が起こりました。
 その背景には実はインターネットの発展があります。NGOの発展は、グローバルなネットワークを安価につくれるインターネット抜きにはあり得なかった。会議をやるといえば世界中から集まり、情報を発信する。あるいは、ある商品に有害物質が含まれている、途上国で劣悪な労働をさせているということが、あっという間に伝わるようになった。

――逆にいえば、インターネットがなければ、NGOの発展はなかったかもしれませんね。
 それで、企業も90年代半ば以降になってくると、自分たちの問題として考えないと企業の評価を落とすだけだという認識を持つようになった。だから、CSRには、リスクマネジメントとしての側面もあるのです。
 90年代後半になるとNGOは経済会議に集まるようになってきます。98年にシアトルで開かれたWTOの会議がそれで、この会議でそれまでのGATT体制から自由貿易体制に変わるわけですが、自由貿易体制に潜むさまざまな環境、社会の課題があるのに何も触れていないとNGOから批判が出た。
 日本では一部の過激なNGOがショーウインドーを割ったとか、そんなことばかり報道されましたが、それは一部です。テーブルについて議論しているNGOは専門家集団です。環境や消費者、人権、安全性に関する専門家、あるいは政策提言をする団体です。そういう専門家集団が、国際的な経済会合の場にもいっしょに参加するようになった。WTOの会議にも、今やNGOが参加するようになっていますし、国連の多様な会合は、NGO抜きには成り立たなくなっています。


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