特集 2003.1/vol.5-No.10

コミュニケーションが変わった
コミュニケーションの変化

 コミュニケーション環境が大きく変わってきた今、果たしてオピニオンリーダー、フォロワーという区別は有効なのだろうか。また、それに代わる新たな視点はあるのか。東京大学大学院教授の池田謙一氏に聞いた。
 
池田謙一氏 最近、オピニオンリーダーという言葉は、それほど使われなくなった。それにはいくつか理由がある。
 一つは、ある話題でだれかがリーダーでしゃべっていても、情報は交換だから、あげるばかりではなくて、必ず別の話で何かをもらっているからだ。言い方を変えると、ここにオピニオンギバーとオピニオンシーカー(意見を求める人)がいるとすると、一方ではギバーだが、話が少し変わるとシーカーになるという交換関係でコミュニケーションは進んでいくことが多い。リーダーと呼ばれる特性、パーソナリ ティーがあるわけでは必ずしもない。
 日常のコミュニケーションを思い出せばわかることだが、みなそれぞれ何かに詳しい。たとえば、家ではご主人の方が政治の話は詳しいかもしれないけれど、奥さんは料理には強い。どのお店で売っている食材がおいしいかまずいかという話になったら、ご主人はほとんどその話題についていけない。飲みに行って車の話をするときを考えても、その話だけで終わるわけはない。別の話でだれかが平衡をとっている。詳しい人から車の話は聞くけれども、代わりに違うスポーツの話をする。そうしないと友だち関係も成立しなくなる。そう考えると、オピニオンリーダーという人がどこかにいるというのは幻想に近いことがわかる。
 ただ、ニュースの伝播などある一つの次元だけで切ってみれば、リーダーはいるかもしれない。それは、政治オタクなどある次元に限ったことで、そのほかのことでその人がリーダーであるとは限らない。

ネットワークの組み方の違い

 リーダーではないけれど、話題豊富な人はいる。別にそれは、だれかをリードしたくていろいろ知っているわけではなくて、あれも見た、これも見たと話題を提供する人のことだ。それをリーダーと名付けると間違う。そういう人は、属しているネットワークが違うと考えるべきだ。これは最近のソーシャルキャピタル(注)という議論にかかわる話だ。
 ネットワークには閉じたネットワークと開いたネットワークがある。閉じたネットワークというのは、親しい友だちなど狭い範囲の付き合いのことだ。開いたネットワークは、あちこちに友だちがいる、要するに毎日飲み友だちが違うような人がつくるネットワークのことだ。そうするとその人は、何かに特に関心を持たなくても、毎日違うところへ行けば違う話が入ってくる。自然と話題が豊富になるし、情報のハブになる。それは、その人のパーソナリティーがそうなのではなくて、その人のネットワークの組み方がそうだということだ。個々人の認知ではなく、その人のネットワークがどうなっているかを見ていくことが重要なのだ。

(注)ソーシャルキャピタル:社会関係資本、市民社会資本。信頼、互酬、規範、ネットワークなど人間関係、社会関係に関する目に見えない資本のこと。ハーバード大の政治学者ロバート・パットナムや社会学者ジェームズ・コールマンなどがソーシャルキャピタルの熱心な主唱者。

知っているから語り合える

 オピニオンリーダーという言葉が使われなくなったもう一つの理由は、情報源が豊富になったこともある。車の情報はネットからでも、専門情報誌からでも簡単に手に入る。それでなおかつオピニオンリーダーと呼ばれるためには、毎週試乗会へでも行かないとなれない。
 だれか特定の人に情報を流せば情報が全体に伝わり、モノが売れるというのは、確かに便利な話だが、コミュニケーションの流れはもう少し水平的に見た方がいい。
 実は1970年代に、オピニオンギバーとシーカーの関係は水平的だという研究がすでにアメリカで行われている。大統領選のマスメディアの効果に関する調査で、討論を聞いた人は、人にしゃべるだけではなくて、相手からも意見を聞いている。意見が一方向に流れるということはない。むしろ、影響を受けてもおかしくない何も知らない人たちが3分の1くらいいて、彼らはだれからも話を聞かない。つまり、到達しないところには全然到達しない。そういう内容だ。
 オピニオンリーダー論というのは、そういう情報の到達しない人にオピニオンリーダーが情報を運ぶというのがもともとのアイデアになっていたのだが、実際は、聞いた人同士では話し合うが、蚊帳の外にいた人はどこまで行っても蚊帳の外だということだ。
 だから、オピニオンがメディアを通して全体に伝わっていくと考えるのは、正しくない。むしろ、新聞なら新聞を読んでいる人たちの中で意見が交わされると考える方が正しい。拉致問題はその典型だ。みんな関心をもって新聞を読むから議論が起こるのであって、小さなテーマでは議論は広がらない。

新聞は掲示板の情報ソース

 インターネットの掲示板の話題のソースは新聞が多い。それは、新聞がレファレンス性が高いからだ。印刷物であるため、ホームページでもメールでも極めて言及が容易だ。それに比べテレビは、「きのうのニュースで見た」といっても、録画でもしていなければ証拠にならない。レファレンス性の弱いメディアだ。
 情報源として当たり前に使われている意味では、新聞は水に似ている。水にも味があって、うまい水とまずい水もあるだろうし、質も違う。それをみんな、自分の語りの中に盛り込んで、「話題」という料理をつくっている。しかし、ベースに水があることは、あまりにも当たり前で忘れてしまいがちだ。
 掲示板で語られることは社会性のある話題が多いように見えるが、実際は一見社会性があると思われるものだったら何でもいい。新聞や雑誌などパブリックな媒体には、語ってはいけないことや語り口が決まっていること、過去を知らないと語れないことなどの制約があるので、実際は記事にできない部分がかなりある。掲示板にはそういう制約はない。思ったら口に出せる。その分、偏見を引き寄せる可能性もはらんでいる。
 掲示板を見ているとわかることだが、話題の盛り上がりには波がある。議論はある前提があって始まるわけだが、話せることが次第に少なくなって議論が煮詰まってしまう。そこに、議論の前提を知らない新しい人が参加して、違う視点から議論が始まり、また掲示板が盛り上がるという波を繰り返している。
 普通の会話でも、実は同じことが起こっている。ただ、記録しているわけではないから、それを確かめられないだけだ。ところが、ネットの議論は記録が残るから、後で振り返ることができる。ニフティフォーラムの会議室の議論を調べたことがあるが、1か月に発言者は半分ぐらい交代していて、半年に1回ぐらい同じような話題の嵐になる。しかし、そのときに前の話題に参加していた人はほとんどそこにいない。

ネット発とマスメディア発

 掲示板の情報源に新聞が多いと言ったが、全体で見ればマスメディアが発信源になっている場合と、ネットが発信源になっている場合の両方あり得る世の中になってきている。たとえば告発型のホームページはネットが最初だろうし、海外の情報などマスメディアがもっている情報もある。また、海外のマスメディアで報道された場合と海外のネットで話題になる場合では違う伝播の仕方をする。
 パソコンに使われているペンティアム・プロセッサーが初めて登場したときに、計算間違いをするバグがあることが発覚したが、これがネット発信の最初の事件だった。1994年末のことだ。
 当時、実際に伝播の仕方を調査したのだが、ノルウェーの研究者が最初に発見して、チェックプログラムを一緒にネットに流している。インテルは最初、技術計算にしか起こらないバグということで対応を渋っていたが、ネットで批判が広がったことで、全部を無料で取り替えることになった。
 そのときのニュースの伝わり方を見ると、日本に伝わるのは1か月近く遅れた。言葉の壁というバリアがそこにはある。それでもネットに伝わる方が早くて、その後に新聞報道されている。この場合は、ネットが取材源になっている。

話題をつくる仕組みの重要性

 口コミネットワークとマスメディアをどう連動させるかが広告にとって大きな問題になっているが、コミュニケーションの流れをもう少し水平的に見た方がいいというのは広告にも言えることだ。
 伝えるべきものがあるとき、コミュニケーションは盛んになる。たとえば、アクセスするたびに違うものが見えるようにサイトの情報を変えていけば、そのサイトのことが話題になったときに、違うものも見た、何か変だということで口コミを生みやすい。最近でいえば、作家・村上春樹の『海辺のカフカ』の初期のトップページには、物語の展開のキーになる言葉が断片的に少しずつ出てきた。話題をつくり出すメカニズムが会話の中にあると、大きな力を生む。新車の発表会前のサイトなどでも、しばしばそれは行われる。
 もちろん、これまでのメディアでも同様のことは有効で、村上春樹の小説は、文庫本のしおりを使って宣伝をずっとやっていたが、本の内容を部分的に紹介する五通りのしおりをつくっている。入り口を少しずつ変えることによって話題をつくろうという試みだ。大事なのは、口コミネットワーク、マスメディアそれぞれの特性に合わせ、口コミを生む仕組みをいかにつくるかということだ。

インタラクションの視点から

 話題をつくり出すメカニズムという視点で見れば、マス広告である新聞広告にも違った側面が見えてくる。たとえば、ブランド品の広告はきれいな商品写真を新聞一ページに載せているだけで、商品の説明すらないものが多い。しかし、それを見る女性たちはさまざまなイメージを心に思い浮かべている。だから、それはショーウインドーを見に行ったのと同じ効果がある。これを、単なる接触率という数字に置き換えてしまったら何も見えてこない。接触の裏にいろいろなイメージが広がり、見た人同士の会話が生まれる。
 それは何も高級ブランド品の広告だけではなくて、広告一般にも言えることだ。インパクトのある広告は、どこか話題性がある。広告の裏に話題を呼び起こすメカニズムを持っている。
 マスメディア、特に新聞の特性を挙げるなら、何かの入り口になる、間口が広いということだ。それはインデックス性と言い換えてもいいかもしれない。新聞は、ネットの掲示板の情報源にもなれば、世論形成に重要な役割も果たす。また、新聞広告は、企業のホームページの入り口にもなれば、意見広告の場にも、ブランド品のショーウインドーにもなる。重要なのは、新聞を単にマスが接触する媒体としてみるのではなく、広告を見た人同士の会話、インタラクションという側面からとらえていくことだと思う。




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