特集 2002.6/vol.5-No.3

人は新聞に何を求めているか  
メディアの既成概念を検証する 沼野恵氏

  日曜日に読む新聞と通勤電車の中で読む新聞は、同じ新聞でも実は違うかもしれない。読む側の視点から新聞を見直すことで、これまでにない新聞の使い方、マーケティングが見えてくる。新聞広告の新たな可能性を電通のメディアプランナー、沼野恵氏に聞いた。
 
 メディアプランナーという仕事柄、新聞はスポーツ紙を含めて各紙読んでいますが、基本的に見たいものは自分のお金で買うようにしています。それは、新聞であっても、週刊誌であっても、映画であっても、お金を出すに値するメディアかどうかということが、そのメディアにとって第一のハードルだからです。また、本当に買いたいものはいったい何かという自分なりの尺度を持っておきたいということもあります。
 そうしていると、自分の世代や自分の感覚のうつろいみたいなものがはっきり分かってくる。昔はよく情報誌を買ったが今はさっぱり買わなくなった。その代わり、イチローが打ったと聞けばキヨスクで夕刊紙を買っている自分がいる。それはやはり、年齢と共に自分の生活シーンが変わってきているからで、そのメディアの持っている雰囲気と自分とが段々離れてきているとか、逆に近づいてきているとか、そういう感覚を大事にしたいと思っています。そのために、とにかく身銭を切って買いたいものは買うし、買いたくないものは買わない。それだけは、はっきりしておこうと思っています。
 私は今37歳ですが、この世代から下の連中には上下の世代と口をきかなくても生きていけると考えている人たちが結構いて、上司に飲みに誘われても絶対行かない者も多くなっています。彼らは、自分たちの世代の殻の中に閉じこもって生活している。それで思うのは、彼らはインターネットを便利だから使っているのではなくて、広がりがいらないから使っているのかもしれないということです。
 個人的な感覚ですが、インターネットは段々使っていくうちに情報が硬直化していくメディアだという気がしてきています。確かに機能的には間口は広いのですが、偶発的な情報接触や嗜好の異なる情報との接触は激減しているのではないか。だから、知らないことが新しく入ってくる、別の人間の言い分を聞く、世の中一般の解釈と自分の考え方の差を知るということがなくなっている気がします。

コンシューマー側から見る

 最近、仕事で中国や東南アジアに行くことが多いのですが、どの国にもニールセンなどのメディアデータが日本と同じようにあります。
 数字の示す意味はもちろんわかるのですが、それだけ見てもまるでよりどころがないのです。つまり、日本でメディアデータを見ているときは、無意識に数字の行間を読んでいる。
 国内の場合は、自分も暮らしているし、生活する人の姿も見ていますから、例えば読売新聞の閲読率30%という数字があったとき、それがどういう意味を持っているのかを咀嚼することが可能です。
 それができない社会に行くと絶対値だけ見ても何も説明できないのです。「AよりBの方がたくさん読まれている」で終わってしまう。やはり、接触環境やコンシューマー側に立った媒体評価を知らないと戦略が立たないということです。

数字ではなく解決策を示す

 私のやっているメディアプランニングという仕事は、広告主の広告目標に沿って、それを達成するために最も効果的なものの言い方、置き場所(媒体)、タイミングなどを考えることですが、その基本はコンシューマーの視点でメディア接触をとらえることにあります。
 広告主が本当に知りたいのは、一般論としてのメディアの機能や役割ではなく、わが社の商品、わが社のブランドの広告が新聞で展開されるときにどういう効果があるのか、商品戦略とどう整合性があるのかということです。自社の商品に新聞もしくは他のメディアはどう役立つのかというカスタマイズの発想が、実は求められている。
 媒体の基本的な特性を数字で示したメディアデータはもちろん大事ですが、先ほどの話と同じで、それだけでは「AよりBの方がたくさん読まれている」に近い話で終わってしまいます。わが社の商品にとってどうなのかにこたえるためには、そこに現実的な知恵が加わらないと解決になりません。
 現実的な知恵というのは、実際の広告でできることは何かということです。この商品のどんな表現を新聞に載せ、どんな日付を選んで出稿すると期待される効果が出るのかという具体的な組み合わせの問題にこたえる解決策、ソリューションの提案が大事になります。
 その前提となるのが広告目標です。商品に対する認識、パーセプションを変えたいのか、商品の使い方や使用頻度を変えさせたいのか、そういう目的をまず明確にしなければなりません。これは、当然、広告主とパートナーたる広告会社が決めるべきものです。それは商品の種類やそのブランドの置かれた立場によっても変わるもので、広告主も、そういう視点に立って何が一番消費者の心に刺さるコミュニケーションなのかを明確にしてメディアを選ぶ必要があると思うのです。

媒体選択の考え方

 新聞であっても、テレビ、雑誌であっても、広告のメッセージが確実に届くのであればどのメディアを選択してもいいはずです。しかし、メッセージの内容、メディアの種類、そのメディアに触れる状況で広告の届き方は変わります。
 解決策を見つけるためには、個別の事情に合わせて考えていくしかありません。例えば、新車をヒット商品にしたいといったときに、どういうことを言うべきか。答えは一つではないはずです。スタイルがいい、人がうらやましがる、今までにない機能を持っている、今の時代の生き方を体現したような車である。そうした広告で言わなければいけない情報を伝えるにはどの媒体が適しているのか、それをどういう順番で、どれくらいの声の大きさで、だれに言ったらいいのか。
 大きな声で何回も言うと伝わるメッセージであればテレビかもしれない。冷静な声でちょっと気むずかしい人を最初に口説きたいのなら新聞がいいかもしれない。それから、ニッチな人にだけ好かれたいのだったら雑誌でもいいかもしれません。
 また、ほとんどの場合、ターゲットは複数いて、多層化していますから、その違うタイプの人たちにきちんと届くようにメディアを選ぶ。重複している部分は重複させればいい。重要なのは、媒体選択をターゲットとメッセージの組み合わせの中で考えるということです。

人によって見方が違う新聞

 今の時代、マスメディアであっても、ターゲットを「みんな」と言ってしまってはあまりにも顔が見えなさ過ぎると言うか、戦略が立ちにくくなっています。「みんな」というのは既に幻想になってきています。新聞を使う場合でも、読者の中のどういう人を攻めるのか、もうちょっと具体的な細分化したものがあってもいいのではないか。それは性、年齢や職業といったデモグラフィックな切り方になるときもあれば、人の心理や嗜好で細分化することかもしれません。
 新聞は皆に届くメディアとか、皆に信用されるメディアといわれているけれども、本当に深く考えていくと、年代やライフスタイルの違いでかなり読み方が違うはずです。例えば、今まであまり熱心に新聞を読んでいなかった人でも、会社員になったり、役職が近づいてくると急に新聞にコミットする。その世代に向けた広告があってもいいと思うし、マーケティングとしても成り立つと思うのです。

クリエイターを触発するデータ

 今の仕事をしていて思うのは、そういう従来の媒体の見方と違うデータ、もしくはデータの読み取り方はクリエイターをも触発するということです。要するに、表現をつくっていくためのブリーフィングにもなる。
 単にリーチ70%、閲読率30%と言ってもクリエイターは反応しませんが、「読売新聞の読者の中のこういうターゲットはこういう新聞の読み方をしている」というデータがあれば、そこから、それに沿ったメッセージを出した方がいいのか、逆手にとった方がインパクトがあるのかというようなクリエイティブの発想は始まる。
 家庭の主婦の朝刊の読み方と社会に出て働いている女性の朝刊の読み方は全然違うはずです。それはどんな点だろうと考える。そういうシチュエーションを読んだデータをクリエイターにわたすことが、いい発想につながってくると思うのです。

メディアに対する既成概念

 新聞とテレビが共存するようになってからのここ数十年、広告媒体に対する考え方は硬直している、既成概念で固まり過ぎているように思います。この媒体はこういうものであるという考えが固定化し過ぎて、そこから逃れられなくなっている。それを一度うち破る必要があるのかもしれないと思っています。
 それを感じるのは、海外のメディアプランニングを担当するようになってからです。媒体に対して人がどう思っているかは、環境が変わったり、人が変われば全然違うものです。
 例えば、中国では朝刊と夕刊のほかに、昼に発行される新聞の3種類の新聞があります。同じ新聞社が朝・夕刊を出しているだけではなく、日本の夕刊紙みたいなものが数限りなくあります。しかも宅配ばかりではなく、会社が買ってくれるものも多いようです。それを就業時間中や昼休みにみんなで読む。複数の新聞が読まれ、1紙当たりの回読率もものすごく高い。皆が同じ場所で回し読みしているわけだから、そこに載っている広告を見て「あっ、これ、いいね」みたいな話になる。そういう口コミ誘発媒体の側面も中国の新聞は持っているようです。
 これは日本の今の新聞に対する既成概念からはかなりズレていますが、新聞もそういう配布のされ方や接触構造が変われば、その評価も大きく変わっていくことを示しています。

だれが、いつ読んでいるか

 特定のターゲットがどういう読み方をしているかは、これからの新聞の使い方を考える上で、おもしろいヒントになると思っています。日本の新聞が、今、いったいどんな読み方をされているのか、新聞を読んでいる人の調査をすると新しい発見があると思います。
 例えば、仕事を持っている都会の女性はどんな新聞の読み方をしているのか、新聞をどう評価しているのかということなど。単純にいつ読んでいるか、どの新聞とどういう関係を持って接触しているか、どういう情報を重視しているのかだけでもよいのです。それによって表現戦略も変わってくるし、新聞広告に向いている商品、向かない商品も決まってくる。
 主婦は昼、家で新聞を読むと言われていますが、そういう人たちでも世代が違えば読み方は違うはずです。専業主婦歴30年の人と子育てのため会社を休業中の女性では全然違う目で新聞に接しているのではないか。新聞が家庭のテーブルに置かれている午前10時に、その人たちはいったいどういう気分で新聞を見ているのだろうか。
 かなり乱暴でもいいから「だれが、いつ、どんなつもりで新聞を読んでいるのか」という仮説と、それに対してのいくつかの実証データがあれば、メディアプランニングにもクリエイティブにもかなり役立つと思います。より具体的に有効に働きそうなメディアの組み合わせ、人と商品と表現の組み合わせができあがってくると思うのです。

同じ新聞でも違う新聞

 同じ朝刊でも、個々の読者から見たら違うものかもしれないと思うことがあります。サラリーマンの場合、休日と平日では違うモードで新聞を読んでいる。もしかしたら、違う媒体としてとらえている可能性もあります。
 例えば、日曜日の読売新聞と、通勤電車の中で読む読売新聞はかなり違うものだと思います。それは新聞社から見て違うということではなくて、読む人間から見て違うということです。日曜日に日曜版を見ているときの気分や掲載されている広告の見方は、通勤時に経済面を読むことと比べると、読者の感覚としては、月刊誌と週刊誌、グラビアと活版ページくらいの違いがあると思います。
 その違いはあまり定量的なデータにはならないかもしれませんが、かなり大きな違いのような気がします。

沼野恵氏読む側の視点からの媒体特性

 新聞社や広告会社が広告主に対して媒体特性を説明するときも、新聞を読む側の視点は大切ではないか。
 「首都圏では全国紙数紙を使うと7、8割のサラリーマンに広告が到達します」というのは新聞にとっての一つのセールスポイントかもしれませんが、到達するだけならテレビと一緒じゃないかということになってしまいます。
 そうではなくて、例えば新発売の日には売る側の人間も買う側の人間も同じ情報や認識を共有している状態がほしい場合があります。新車発表会など、最終的な顧客接点が店頭やセールスマンの場合がそうで、プッシュ型の商品にそうしたケースは多くあります。
 また、正月明けや大型連休の前、あるいは大きなスポーツイベントがあるときは、人間の心理が揺れ動いている。人々の気持ちがある程度一つの考え方なり、ものの見方に寄っているようなときに発した方が効果的なメッセージもあります。
 テレビはそういうタイミングをとらえることが不得意な媒体です。一方、新聞には毎日発行される、宅配で安定したリーチが望めるという特性があります。これを読む側から見れば「タイミングをとらえる媒体」ということになります。そういう視点から新聞の媒体特性を語ることが必要なのだと思います。



日々の歴史を記録し続ける新聞
山崎正和氏→


「今日の広告」という連帯感
福田美蘭氏→
もどる