特集 2003.3/vol.5-No.12

メディアの特性と広告効果 2003年の新聞広告を展望する

 メディアが多様化する中で、各メディアの役割が浮き彫りになってきた。また広告目的も、販売促進を目的にしたものとコーポレート・ブランドの確立を目的としたもののように、一つでは表せない。その効果を測る尺度もおのずと異なるはずだ。新聞を中心に、媒体特性と広告効果について改めて見ていく。

本音のコンセンサスを得る媒体

新聞は社会性のあるメディアと言われる。しかし、「参院選に行こう」「国会議事堂は、解体」など一連の宝島社の広告には、単に社会性ではくくりきれない何かがある。コピーライターの前田知巳氏に聞いた。
 
――新聞広告をつくるときに、媒体特性を意識しますか。
 宝島社の広告をつくるときは、新聞の持つ特性をすごく意識してつくっていますね。新聞広告をやっていて思うのは、出稿するとすぐレスポンスがあって、そこにほかの媒体にはない独特のリアリティーを感じられることです。大体において広告は、人々の意識を刹那的に通過していくものだけれど、もしかしたら新聞なら違うことができるんじゃないか、というのがあって、それであるときから宝島社の広告は、コンテンツ、つまり「読み物」としての存在を結構意識してつくるようになりました。

――新聞広告は意識に残りやすいということですか。
 ただ、それもやりようですね。 
 やはり、ぼくらは広告屋だから、「広告」という存在を世間以上に意識しがちなところがあると思う。でも、世の中の人は、広告だからといってことさら親切に見てくれるわけじゃなくて、単に、そこにいろんな情報が並んでいる、という感覚に過ぎないと思うのです。で、結局「なんか見たことある広告だな」と思われた瞬間に読み飛ばされてしまう。誤解しないで欲しいんですが、これは「もう広告なんて効かないんだ」という決めつけとはまったく別のことです。
 これは、逆に「見たこともない広告」をまだまだ模索する余地が新聞にはあると思ったほうがいい、ということです。広告をつくる側からしても、そこらへんを相当意識しないと、いつのまにか「見たことがある型」にはまってしまいかねない。特に新聞広告というのは、ついついそういう固定観念にとらわれてしまう面があるということかもしれません。

新聞の社会性をどうとらえるか

――新聞広告はレスポンスがあるということですが、実際にはどういう形で返ってくるのですか。
 新聞広告を宝島社のネットにも載せていて、そこに来るものと、各新聞社に直接来るものの両方ですね。

――広告の内容に対して否定的な意見もある?
 中にはありますが、応援の声のほうが圧倒的に多いですね。
 これは、宝島社のメッセージを考えるとき、「単に何かを否定するだけでは終わらない」ということを強く意識しているからかもしれません。人々の「本音かつ前向きなコンセンサス」をどれだけ得られるかが勝負だと思っていますから。

――新聞の社会性をかなり意識してつくっている?
 あるパイのコンセンサスを集めなければいけない場合、必然的にメッセージのテーマは社会的なものになります。この場合の「社会的」とは、「人々の本音をごまかさず代弁する」ということです。そういう意味ではまさに新聞そのものが社会的な存在なのですが、こと新聞広告になると、多くの広告がなかなか「本音モード」にはなりきれないのが現状だと思います。

――環境広告も、そうしたアプローチが必要な広告かもしれませんね。
 トヨタのECOシリーズがいい例で、もちろん制作に携わったわけではありませんが、外から見ていて、世の中の気持ちのうねりと企業の活動が重なり合う気持ち良さみたいなものをはじめて感じました。
 ひところ、新聞広告が単にCMを中心としたキャンペーンの補完媒体みたいに思われていた時期がありましたが、世の中が見えにくくなってきてから、新聞をそういう意図で使おうとする広告が増えた気がします。

「あれ、見た?」と言える媒体

――メディアが増えてきましたが、広告をつくる側としてメディア特性を以前より意識するようになってきていますか。
 ここ数年、ネットの仕事もするようになってきましたが、経験から言うと、ネットってすごく便利だけれど、やっていてその空間にいる自分が何かさびしいんですね。基本的にワン・トゥー・ワンの関係だからということがあると思います。掲示板やニュースサイトを読んでいるときも、ほかにいっぱい読んでいる人がいることは頭ではわかっていても実感がない。逆に新聞は、「今この情報をみんなが読んでいるんだ」という共有感・ライブ感が強い媒体だと思います。

――以前は、新聞にどういう印象を持っていたのですか。
 正直に言えばちょっと冷めていたというか、10年1日のごとく変わらない媒体だという見方をしていました。
 でも、今こういう不安な時代になって、「今日、あれ見た?」といえる媒体を、みんなが改めて欲しているのだと思います。「あれ見た?」って確認しあえる機会って、昔に比べてずいぶん少なくなったんじゃないでしょうか。そういう風にだれかと何かを確認しあいたい欲求は人間にはなくならないはずで、その材料として新聞はいまだに貴重な存在です。
 博報堂生活総合研究所が今年出した生活予報では「非同期」という流れ、つまり世の中は、人それぞれにやりたいことをバラバラの時間にやる流れにあると言っています。その指摘は確かにそうだと思う。でも「非同期」が進めば進むほど、人はその一方で「だれかと同期したい」という欲求も深まるんじゃないかと思うのです。便利になるって、ある面で言い換えれば「孤独になる」ということじゃないですか。そういう意味で、インターネットの進化は必ずしもマス媒体を駆逐することにはならないと思う。お互いが影響しつつ、変化はしながらも存在していく気がします。

人々を広告に関与させる

――宝島の広告をつくる視点は、初期のころから変わっていない?

 そうですね。いまどういう空気が世の中にあって、みんなが「そういうことなんだよ」とうなずくものは何か、それを探す連続ですね。 
 これも当たり前のことですが、大切かつ悩ましいのが「タイミング」の問題です。いくらいいテーマでも、ちょっと時期が変わるとコンセンサスの度合いがガラッと変わったりする。これも媒体が新聞というスーパータイムリーなものだからこそのポイントでしょう。
 そういう意味では、去年の夏にやった「国会議事堂は、解体」や、2001年の正月に出した「参議院選挙へ行こう」はベストのタイミングに近かったのではないかと思います。逆に今年の正月は、「これ」とひとつに絞れるようなテーマがタイミング的になかった。それで「私ならこう考える」と読者に参加してもらえる「意味的な余白」を残した企画にしたのです。
 偶然、友人の父親がその広告に赤鉛筆でいろいろ書き込んでいたという話を聞いて、まだまだ広告と人々の関与の仕方には可能性があるんじゃないかと改めて思いました。

――反響がかなりあった?
 若い人から年配の方まで結構幅広い反響がありました。今回の正月広告では、宝島社のホームページに「あなたの思う“変えたらよい呼び名”大募集 !!」というコーナーをつくり呼びかけをしたのですが、すごい数の応募があったと聞いています。問い合わせの方は、言葉の意味を尋ねるものが多かった。メールでも来ますが、やはり、年配の方は電話が多い。

――これまで文字離れが言われていましたが、状況が少し変わってきた気もします。
 やはり、社会に関与せざるを得ない時代というのが大きいと思います。ワイドショーの中身も五年前と全然違う。こんなに政治ネタや金融問題がワイドショーで取り上げられることはなかった。そこには、「私には関係ない」と言えない時代になってきたという社会的な意識の変化があります。そういうときは、その事実にどういう意味が込められているか、矢印がどういうところを指しているかが大事になるので、言葉を抜きには語れないところがある。


今年1月3日の正月広告の掲載と合わせ、宝島社のホームページでは「あなたの思う“変えたらよい呼び名”大募集 !!」というコーナーを開設した。

企業体としての軸の示し方

――宝島社の広告は、かつてのベネトンの広告と共通するところがあると思うのですが。
 似ていると言われたこともありますね。ただ、ベネトンの広告は、企業が提供する商品と広告のテーマに距離があるところが衝撃だったのですが、出版社である宝島社の広告は、はじめにも言ったようにコンテンツ、読み物としてのおもしろさをめざしているという意味では、実は商品との距離は近い。
 ただ、企業広告の役割を、企業体としての軸とか矢印の表明だと仮定したら、宝島社はそれとはちょっと違って、その時々の心意気の表明のようなものに近いのかも知れない。「あしたはまた別のことを考えているかも」みたいな、したたかで飄々としたところが宝島社全体にありますから。でも少なくとも、「ウチは今こういうことを考えながら出版をやっているんだ」という心意気の部分が世の中にこんなにはっきり見えている出版社は、今や宝島社ぐらいかもしれません。

――宝島社のような広告をつくって欲しいという依頼もありますか。
 ありますね。ただ、つくるまではいいのですが、いざその表現案を目の前にして、実際にある額のお金を投資して広告を出すという段になると、やはり躊躇される場合がほとんどです。いろんな意味で、企業にかなりの覚悟とか見極めがないと、できない広告だと思います。

審査と新聞広告

――新聞広告をつくるむずかしさは、どんな点にありますか。
 審査の基準をすごく考えさせられます。宝島社のような広告は、やはり、新聞社の理解があって初めて成立するところがあります。たとえば、「おじいちゃんにも、セックスを」というコピーのとき、初めて一般紙の広告に「セックス」というカタカナが出たらしいんですよ。それまではなぜか「セックス」がローマ字の3文字じゃなければだめだった。その手の基準のやりとりになることが多い。当たり前ですが、思いきった表現を探るうちに、そういう前例のない部分に踏み込まざるを得ないというのはありますね。
 逆に言うと、柔軟に受け取ってもらって新聞社にはありがたいという気持ちですよね。「どこまでなら許せるか」という線引きの部分は、多分日本的な空気感とか、風土とかもあるんでしょう、やっぱり曖昧だとは思いますが。でも、一般には知られていませんが、審査基準はテレビのほうが新聞よりはるかに厳しい。新聞のほうがはるかに柔軟だという印象です。

「私点」のある広告

――広告にはクリエイターの「私点」があるべきだという考え方がありますね。
 「私点」という言葉は、なるほどそうだと思います。今や、そのところでしか広告の求心力は生まれないのかもしれない。本当だったら、クリエイターの私点以前に、商品自体で私点を持ったものがもっとあれば、世の中もそれだけ元気だということでしょうけど。せっかく新しいモノをつくっても、新製品というだけでは売れないから大変なわけですよね。
 去年のTCC(東京コピーライターズクラブ)とADC(アートディレクターズクラブ)の最高賞が、どちらも「SPEED」というスローガンで、秋山晶さんが手がけられたキユーピーマヨネーズの広告だったんですが、まさしく私点ですよね。スローフードが叫ばれる中で、逆に高速へ向かう料理があってもいいじゃないかという「私」としての提示があるわけだから。キユーピーマヨネーズの中身がどう変わったかということとは別の次元で、「料理は高速へ」という私点があの広告に求心力を生んでいるのは事実でしょう。器用な褒め言葉よりも、根っこに明快な私点がないと、もはやリアリティーのある広告コミュニケーションはできないということなのかもしれない。

――80年代はコピーライターが自分の言葉で商品を語った時代だったと思うのですが、それと「私点」とは少し違うような気がしますね。
 80年代はまだ広告が世の中を引っ張っていた時代だから、人々がおのずと広告からのメッセージを期待するという関係になっていた。いまはそこが違うのでしょうね。決して広告が世の中の先端と思われてなくて、でもその商品に力を持たせるためには、そういうことが再び必要になっているということかもしれません。

――クリエイターの仕事はますますむずかしくなってきた?
 結局、「あなたは今、個人としてどういう意識や感覚を持っているの?」ということを突きつけられている、という意味ではむずかしい。
 最近、「こういうの作ろうと思うんだけど、どう思う?」というタイプのオリエンテーションがちらほらあるんです。「商品のこういうポイントを言ってください」というのがかつてのオリエンだとしたら、そうじゃなくて「この計画、前田さんだったらどうします?」といきなり聞かれる。
 それはクライアントが無責任というのでは決してなくて、逆に確信犯なわけです。あえて事情とか知らない部外者にぶつけることで、新しい答えが返ってくることを狙われているんですね。コピーの技術とかじゃなくて、もっと根本的な答えを求められる。聞かれるほうとしてはそうそう見事な返球ができるわけないんだけれど、クライアントとのそういう関係は、おもしろくないわけがない。大変な時代だけど、逆にクリエイターにとっては新しいことができる流れが生まれてきているのかもしれません。


前田知巳氏 Tomomi Maeda
1965年生まれ。88年東京外国語大学卒業後、博報堂に入社。99年に独立。これまでの主な仕事に、宝島社、キリン・極生、ソニー・ハンディカム、パルコ30周年記念キャンペーン、東芝EMI(YMO、タイマーズなど)、Z会、日清食品・カップヌードルなど。2001年東京コピーライターズクラブ最高賞ほか受賞多数。




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