特集 2001.4/vol.4-No.1

本をめぐる危機

 出版不況と言われて久しい。昨年の書籍の返品率は4割近く、5億冊を超えると言われている。出版は産業であると同時に文化でもある。この二面性が本という商品をわかりにくくし、解決の糸口を見えにくくしている。本はいまどういう状況に置かれ、出版に携わる人たちは、この危機をどう乗り越えようとしているのだろうか。

本を殺すのは「だれ」か
Shinichi Sano
1947年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務を経て、ノンフィクション作家となる。97年、民俗学者の宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた「旅する巨人」で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に、「性の王国」「業界紙諸君!」「遠い『山びこ』」「巨怪伝」「カリスマ」「東電OL殺人事件」「だれが『本』を殺すのか」など。


 昨年まで出版物(書籍・雑誌)の販売額は、4年連続のマイナス成長になっている。そんな中、ノンフィクション作家・佐野眞一氏の「だれが『本』を殺すのか」が話題を呼んでいる。今年2月の発売以来2か月ですでに5万部超。出版産業にいま何が起こっているのか、私たちにとって本とは何かを著者へのインタビューを通して探る。
 
読みたい本ほど手に入らない

――この本では、書店、流通、出版社、地方出版、図書館、書評、そして電子出版と本にかかわるあらゆる問題について言及していますが、まず、書店の問題からお聞きします。新刊ラッシュと大型書店の過剰出店で出版クラッシュが起きていると書かれています。
 普通の人は、本が死んでいるとか、ひん死の状況だということを知らないと思います。街の本屋は非常に派手派手しいし、タレント本は毎日のように出ている。大型書店もどんどんできているように見える。しかし、そこに本当に読みたい本があるかということです。

――読みたい本を注文してもなかなか手に入らないという流通の問題も取り上げていますが……。
 大手版元と取次、それから取次と大手書店の間はほとんどハイウェー化されていると思います。問題なのは、小規模出版社と取次、取次と小規模書店のハイウェー化がすすんでいないことです。でこぼこ道のままです。だから小規模書店に行って本を注文しても、まず手に入らない。専門的な本は特にそうです。
 これは経済の問題です。いまの流通レベルなら、例えば小規模書店でもPOSコンピューターを入れることで、その問題はあっという間に解決できると思います。ただ、その資本投下をするに値するかという問題がある。一年に三冊しか売れない本を数千万円かけてコンピューター化する必要があるのかどうか、という経済合理性の問題になる。
 今回の本を読んだ人から「小規模書店の問題が書かれてないじゃないか」と言われたことがある。確かにそうですが、ぼくは小規模書店には割と冷淡です。個人としてはできるだけ近くの本屋で買うようにはしていますが、仕事に必要な本を手に入れるのに三か月かかったら支障をきたしてしまう。

――小規模書店はコンビニが雑誌を売るようになってから、そのあおりを受けたといわれています。
 コンビニだけが悪いわけではないと思いますね。本質的には本というのは不要とは言わないけれど、不急の商品、急がない商品です。ところが、消費者が急いでいる。ものすごく急いている。一番の問題はそこです。確かにコンビニも、消費者を急かせるひとつの大きな要因にはなっていると思います。なにも二十四時間店を開けている必要はないのではないか。別に店が閉まっていても我慢できる。しかし、そういう社会をわれわれは選択してしまったわけです。

――書店では取次から届いた新刊を箱も開けないで返品してしまうという話も聞きます。
 単純計算では一日に百八十点もの新刊が書店に届く。書店にしてみれば、処理しきれないですよね。

――日本には四千五百ぐらいの出版社があると言われていますが、それは出版社の数が多いということも影響しているのでしょうか。
 例えば、ドイツの出版社は、すでに七つのグループに再編されています。日本は群雄割拠というか、経済合理性だけで考えたら、こんな無駄な多重投資はないわけです。ドイツのように七グループがいいか悪いかは別にして、そのぐらいの数の方が効率がいい。その上で共同の取次機構を整えれば十全に自分たちの仕事がこなせるはずです。

――新聞の印刷は購読者の数が見えている受注生産ですが、本は見込み生産ですね。基本的には、何部売れるか出すまでわからない。そこに問題がある?
 だから、もう少し技術が進歩すれば、オンデマンドは出版のかなり大きな要素になってくると思います。これは見込み生産ではないわけです。二百部とか三百部とか、読者の注文を受けてから印刷する。
 そういう意味でおもしろいのは地方出版社です。地方出版社はやみくもに本を出しているわけではなくて、初版二千部の内、少なくとも二割ぐらいはだれが買ってくれるか読めている。あそこの書店へ持って行けば一年間で百五十部は売れるとか、そのへんの基礎票を持っている。
 ところが、都市型の出版社というのはやみくもに本を出しているところがある。読者の顔が見えていないのです。

出版の何が問題なのか
だれが「本」を殺すのか
――再販制と委託返品制が出版流通の大きな問題だとくり返し指摘されていますが。
 三月二十三日に公正取引委員会が、撤廃の方針はとり下げないけれども当面は存続するという答申を出しましたね。まあ、予測どおりの答申でした。この本のなかでも、ぼくは再販制は撤廃の方向に行くべきだという論調で書いている。ただし、現状のまま撤廃したら大混乱が起きることはだれが考えても明らかです。だから、今回の答申には大して驚かなかった。まあ、そんなもんだろう。官僚的な作文で終わるだろうと思っていました。
 ただ、個人的には書籍の再販制は廃止にならなくても全然構わないと思っています。あまり大きな問題ではない。ブックオフとか、実態としてすでに再販が撤廃されている状況があるわけですから。そのことが問題ではなくて、そのことを先送りする体質、それがいまの出版界の制度疲労を示していると思います。
 公取の見解が問題ではありません。むしろ、議論を深めるきっかけを失ってしまったというのは、出版界にとってもいい結果ではないと思いますね。

――書籍の再販制のどこが問題だと考えていますか。
 戦後の紙が不足していた時代とか、情報や活字に本当に飢えていた時代には再販制はあってしかるべきだったと思います。しかし、これはよく例に出すのですが、みすず書房の「現代史資料」という三十年がかりの労作がある。近代史をやる人には必携のものです。これと、「携帯着メロ」や「動物占い」といった本が同じ再販制の保護の下に置かれているのは、どう考えてもおかしい。それは、いかがわしい団体が税制を優遇されることに目をつけて宗教法人を名乗る構造と似ていると思いますよ。
 この議論をもう少し敷衍(ふえん)化していくと、いまの混乱というのは多分こういうことにつながっていると思います。つまり、「携帯着メロ」「動物占い」というのは、恐らく、今後インターネットあるいはiモードにリプレースされるはずです。ところが、そのビジネスモデルがまだはっきりしていないものだから、すべてこういう本の形で出ているわけです。それが出版洪水、返品洪水に拍車をかけていると思うのです。
 ただ、ここで誤解されては困るのは、みすず書房の「現代史資料」が価値が高くて、「動物占い」「携帯着メロ」は価値が低いとは全然思っていないということです。使った途端に消える情報も重要な情報だと思います。たとえジャンクな情報であろうと、そういうふうに考えるべきだと思います。ただ、それが本という形で必要なのか。むしろ、利用者にとってはそうではない形がいいのではないか。そういうところまで議論が深まらないとダメだと思いますね。
 これは聞いた話ですが、最近の女子高生は、本屋に入って携帯電話を持って、テレビ番組やタウン誌の内容をどんどん打ち込んでいる。「立ち読み」ならぬ「打ち読み」で情報をデジタル化している。

――「だれが『本』を殺すのか」の中でははっきりとは書かれていませんが、最近のインタビューで佐野さんは実は犯人は読者だと言っていますね。
 そう思いますよ。ただ、犯人を捜していくと、卵が先か鶏が先かという話になる。もう少し立体的にいうと、犯人はつまらない本ばかり作り出した人たちと、それを読む人たちとの負の連鎖です。そして、負の連鎖を支えているのが再販制と委託返品制という構造になっている。だから、単純に委託返品制を外せばいい、あるいは再販制を外せばいいという議論ではない。骨がらみの構造になっている。本殺しの犯人を捜していくと、そういう生硬な議論になっていかざるを得ないですね。

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