特集 2001.12/vol.4-No.9

21世紀最初の一年を振り返る
20世紀の広告と21世紀の広告の違い

 KDDIの広告は、新聞広告賞など今年のさまざまな賞を受賞した。しかし、これまでのキャンペーンならメーンコピーがすぐ浮かんでくるが、KDDIの広告にはそれがない。KDDIの広告とは何だったのかを知ることは、20世紀の広告とこれからの広告の違いを考える大きなヒントになるのではないだろうか。電通インタラクティブ・コミュニケーション局長・杉山恒太郎氏とKDDIのコピーを担当し、東京コピーライターズクラブ最高賞を受賞した中村禎氏に語ってもらった。
 
杉山恒太郎氏・中村禎氏
――KDDIの広告とは何だったのか。まず、杉山さんに最近の広告事情を含めて解説していただいてから、対談に入りたいのですが。
 杉山 糸井重里、仲畑貴志、魚住勉、真木準さんたちがわれわれの世代で、ぼくもその仲間に入れてもらっていた。そのころを象徴するコピーが、82年のコピー年鑑(現TCC年鑑)のテーマだった「一行の力」だと思う。魚住勉さんのつくったコピーで、彼らから直接相談を受けたりして決めていった。その過程が今でも印象に残っている。確かに、そのころの広告は、1本のコピーでキャンペーンが成り立っていた。
 ところが、中村君がやっているKDDIの広告は、広告ごとにコピーを変えている。それでも、どの広告もやはりKDDIの広告にちゃんと見える。それは、それぞれの広告がきちんとアートディレクトされているからで、ビジュアルも含めて全体が言葉になっている。今は、そういう意味でのアートディレクションの時代、ビジュアルの時代になっていると思うのです。
 ビジュアルといっても、美しい風景とか、変わった絵ということではなくて、言葉やどういうタイポグラフィーを選ぶかも含めて全体で一つの大きな言葉になっているということです。だから、KDDIの広告はあっちこっち飛び回っているように見えて、一つの大きなメッセージを伝えている。
 今はパブリックリレーションが大事な時代です。NTTに対するKDDI、KDDIと世の中との関係、ビヘイビアを明確にすることが重要になっている。業界二位の企業と自分(消費者)との関係、平たく言えば意気込みを伝えることがKDDIの広告メッセージになっている。単に一行のコピーで世の中に新しい価値観を提示するという方法はとっていない。
 ぼくが80年代につくった小学館の「ピッカピカの一年生」では、「ピッカピカ」が言葉として独り歩きして、いろんな言葉に汎用され、流行語になっていった。それとKDDIの広告とは明らかに違う。それは、メディア環境の大きな変化で、広告が変わってきているということです。デジタル放送、インターネット、携帯電話など広告の出口がたくさんできているためだと思うのです。

キャッチフレーズはKDDI

2000.10.11紙面 ――そういう状況の中で、広告クリエイターは、何を考え広告をつくっているのかというあたりからお話し合いを。
 杉山 コピーライターは古典的な職業だと思うけど、中村君はそれでも今という波の中で新しいアプローチをして、世の中に評価されている。相変わらず三浦知良、カズ健在ということになっている。なぜまだ古典的なサッカーをやっているのに代表で残っているのか(笑)。
 中村 代表で残っていくには、やはり昔と同じプレーをしてちゃだめですからね(笑)。
 KDDIは3社が合併したわけですが、普通企業の合併の広告というとスローガンをつくる。それがロゴの周りにバーンと入ったりする。
 杉山 一定の方式ができていたよね。
 中村 それが飽きられたということでしょ。大きなキャンペーンですから、媒体量も多いし、いろいろな媒体を使う。でも、全部を同じコピーで、同じような広告をいっぱい見せられるのは暴力的ですよね。よく電車内の広告をすべて同じものにする車内ジャックがあるじゃないですか。同じコピーがバーッとあって、お金がもったいないなあといつも思う。コピーが全部違っていて、全部おもしろければ、その方が楽しいんじゃないか。KDDIの広告はそういう発想です。
 だから、KDDIのキャッチフレーズは「KDDI」ということにしよう。KDDIがコピーなんだという考え方で行こうと、まずみんなで決めた。そうすれば、後はどんなコピーでも、姿勢さえ崩さなければいい。要するに、挑戦者とか、やりたいことをするとか、ちょっと危ないことを言う、そういうKDDIの姿勢、キャラクターを表現していければ、コピーが全部違ってもかまわないということです。
 オレンジ色を基調に、コピーがドカドカとあれば、そこで一つの顔ができる。そこにKDDIのロゴがあれば、それが広告として成り立つ。そういうつくり方で行こうと思った。だから、コピーはいろいろなものがあってかまわない。
 杉山 でも、中村君のコピーを書く姿勢、ビヘイビア、その態度は常にぶれてないよね。
 中村 そうですね。もともと口をとんがらかした攻撃的な性格ですから(笑)。二番手で挑戦者であるとか、新しいことをする企業であるとか、そういうキャラクターが自分に乗り移っていた気もしますね。書くもの書くもの全部KDDIのコピーになるという感じでした。

中心がないキャンペーン

――広告の露出もかなりありましたね。
 中村 媒体量が多かったのは事実ですが、たぶん、みなさんが思っているほどではありません。同じ広告を見せないようにした方が、逆にたくさんやっているように見えるということだと思います。コピーが全部違うことが大きいと思いますね。
 電車の中づりも1路線で2本ずつ、さらに路線をいくつかに分けて何パターンかつくった。丸ノ内線と銀座線に乗ったら4本コピーを見た。じゃあ中央線も違うんだということになる。そういうキャンペーンの広がりを見せるやり方もあるということです。
 杉山 でも、昔のシリーズ広告とは違うよね。シリーズ広告は、やはり一つのスローガンがロゴ周りにあって、その範囲の中で遊んでいるという感じがする。KDDIの広告は、ある意味でインターネット的というか、中心がない感じがする。
 中村 シリーズ広告を消費者は順番に見てくれるとは限らないですよね。10本のシリーズのうちの2、3本しか見てくれない場合が多い。1、2本見て、広告のメッセージをわかるような仕組みにするには、KDDIの広告のやり方の方が近いかなと思いますね。
 杉山 ぼくは、KDDIの広告はインターネット的だと思った。中心を置かず、ヒエラルキーをまったく無視して、ノンリニア(非直線的)に広告キャンペーンをやっている。メーンのキャッチフレーズを決めないという情報の出し方は、どこにも中心を置かない出し方だと思った。紙の媒体が多いし、やっていることは古典的だけれど、情報の出し方がすごく新鮮だなと見ていた。
 今までのわれわれクリエイティブの仕事は、ポイントを絞るためにクライアントをいかに説得して、広告をシンプルで強いものにさせるかだった。KDDIの広告は、そういうことを無視して、とてもウェブ的、くもの巣的に情報を流し、伝えていくという、ね。

●2001年度TCC広告賞最高賞の中村禎氏のKDDIのコピー

 ジョニーって誰よ?
 出社は明日から。
 がんばれNTT がんばるKDDI
 スローガンより実行せよ。
 No.2だから、ヤンチャできる。
 永瀬正敏 豊川悦司 浅野忠信
 ケンカしても勝てない相手なら、別なことをやるしかない。
 国民としてはNTTとKDDIが競争してくれると、面白くなるとおもうなあ。
 日本で二番手でも、世界で一番になればいいじゃん。
 KDDは、なくなります。DDIも、なくなります。IDOも、なくなります。(トイレ編)
 KDDは、なくなります。DDIも、なくなります。IDOも、なくなります。(渋谷編)
 つまんない広告をする企業は、ほぼ、つまんない。
 ユニクロに負けるな。
 2年後に笑おう
 電話代の値下げって、いつもイタチゴッコだなあ。(安くなるのはいいけど)
 いろいろバタバタしてますが、できるトコから。

いろいろな人格を書き分ける

 中村 コピーライターとしては、サントリーのThe Cocktail Barの「愛だろ、愛っ。」みたいな一行で全部のキャンペーンを通して、「愛だろ、愛っ。」をつくった「佐倉康彦さんです」と言われたらうれしい。ところが、KDDIの広告と言われても、すぐ頭に浮かんでこない。「ほら、オレンジ色で字がいっぱいあるやつ」「あ、あれね」みたいな感じで。ポンと説明できないのがちょっとくやしいと言えばくやしい。
 杉山 コピーライターは一行書いて、それがすごく世の中に受けて、大きな賞をとってというのが一番カタルシスになる。だけど、歴史的に見れば、本当は作家になりたかった、脚本家になりたかったという人がコピーライターになっている。あるいは、コピーライターから本来なりたかった作家になっていくという道をたどっていく。文字で商品を修飾したり、形容したりするのがうまい人のことをコピーライターという時代がずっとあった。
 だけど、今は、世の中の感情や空気を微妙に感じ取って、それを言葉に移していける人がぼくはコピーライターだと思っている。ストリートにいる若いやつはどう思っているだろう、リストラされそうになっているお父さんはどう思っているだろうとか、そういう時代の流れのなかで人々が抱く感情やため息みたいなものを敏感にかぎ取る。確か、仲畑さんはこれを称して「生活者の側のスパイ」という名言を残している(笑)。
 そういう意味で中村君のKDDIのコピーを見ていくと、いまの時代をとらえている言葉をいろんなところから拾ってきている感じがするよね。一つの価値観からの見方ではなくて、年齢もいろいろ。自分の中に子供も住んでいるし、“おっさん”も住んでいる。女の子も住んでいるし、場合によっては外国人も住んでいる。今の人は、自分の中にたくさんの人格があることがみんなわかってきている。だから、たくさんの人格をいろいろな形で出していくことに対して、「その気持ちわかる」というふうにして届いていく。一つの価値で、一つの断定的な美しく修飾された言葉で人が酔う時代は、やはりもう終わったなと思う。

Kotaro Sugiyama

1948年生まれ。立教大学卒。電通インタラクティブ・コミュニケーション局長。小学館「ピッカピカの一年生」、サントリー「ランボオ」などヒットCMのほか、国際広告賞の受賞も多い。昨年5月からインタラクティブ・コミュニケーション局を統括。サイバーの世界でも、昨年「トライのweb」で、サンフランシスコにてインビジョンアワード・グランプリを受賞している。
杉山恒太郎氏

性年代という分け方の無意味

 中村 ターゲットというときに、何十代男性という分け方は全然意味がないのに、いまだにやっているところがありますね。おかしいと思う。
 杉山 届けたい人の意味ではターゲットという言葉は生きていると思うけど、今の広告がターゲットにしているのは、たとえば、新しものがり屋のおっちょこちょいな小学生からおじいちゃんまでとかという切り方であって……。
 中村 性別や年齢だけで切るのは、調査がしやすいからなんでしょうね。
 杉山 最近の広告はターゲットはむしろ絞られてない。昔はそういう言葉は、広告の中では禁句だったのかもしれないけれど、「ターゲットは全員です」という方がいまは正しいし、かっこいい。なぜ絞る必要があるんですかという時の方が多い。
 中村 KDDIの広告のターゲットは、日本語が読める人全員ということです。

煩雑感が魅力になる時代

 杉山 インターネットはもともと情報戦のためにつくられた。特定の一か所を爆破されたら終わりではなく、発信する場所を無数に散らばしている。KDDIの広告も、どこかボコンとつぶされても、キャンペーンそのものにはまったく痛みがない。そのぐらい全方位型だよね。それと、コピーがきめ細かい。
 中村 意外と。
 杉山 雑然としているようで、かなりきめ細かい。やっぱり、カズさんのプレーは年季が入っているから、フェイントが細かい(笑)。
 15段の新聞広告の下の方にチョロチョロっとコピーが入ったりしている。それがあるから結構もったというところがあると思うな。ただ、でっかくコピーがボカボカと書いてあるだけだと、乱暴に受け取られる。そういう広告が連日掲載されると、嫌がられる。それが、「なんちゃって」みたいなちょっとした言葉が入っていると「あ、なんだ、かわいいやつじゃん」というところが出てくる。私に言っているんだなということが伝わる。
 中村 普通だったら、テレビCMとグラフィックでだいたい同じコピーを使ったりしますが、それも今回は一切していません。量が多いこともありましたが、CMの方はぼくはタッチしていない。CMも、いろんなプランナーがいっぱい案を出してつくっていくやり方をした。かなり忙しかったですけど、楽しかったですね。
 杉山 ここ何年か、なんとなく広告も閉塞的でしょう。広告の原点、表現の原点だけど、つくり手が気持ちよく遊んでいるなという感じは、間違いなく人に伝わる。ほんとうは、表現にはそれが理屈の前に重要なんです。だから、今のように楽しそうじゃない広告が多い時は、「楽しんでるな」という広告が何よりも強いよね。
 中村 量が多すぎて、時間がなかったこともありましたけど(笑)、今見ると、なんでここに点を打っているんだろうと思うコピーもある。その勢いみたいなのがいい方に転んだのかなとも思います。
 杉山 煩雑感というのは、すごくいま魅力的なんだろうな。
 中村 考えて、考えて、やっぱりここは点を打たない方がいいというのが普通のぼくのやり方なんだけど、そんな時間もなかった。すぐ次をつくらなきゃというバタバタ感みたいなのも広告から感じることができたのかもしれないですね。
 直しが入ったとか、話がひっくり返ったとか一切なかった。最初やろうとした方向と全然ぶれないから、どんどん書いていくことができました。

紙面アップ 2000.10.3紙面


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