特集 2002.6/vol.5-No.3

人は新聞に何を求めているか  
「今日の広告」という連帯感 福田美蘭氏

  画家の福田美蘭氏は、新聞の魅力はその身体性にあるという。朝の光にあてて文字をたどる充実感、四隅が一目では見られない新聞の大きさ、毎朝、何百万人の人が同じ広告を手にする連帯感。福田氏に、新聞広告と新聞の魅力を聞いた。
 
――福田さんにとって、新聞とはどういうものですか。
 朝バリバリと新聞を開ける感じにすごく充実感を感じますね。読まないで仕事に入ると、なんとなく何かが足りない気がする。朝のコーヒーと似たような感覚があって、最後まで読んだときはさっぱりして、1日が始まるぞという気になりますね。そういうジェネレーションなのかもしれないですが、私の中では一つの大きな習慣になっています。

――新聞に関心を持ったのはいつごろからですか。
 新聞や新聞広告を意識しておもしろいと思うようになったのは、大学に入って美術を本当に勉強しようと思ってからですね。私の場合、創造するベースが情報やメディアなど今の社会状況と深く結びついていて、新聞にはダイレクトにそういうものを見出すことができた。

――具体的には、どんな点ですか。
 今は情報があふれた社会ですが、その中で一番大事なことは、自らその情報を選択することだと思うんですね。
 私はテレビ世代ですが、新聞の一番大事な魅力は、自分の読みたいもの、見たいものだけを選択して見ることができる。要するにテレビと違って、強制されないメディアだという点だと思うのです。
 もう一つは、「あ、これはちょっとおもしろい」と思った広告はハサミで切って取っておくことができる。後で確認できるということです。テレビのように流れていってしまうものは、後から確認できない。ずるずる流されていく感じがある。
 それからテレビやインターネット、携帯メールもそうですが、発光体を見ますよね。画面が光っている。一方、新聞は、自然光、朝の光にあてて文字をたどる。そういう視覚伝達の方が、私は個人的に好きなんですね。

リアリティーを感じるメディア

――インターネットは利用している?
 やってないです。メールもやっていません。それは、やはり、弊害が出てくるということと、踊らされないでいたいということがあるんです。今まで使わなかったらもう使わないで生きていけるとみんなにも言われる。今のところは不自由なく生活できますし、やはり新聞から情報を得る、図書館に行ってものを調べるという方が、私は好きですね。新聞には物質感がある。身体性につながるということです。
 要するに、テレビやインターネットのような非物質的なメディアは身体性がないから、リアリティーがない。新聞は紙ですよね。必要最小限の技術でアナログ的につくられているのが新聞だと思うのです。そういうところに、私はすごくリアリティーを感じますね。
 特におもしろいと思うのは、新聞の紙のサイズです。新聞は私たちの生活の中で、日常的に手にする一番大きな紙のサイズです。開いた新聞のサイズは意外と大きい。
 やはりあのサイズが私は好きで、外国の新聞や日本の夕刊紙にタブロイド判がありますが、どうしても新聞はあのブランケットサイズでないといけない。
 大きなサイズの紙面を間近に目で見るというインパクトもあるし、四隅が一目では視覚に入らないのが、実はすばらしいところなんです。

――四隅が目に入らないというのは?
 こっちを読んでいるともう一方の端が見えないわけですから、首を振って見ていく。そういうことの新鮮さですよね。やはり自分で、能動的に身体と共に何かを吸収していくというまれなメディアだと思うのです。

――新聞の形態が能動性を強いるわけですね。
 電車の中でバリバリと二つに折って、こう幅を狭くして読んでいく。意外とそういうものが日常生活からなくなってきていると思うのです。そういう意味で、新聞は貴重な形態を保っている。
 テレビはどんなに画面が大きくても、パッと一目で入りますよね。液晶の小型テレビは本当に小さくなっている。日本には元々小さいものに価値を見いだす文化がある。盆栽もそうですよね。日本の戦後の経済発展も小型化ということで来たと思うのです。
 そういう文化がある中で、あの新聞のサイズは、よく今まで残ってきたなという感じがしますね。私は、かえってすごくノスタルジックな魅力を感じます。今日本の若者がノスタルジーから韓国の歌謡曲にはまってきているのと同じ要素を、新聞が持っているのではないかなと思いますね。

新聞の機能を再認識する試み

読書欄イラスト――福田さんは新聞を素材にした作品を多くつくっていますが。
 作品を考えるとき、みんなが共通して持っているものをピックアップするので、新聞は一番身近なんですね。新聞を知らない日本人はいないし、そういう意味で共通項というか、共通の認識があるので素材としてはおもしろいわけです。
 朝刊のすべてのページを画廊に並べて、写真の部分を全部白く塗りつぶして、新聞を読んでもらう。写真によって記事がいかに生かされているかを再認識してもらおうという作品をつくったこともあります。新聞は、美術の世界に取り込んでいくという意味でもいろんな可能性がありますね。

――読売新聞の読書欄に山折り、谷折りの線の入ったイラストを描かれていましたね。
 新聞は身体的な能動性がある唯一のメディアなのですが、そのことに気が付かない人たちがいる。それで、受け手と送り手の意識的なつながりが欲しいと思って描いたイラストです。新聞を折るともう一つ絵が出てくる仕掛けをつくることで、今までにない新聞との強いかかわりができると思った。新聞はいずれ捨てるわけだから、そういう楽しみ方もできる。
 それとこれまでの新聞のイラストのマンネリ化ですね。いつも思っていたことですが、ただ挿絵があるだけで、「もうちょっと何かない?」という気持ちが私の中にずっとあった。
 ほかにも、新聞では、メモを書く欄をつくったものや絵が途中までしか描いてなくて、その続きを自分で描いてくださいという指示を出したイラストも連載したことがあります。

今日の広告の魅力

――そういう福田さんの目から見て、新聞広告をどう思われますか。
 新聞広告の変化は、時代の変化そのものだと思うし、時代のアンテナになっている気がしますね。つくる立場から見てもそういう感じがします。
 ただそれ以上に、次のページは何が出ているか。記事なのか、全面広告なのかが、自分の手を使ってめくってみなければわからないというのが意外と魅力で、次が全面広告だったりすると開けてびっくりがある。
 しかも、朝刊は結局夕刊までの数時間の命ですよね。ただ、わずか数時間の間だけれども、読売新聞なら1000万世帯の人が共有している。私が朝刊で見たように、この広告に1000万世帯の人が触れているんだという連帯感。明日の広告ではない、昨日の広告ではない、今日の広告の魅力というのは、やはり新聞ならではだと思うのです。
 また記事というのは、言ってみれば、正確に、確実に、今の社会の動きを見るという役割を果たしていますが、広告は別の言葉で社会を分析することができる。見る側がその広告によって、社会の空気みたいなものを感じることができる。広告は、記事とは別の現代の視点を映し込んだものだと思いますね。そこから私たちは、現代というものを読み取ることができる。
 現代というのは、すごくとらえどころのない複雑な時代ですが、それを敏感にキャッチしているのは、やはり広告だと思うのです。

――テレビCMとは受け取り方が違う?
 違いますね。やはりテレビCMは、途中で番組が切れて始まるわけですよね。すごく強引な感じがするし、選択の幅がない。それでいて、それぞれのCMはインパクトを持っていますから、結構ボーッと見てしまう。そういう循環が繰り返されていて、それに慣れてくると、本来の人間の能動性とは全然違う環境になってくると思いますね。
 新聞がテレビと違うのは、記事と広告が分かれている点です。新聞の本体はあくまで記事であって広告ではないということが、私はすごくすばらしいことだと思います。その辺がテレビはごっちゃになっている。新聞と新聞広告は、二つで一つだし、共存関係が成り立っている。それが新聞の魅力だし、これからも大事にしていかなければいけない点だと思います。改めて考えてみると、新聞広告は他のメディアの広告と比べかなり特殊ですよね。よく探してみると、魅力がたくさんある。そういう奥深い世界だと思います。

既成概念を脱却する広告

――最近の新聞広告をみて、何か感じることはありますか。
 今までの広告は商品が見えていた。その商品を買う気にさせるのが目的で、それが広告を見ている人との架け橋だったわけです。ところが最近、知らないうちに受け継いで来たそういう広告の既成概念みたいなものから脱却する広告が出てきていると思いますね。

――ご自身は、新聞広告をつくったことは?
 ありますが、広告はつくりたいものをつくるのとは違う。社会のニーズ、受け手のニーズがあるし、社会に対する影響、公共性というものも配慮しなければいけない。視覚伝達、デザインの分野でもすごくむずかしい分野だと感じましたね。何重にも規制がかかってくる。見る側は気楽に楽しんで見てますが。

次の時代を生きるヒントに

ニューヨーク・タイムズ(2001.9.23)――これまでの新聞広告で、特に印象に残っているものはありますか。
 新聞には各紙の顔が必要だと思うし、その顔を出すところが広告だと思うんですよ。そういう意味で印象的だったのはオノヨーコさんが同時テロの後にニューヨーク・タイムズに出した広告です。ジョン・レノンの詞を一行出して、広告を出した主はだれかということを伏せて掲載した。いかにも自由な国アメリカだと思った。この広告を見たとき、私はこういう広告を見たい、こういうものを欲しているんだ思いましたね。
 人は、今と次の時代をいかに生きていくか、そのヒントを探し続けて生きているわけだから、そういう次の時代を読み取る一つのヒントに新聞広告は活用されてもいいと思うし、それをどう生かしていくかということで、私たちそれぞれが、日常生活を向上させていけるというふうに思いますよね。

――同時テロに関する絵も何点か描かれていますが。
 「ブッシュ大統領に話しかけるキリスト」は、テロに対する報復行動に対してアメリカに正式に反対する国は全然なかった。ブッシュを説得しようという国はどこにもなかった。だから、ブッシュが耳を傾けるとしたら、キリストしかない。そういう私の考えを、絵画にしてみたものです。その発想というのは、ホワイトハウスの執務室で彼が何か言っている新聞のカラー写真です。そういうものを毎朝毎晩見せられていた。
 あの事件が起こってから、きれいな花の絵や風景を描いたりするのは嘘だということに気づいて制作ができなくなる作家もたくさんいました。私も現代を映すことが美術の仕事だと思っていたので、あえてそういう仕事もやってみようと思った。それで今年の1月に発表したんです。
 もう一点は「ニューヨークの星」で、ニューヨークの夜景を全面に描いてツインタワーのあった場所をはと目で抜いて、その抜いた光を星にして、空に散らした。一見遠目に見ると、ツインタワーのライトが消えているようにみえるのですが、近くに行くと、それは星になってしまったという状況を表現した作品です。ツインタワーの破壊という痛ましい状況を描くだけでなく、未来につながる希望というものを描くことも美術の力としてあると思って描いた。

「ブッシュ大統領に話しかけるキリスト」
「ニューヨークの星」
――同時テロが現代作家に与えた影響は大きかった。
 ものを創造する人間にとっては、やはり自分の想像力を現実が超えてしまったショックというのは、大きいですよね。目に見えない想像力を形にするのが仕事だったのに、現実がそれを簡単に超えてしまった。作家がそれをどう考えていくかは、これからだと思いますね。それは広告にも言えることだと思います。

自分の顔を持つ広告

――これからの新聞広告はどうあるべきだと。
 広告の受け手としての反省ですが、日本は受け手が成熟していないという部分があると思うのです。それから、日本では広告に何重にもチェックが入る。絶対間違えないということが、一つの社会通念になっているから、広告が自分の顔を持てなくなっているということはありますね。それは、広告を打つ側だけではなくて、その広告を載せる新聞の責任も大きいし、果たす役割も大きいと思うのです。
 それから、若い読者を引きつけるためにも新聞広告は重要だと思うんです。

――その理由というのは?
 新聞にとって大事なことは新聞自体が情報に惑わされてないということだと思うのです。この新聞は信頼できる。だから定期購読してみましょうということにつながってくる。若い人は、そういう新聞の重要性を考えるところまで行かない。新聞広告は、その入り口になると思うのです。広告のない新聞なんて、想像するだけで味気ないですよね。
福田美蘭氏 Miran Fukuda
1963年、東京に生まれる。東京芸術大学美術学部絵画科卒、同大学大学院美術研究科修了。25歳で安井賞を受賞。デビュー当初から、絵画という制度の構造、あるいは作品を見るという行為の意味を検証・追求する作品を精力的に発表してきた。父はグラフィック・デザイナーの福田繁雄氏。




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