特集 2002.10/vol.5-No.7

活字文化・出版文化を考える
本・売りの現場から 福嶋聡氏
劇場としての書店
Fukushima Akira
1959年兵庫県生まれ。81年京都大学文学部哲学科卒。82年2月にジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店を経て、1997年仙台店店長。2000年 3月から池袋本店副店長。著書に「書店人のしごと」「書店人のこころ」(共に三一書房)、「劇場としての書店」(新評論)などがある。


 本の売り場は昔と今で、どう変わっているのだろうか。書店の棚は、ただ本を並べてあるだけでなく、それぞれの書店の工夫がある。ジュンク堂はユニークな試みで成長してきた書店だ。本を売る現場は、今どうなっているのか。東京・池袋のジュンク堂副店長・福嶋聡氏に聞いた。
 
 神戸市に本社を置くジュンク堂は、専門書の充実で業績を伸ばしてきた書店だ。そのジュンク堂が東京・池袋に進出したのは1997年の夏。2000年三月には6600平方メートルに増床し、日本最大級の書店となった。
 地上9階地下1階の売り場には図書館のように背の高い本棚が置かれ、専門書を中心に150万冊の本が並ぶ。精算は1階のレジでまとめて行うシステムを採っている。各フロアに“座り読み”用のいすを置くサービスは20年前、神戸の店で始めたものだが、池袋本店の4階には広いテラス付きの喫茶室もある。その池袋本店の副店長が福嶋氏だ。

 1階に集中レジをつくったのは、各フロアの担当がお客さまに声をかけられる状態をもっとつくりたかったからです。店員が忙しそうで声をかけられないというのは、やはりよくない。それで、1階以外のカウンターは店員の出入りが自由にできるようにつくっています。一階集中レジがうまくいくかどうかは、逆に、レジのないフロアの担当がいかに丁寧に応対できるかにかかっています。
 お客さんに声をかけるといっても、本を真剣に見ている人に声をかければ迷惑だし、まさか「その本、とってもお似合いです」という必要もないわけで……。ただ、これまでの書店は、お客さんに声をかけなさ過ぎた。場所がわからなくてキョロキョロしている人やエスカレーター横の案内板を見ている人に「どういうジャンルの本をお探しですか」と言葉をかけるのは決して悪いことではない。
 1階集中レジにした当初は、ぼくらも対応に工夫しました。「レジは?」と聞かれたら「一階に行ってください」ではなく、「お会計は、お帰りの際にまとめてしていただいたら結構です」と言えば、お客さんにも気持ちよく伝わる。それが、本好きの人に対しては、ウケる結果になったと思います。池袋本店をよくわかっている方は、下までいろいろな本を持ってきて、「これは買う、これはいらない」とやっています。
 また、禁止事項を壁にはってもほとんどのお客さんは見てくれません。あれはダメ、これはダメと壁にはり出すのではなく、むしろ書いてないことをコミュニケーションのきっかけにすべきなのです。本を見てメモを取るのは、著作権的にも、本が傷むということでも問題があるのですが、注意すると「じゃあ、書いておいてくれたらいいじゃないか」と言われる場合がある。そんな時は、「いや、それではきりがありませんから、こうして改めてお願い申し上げてるのです」と言えば、普通の人はわかってくれるものです。
 最近も「お前のところは本を何冊買っても、しおりをくれない」という方がいました。希望の人には渡すようにしているのですが、無言のまますべて自分の思い通りになるというのは、決していい世界ではないと思うのです。やはり「こうして欲しい」ということがあれば、言葉を発する。お互いコミュニケーションをとろうとする気持ちから、すべてが始まると思うのです。
 1階集中レジにした時、万引きについてもよく質問を受けました。万引きをしようという人はごくまれで、ほとんどの人はいくらできる状況にあってもしないわけですから、むしろそういう人たちの方を大事にすることの方が、万引きするかもしれないと思って見張っているよりは、ずっと重要だと思うのです。

本屋、そして本のおもしろさ

 福嶋氏は、今年7月に新評論から『劇場としての書店』という本を出版した。仙台店の店長時代から書きためていた原稿をまとめたもので、書店人(福嶋氏)がどう書店という空間をとらえ、本をそろえ、客と接しているかという視点から書いた。ジュンク堂のマニュアルではなく、福嶋氏個人の書店観として書かれているところもユニークな点だ。「『なるほど、本というのはおもしろい』と思ってもらう書き方をしたかった」と福嶋氏はいう。

 ジュンク堂のおもしろさは、一度来てもらわないとわからないかもしれません。たとえば10年、20年前の本でも、再販で売っている本は、その当時の値段で売っています。芝居好きの人も、おそらく一度見に行くまでは芝居がそんなにおもしろいとは思っていなかったはずで、本屋も同じだと思うのです。
 確かに、読書好きのいわゆるコアな人たちはいるし、ぼくらのところにも来てくれていますが、コアでないところがどんどん減っているとしたら、ぼくらのような専門書店にも今後影響が出てきます。
 しかし、本を開いて活字を目で追う習慣さえつくっておいてくれれば、本は大丈夫なのです。本の場合、一度その習慣ができたら、何かのときに「ちょっとまた読んでみようか」と思えば本屋に足が向く。そういう習慣は、やはり子供のころつくられると思うのです。だから、学校の行き帰りや、お使いのついでに立ち寄れる本屋さんに元気でいてもらう必要がある。
 世田谷で王様書房という書店を経営されている柴崎繁さんが、若手書店人の勉強会で話されたことが、今でも印象に残っています。柴崎さんは、本屋は子供が最初に自分のお小遣いで、自分のものとして買い物に行く所だと話されていた。お使いで八百屋さんに行くのはお母さんに言われてですが、本屋は自分の意思で、お使い帰りに立ち寄る場所だと。立ち寄っては、1冊の本をじっと眺めて帰る子がいる。そういう子は、必ずその本を買うというのです。親と一緒に買いに来て、親が「こっちにしなさい」と言っても、絶対に譲らない。本というのはそういうものだというのです。そこからやはり、読書は始まっていくと思うのです。
 本を読むという行為は決して楽な作業ではありません。しかし、その分返ってくるものも大きい。本に対する能動性、積極性を持っていないと、いくら楽しい本屋をつくっても、人々はやって来ない。学校教育の中で、読書のおもしろさを伝えてもらうことも大切でしょうし、子どものころから、どこかで、本に対する能動性を持ってもらうことが一番大事なのです。
 ただ、ぼくらも勘違いしやすいことがあります。それは、読者は本屋がおもしろいから本を買うのではなくて、本がおもしろいから本を買うということです。そこを勘違いして変な工夫をしてしまう。実は、本屋はすっきりと見やすい方が多くの読者にとってはいいのかもしれないと、最近は思っています。
 ベストセラーに大きなスペースをとっていないというのも、できるだけ店頭に置く本の点数を増やした方が効率がいいという理由からです。いま売れている本をたくさん並べると本屋にとっては安心感があるかもしれませんが、本屋が本来やるべきことは、もっとまめに本を補充することです。そうすれば、無理なくたくさんの本を見ていただける。池袋本店はそういう売れる本だけで勝負をしていたら勝てない立地にあるということもありますが……。

定着して欲しい「前書評」

 新聞や雑誌には新刊書の書評が載る。ところが、これは本が発行されてからかなりたってからだ。出版社はメディアにも本が発行されてから送るため、どうしても書評の掲載が遅くなる。これに対して、アメリカでは前書評が定着している。簡易装丁本を出版前にメディアや書評者に送っておくシステムだ。

 前書評は、なかなか日本では定着しません。というより、それができる状態にない。アメリカでは発行するまで宣伝に半年ぐらいかけます。新聞社や雑誌社に事前に送って書評を書いてもらい需要を喚起している。だから日米同時発売もできるわけです。
 ただ、アメリカの書店はユニトーン、どの書店へ行っても一緒です。今年の5月にアメリカに行った時は、張ってあるポスターは全部「スパイダーマン」で、積んである本はすべて『スター・ウォーズ』だった。アメリカは多様性の国だといいますが、ウソだと思いましたね(笑)。アメリカの場合は、発行して一定の時期がきたら、完全にディスカウントで売られ、その後ペーパーバックになる。そのペースが非常に早い。専門書の棚を見ても点数が少ない。今売る本はこれだというのが決まっている。本を売ることが完全に商売になっています。前書評を書いてもらって、事前の注文をとる仕組みがきちんとできています。
 しかし、実際にアメリカの本屋を見たら、それが本当にいいのかとも思います。再販制に守られていることもありますが、日本の本屋には、「まだあったの?」という本が並んでいる。その代わり、アメリカの古本屋にはものすごい数の本がある。役割分担が完全に決まっています。
 そういうように日米で事情は違いますが、日本でも前書評は、もっとあってもいい仕組みだと思います。というのは、今の書評は、出る時期が遅すぎるのです。書店では一応3か月を返品の目安にしていますが、書評はそのころに出るものが一番多い。池袋本店の場合はスペースもあるので返品の必要はありませんが、京都店で自分の棚を持っていた時には、その時は売れてなくても、この本は書評が出そうか、出そうもないかを考えながら残す本を決めていました。そうしないと、返した途端にまた発注ということになるからです。

インターネット、POSはツール

 バーチャル書店とリアル書店という言い方がある。最近はインターネットでも書籍が買えるようになった。その影響は、実際の書店にはないのだろうか。

 実は今、ある作家の前書評を頼まれているのですが、それは簡易装丁本できています。それで気づいたのは、本は簡易装丁でもなんでも、必ず本の形をしていないと読めないということです。やはり、本はコンテンツだけではないと思いますね。インターネットの情報は、確かに貴重だし便利な部分もありますが、じっくり腰を据えて読むには、プリントアウトでもキツい。ましてや、画面上だったらせいぜい二画面ぐらいが限界です。
 ただ、情報を知るためのツールとしてはインターネットはすぐれている。インターネットが登場した時には、本の敵か味方かみたいな議論がありましたが、今は特に読者にとっては、いろいろな本の存在を知るためのツールになっています。読者はお金を使って、時間を使って、あらゆるものを代償にしてその本を読むという行為をする人たちです。そういう人たちが、インターネットのようなツールがあったときに積極的に使わないわけがない。バーチャル書店を利用している人は、実は実際の書店にも足を運んでいる。そのときどきの目的によって使い分けています。
 書店のPOSも同じです。一番肝心なのは、経営者がどう見ているかです。POSで人減らしができると思ったら、たぶん書店はダメになる。また、データを見てその意味が読めないと、いくら数字を見ても何も出てきません。数字を全部見た上で捨てるということが大事なのだと思います。実際、POSなしでも仕事をうまくこなしてきた人はPOSも使っています。やはり、いい職人はいい道具をうまく使うのです。素手だけで仕事をするのがいい職人ではないと思いますね。せっかくリアルタイムの売り上げ情報があるのだったら、それを見ない手はありません。

利用する空間としての本屋

 福嶋氏は京都大学の哲学科を卒業後、ジュンク堂に入社。学生時代から演劇活動を行い、入社後もしばらく続けていた。「京大の哲学を出て本屋かいとよく言われますが、哲学科を出て役に立つ商売は、本屋だけなのです。あとは学者になるか先生になるしかない」という福嶋氏に、最後に、本屋とは何か、書店員に求められる資質を聞いた。

 本は能動的に買うもの、本がおもしろいから本を買うということを考えたら、本屋の役割は、いかに心地よく利用してもらえるかです。本屋というのは「利用」だと思っています。決して本屋が何かをすすめて「売る」ということではない。本屋は、その場所を利用して、本の中身と読者の意識が対話する空間だと思うのです。その結果、お客さんに買っていただく。ですから、ぼくは「ご利用くださいましてありがとうございます」という言葉が一番好きなんです。
 そう考えると、本というのは、ぼくらが「この本がいいですよ」とすすめても無駄な商品だということがわかります。「書店のカリスマ店員は不可能」というのが、ぼくの結論です。どこまでいっても、読む人の積極性、読む人と書く人の精神の交わりには勝てない。それに唯一近づこうと思ったら、自分も読むしかない。本屋は本を読める環境にあると思われがちですが、読むのは、ぼくらの就業時間内の仕事ではありません。普段の仕事ではないところで読まなければいけない。そうしないと、知識欲の旺盛な読者のエネルギーについていけないのです。
 将棋をしない人には将棋の本はわかりません。「これは新しい戦法だ」「これは解説がわかりやすい」というのは、いくら長年将棋の本を扱っていても、自分が将棋をやらなければ絶対わからないのです。
 だから、新入社員やアルバイトには「とにかく趣味を持つこと」と言っています。学生時代に学んできた勉強も「大学の4年間で、もう飽き飽きした」というなら別だけれど、それは細々でいいから続けろと言っています。そのことが、結局読者の役に立つことになる。「本屋の仕事だけに邁進する」という人は、ろくな本屋になりません。




状況への発言
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