特集 2000.07/vol.3-No.4

デジタルテレビ登場!
 今年12月のBSデジタル放送スタートで、テレビが大きく変わろうとしている。民放キー局がそれぞれ設立した衛星放送会社5局が無料で放送を開始する意味は、次世代テレビといわれるデジタルテレビの普及に弾みをつけるだけにとどまらない。テレビ放送、テレビ業界、あるいはCMという枠組みを変えるインパクトを持っている。それは新聞というメディアにとっても決して無縁な話ではない。
テレビメディアの現在
TVメディアの興亡
辛坊治郎(しんぼう じろう)
 1956年生まれ。早稲田大学法学部卒業。読売テレビ放送解説委員、チーフプロデューサー。日本記者クラブ会員。読売テレビの報道・情報番組のリポーター、キャスターを歴任。97年から98年、ニューヨーク・ベース大学客員研究員として留学、アメリカメディア事情を研究する。著書に「TVメディアの興亡」(集英社新書)。
 
 デジタル化の波が、今年はBS放送に、3年後には地上波放送にも押し寄せてくる。また、海の向こうからは頻繁にネットワーク再編、メディア再編のニュースが伝わってくる。最近のテレビメディアの変化をどうとらえたらよいのか。日米の事情に詳しい読売テレビ・辛坊治郎解説委員に聞いた。

――12月から始まるBSデジタル放送をどう見ていますか。
 日本ほどBS放送が普及しているところは世界にありません。BS放送の加入者はNHKの発表で1,000万世帯、実際は1,500万世帯ぐらいが見ていると言われています。10月に打ち上げられる予定のBSデジタル用衛星は、現在のBS衛星と同じ方向に上がりますから、今使っているアンテナがそのまま使える。新しくデジタルテレビを買うか、「セットトップボックス」と呼ばれるチューナーを今のテレビにつなぐだけで、いきなりチャンネル数が増える。しかも、東京キー局5局が中心となってそれぞれ設立した衛星放送会社によってBSデジタル放送は無料で放送されるわけで、かなりのスピードで普及するだろうと思います。
 民放BSデジタル放送については数年前、有料か無料かで議論がありました。広告業界などは、地上波と区別するために有料にすべきだという意見が多かったのですが、私はその当時から絶対有料にはならないだろうと思っていました。その理由は、金を集める仕組みをつくるのに大変な費用がかかるし、有料にすると契約者が伸びないからです。今、CS放送が契約者の獲得で非常に苦しんでいますが、あの轍(てつ)を踏むのは目に見えていたからです。

――どのくらいのスピードで普及すると。
 当初は1,000日で1,000万台と言われています。若干疑問ですが、うまく行けばそれに迫る勢いで伸びると思います。
 一番手っ取り早いのは、日本テレビ系列のBS日テレがゴールデンタイムに巨人戦を全部ハイビジョンで中継すれば、確実に1,000日で1,000万台行くと思います。
 もっとも、一気にそこまで伸びていってしまったときに、全国ネットのスポンサーは一体どこにお金を出すかということです。当初はどこの放送局もCM全部がBSデジタル放送に移行しないようにブレーキを踏む。片足でブレーキを踏みながら、片足でアクセルを踏むというBS運営をせざるを得ない。
 初めからアクセル全開で行くのはたぶんテレビ東京系だけです。テレビ東京はこれまで東京、大阪、名古屋など全国で六つの系列局しかありませんでしたが、BSで一挙に全国に放送できるようになる。『開運!なんでも鑑定団』やモーニング娘をデビューさせた『ASAYAN』などの人気番組、『ポケモン』はじめアニメも、これまで地方の人たちは見られなかった。テレビ東京は地上波と同じ番組を放送するサイマル放送で、こうした番組を全国に放送する予定です。CM料金も当然、全国料金が取れるようになる。他の局はアクセル全開にすると、もう一台の車にガソリンが行かなくなってしまうという弱みがあります。
 しかし、アクセルを踏みつつブレーキを踏みながら、それでも1,000万台は行くだろう。そうなるとパラダイムシフトが起こる。この業界を40年間支配してきた構図は確実に崩れる。

――わかりやすい例でいうと、読売テレビの巨人戦はなくなる?
 当面はやるでしょうね。しかし、CMはパイが決まっている世界です。巨人戦のスポンサーにとってBS放送は最初は“おまけ”みたいなものかもしれませんが、そのうち地上波の放送が“おまけ”になる。そうすると当然、本体がいただいているCM料の分け前が将来的に変わってきます。ということになると、巨人戦は地上波でも続く可能性はあるけれども、今までと同じCM料はローカル局には入ってこないという図式になって行く。
 さらに将来、視聴者のほとんどがBSで巨人戦を見始めたときには、当然のことながらローカル局と一緒にやっている意味がなくなりますから、そのときには地上波向けの配信を東京キー局が打ち切る可能性が出てくる。

BSデジタル放送がローカル局に及ぼす影響

――BSデジタルがローカル局に及ぼす影響は大きい?
 新聞には全国紙が読売、朝日、毎日、日経、産経と五紙ありますが、これにいきなり新しい全国紙が5紙増えるのと同じことです。新聞や雑誌の場合は売れなければ廃刊ですが、テレビは免許事業ですからまずつぶれない。そうすると何が起きるかはおおよそ想像がつくだろうと思います。
 ですから、ローカル局は今、一方で地上波デジタル放送枠として与えられる六メガヘルツの電波をなんとか金もうけのネタとして使えないか必死で考え、もう一方では確実にCM収入のパイが減ってくるわけですから、減ってきたパイの中でも生き残れるように組織を小さくしようと努力している。
 地上波デジタル放送は、東京、大阪、名古屋地区では2003年から、他の地区では2006年から始まります。当初はアナログとデジタル両方で同じ番組を流す「サイマル放送」ですから、電波を送り出す部分だけの問題なので、そんなに金はかからない。ただし、中継システムや撮影システム、通信システムなど、そこから先をどこまでデジタル化するかによっては、お金のかかる話になってくる。1局当たり40億円から100億円の設備投資が必要だといわれています。それで、小さいローカル局が果たしてそれだけの投資に耐えられるのかという話が出てくるわけです。
 しかし、現状の法律では一つの資本が複数の地域にわたって放送局を持てないことになっています。たとえば、読売テレビが岡山の放送局を持つことはできない。
 アメリカではローカル局が立ちゆかなくなるとキー局がどんどん買収して、中継局を増やしていくわけです。アメリカ最大のネットワークは今フォックス・ネットで、実質的には全米のほぼ半分の視聴者を直営局の支配下に置いている。日本はそれができない。しかし、今の法的規制の中では、地方の放送局は今後生き延びられないという現実がある。
 放送業界は、非常に規制が多い業界です。今まではその規制があるおかげでもうかっていた。だからそれを撤廃しろとはだれも本音では言わない。規制を本当に撤廃して、だれでも好きに放送局をつくれと言われるのが、放送局にとって一番困るわけです。
 それで自由に放送局同士が合従連衡できるようにしようという方向で法律の緩和が俎上(そじょう)に上っている。それには2つの方向があります。1つは、今一つの県にいくつかの系列局がありますが、これを合同して4つ電波があるところを3つあるいは2つにする。つまり、各県の放送局自体の数を減らしていこうという考え方です。もう1つは、各県にある系列の放送局を九州、関西などの地方単位にする。そうすると、テレビを見ている側からはチャンネル数は減らないけれども、放送局の数は一気に減ります。流れとしては後者の可能性が高い。これだとチャンネル数は減らない。歴史的に地上波のチャンネル数が減ったことは世界中で一度もないですし、視聴者の立場からもチャンネル数が減るのは受け入れがたい。流れは今そうなっています。
 しかし、メディア論の立場から言うと、今までみたいに各県ごとのきめ細かい対応はできなくなってしまうわけで、ますます情報の集権化が進むことになります。県単位の行政区は明治の初めにできていますから、佐賀県の人と福岡県の人はやはり意識が違います。九州全体で一つの局になるということは、多様な文化がなくなってしまうということです。テレビはこの40年間、地域ごとの多様な文化を破壊してきた。それをさらに加速させることが果たしていいことなのか。各県のローカル局は地域に根ざしたきめ細かなサービスを提供するのが務めであろうし、本来はそうなっていくべきだろうと思います。
 もちろんこれは理想論であって、果たしてそれで経営的に成り立つかどうかはわからない。けれども、将来確実にローカル向けの番組をつくり、それでやっていかなければいけないのはみんなわかっています。だから今雪崩をうって、各局はいわゆるローカル番組のワイド番組、生番組をつくり始めている。
 今までローカル地上波局は基本的には東京キー局の番組を全国に流していただけですから、視聴者にとっては面白い時代が来ると思います。放送局がもうかるもうからないを別問題にすると、地元に密着した番組をローカル局がやり、全国放送は衛星で見られる時代が来ようとしています。

テレビのデジタル化

デジタル放送とハイビジョンの関係

――デジタルテレビはハイビジョン放送という認識が日本ではありますが。
 アメリカは98年の11月にデジタル放送が始まり、政府はHDTV、日本で言うハイビジョン放送をする行政指導を行っています。ところが、ハイビジョン放送は3大ネットワーク各局とも1週間あたり3、3時間です。今年3月末の統計で、デジタルテレビは全米で20万台売れている。ところが、そのうちでチューナーが付いてデジタルの電波を受けられるテレビは17%。つまり、デジタル放送開始から1年半たった全米で3万4,000台しかない。これを現在デジタルの電波を出してる放送局数で割ると、1局あたり300台にしかならない。ということは、デジタル放送をアメリカではほとんどだれも見ていないということです。
 では、なぜ20万台もデジタルテレビが売れたかというと、DVDソフトを見るためです。アメリカでは、デジタル地上波は実はだれも望んでいなかったということがだいぶ明らかになってきた。とくにハイビジョン放送に関しては、ほとんどだれも興味を示していない。
 それは実は、80年代の終わりからやっているNHKのハイビジョン試験放送でわかっていたことです。十数年たってもハイビジョンを受信できるテレビの普及台数は5、60万台です。
 一番最初に次世代テレビは美しい画質にしようと主張し出したのは、NHKと日本の家電メーカーです。まさに先駆者であったのですが、どうもつぶさに見てみると、人々はテレビの画質をそこまで求めていない気がします。
 テレビの開発者やテレビ業界に携わる人には、基本的に画面は大きく、美しくなるという発想があります。最初に日本に導入されたテレビは14インチで、17、21、25、32インチとだんだん大きくなってきました。
 確かに、30インチを超えると現在の480本の走査線だと画面が粗く見える。だから、テレビの画面は大きく、美しくなるという発想に立つと、走査線をある段階で細かくせざるを得なくなる。NHKのハイビジョンは、まさにそういう発想だったわけです。ところが家屋のサイズは決まっている。六畳一間で50インチのテレビを見たら、14インチのモニターに顔をくっつけて見るのと同じ状態になる。壁掛けテレビになっても事情はそんなに変わらない。おのずと限界はありそうだということがわかってきた。

――民放のBSデジタル放送は全部ハイビジョン放送と聞いていますが。
 実はハイビジョンのソフトは各放送局ともあまりないので、限られた時間帯だけになると思います。ただ、NHKだけは試験放送でかなりの素材がありますから、積極的にハイビジョンを流してくると思います。
 そうすると、日本でもデジタルハイビジョンは売れないという話になるけれど、そうならないかもしれないのが日本人の油断ならないところです(笑)。われわれの常識では考えられないものが売れたりする。その代表的な例が、画面が16対9のワイドテレビです。放送局に勤めている者から見ると、あれぐらい信じられない商品はない。というのは、放送局は送出装置からすべて4対3のサイズで番組をつくっているわけです。それを家庭のモニターで勝手に横に引き伸ばして見ている。要するに疑似ハイビジョン、気分だけハイビジョンというので売れた。ワイドテレビが売れたのは世界で日本だけです。
 ワイドテレビは映像のバランスを気にする芸術家タイプの番組制作者には耐えられないといいますが、それが爆発的に売れたとすると、日本だけデジタルハイビジョンが売れるかもしれない。日本は家電メーカーや電器店の販売力はものすごいですから、新製品が全部デジタルハイビジョンということになるかもしれない。何だかんだ言っても日本は豊かですから、「とりあえず買っておくか」となる。それが20万円なら多分みんな買う。結果として要らないかもしれないけれども。
番組もチャンネル数も充実していた日本の地上波

――アメリカのテレビが多チャンネル化したのは難視聴対策からだと言うことですが。
 アメリカの場合、都市部を含めテレビの映りが悪い地域が多かったことが、ケーブルテレビが発達した要因の一つになっています。CATVと略されていますが、なぜCの後にAが入っているかというと、もともとは「コミュニティー・アンテナ・テレビ」の略だったからです。衛星放送もケーブルがカバーしきれない地域の難視聴対策から始まっています。アメリカのケーブルテレビは1940年代から始まり、80年代の規制緩和で多チャンネル化が急速に進んだわけです。
 ところが、日本は郵政省の行政指導で、日本中あまねく地上波が見られるように数多くの中継アンテナを立て、電波が干渉しないように周波数を割り当てていった。今度のBSデジタルはまさにその延長線上にあって、タダでまた5チャンネル増えるわけです。
 アメリカのテレビが多チャンネル化した背景には、映りが悪かったこともありますが、もともとチャンネル数が少なかったこともあります。PBSという公共放送もありますが、実質的な全国ネットは、ついこの間までよく映るところですら3大ネットワークだけだった。その三大ネットワークも、プライムタイムの番組は年間22、3本しかつくらない。たとえばNBCの看板ドラマである『ER』も一シリーズが22、3本で、これが一年間に放送する本数です。1年間52週ある。そもそもチャンネルが3つしかない上に、番組の半分は再放送なのです。視聴者の番組選択権は日本よりはるかに少なかった。
 日本は民放のチャンネル数は多いし、1年中違う番組をやっている。しかもNHKもあると、非常にバラエティーに富んでいた。ニュースを見たいと思えば、1時間待てばNHKで必ずニュースをやる。ところがアメリカでは夕方の六時までやっていないわけです。それで、昼間ニュースが見たいということでCNNが生まれ、視聴者をつかんだ。そういう意味では、日本の視聴者は非常に恵まれていた。それが、ケーブルテレビが日本で普及しない原因であり、日本のケーブル業者にとっての悲劇だったということです。

――日本はすでに多チャンネル化していた?
 ケーブルテレビの普及率が低いので、日本は多チャンネル化が遅れているというのが常識ですが、地上波の選択肢という意味では世界で一番多チャンネル化が進んでいる国です。今度は、それにプラスBSデジタルですから、さらにケーブルの普及は遅れるでしょう。多チャンネル化したいというモチベーションが何もなくなってしまいます。アンテナを立てるだけで無料で15チャンネル近い放送が見られる国はほかにないですから。

――ヨーロッパで民放ができたのは10年前から?
 ヨーロッパでは国営放送しかない国が今でもいくつかあります。ほとんどの国で民放ができたのは10年前。イギリスでも20年前です。テレビは社会への影響が非常に大きいので、どこの国でも厳重に国家管理されていたのです。西ヨーロッパでもテレビ局は共産圏なみの国家管理でした。

言論の自由と放送法から見た日米の違い

――そういう意味では日本はアメリカのテレビに似ている?
 1980年代までは同じような情勢でした。日本の放送法はもともと第二次大戦が終わった直後のアメリカのFCC(連邦通信委員会)がつくったルールに基づいています。政策的に新聞社の系列にテレビを1局ずつ割り当てたところは日本流ですが、基本的には同じだった。それが80年代にアメリカではケーブルテレビの多チャンネル化が一気に進みましたから、放送局を法律で縛ってもしかたがないということで、1987年、レーガン大統領の時代に一切自由にした。アメリカのテレビは、そこから思想的にも形態的にも自由競争の時代に突入していったのです。
 日本の放送局は、いまだに第二次大戦直後の法律に守られている。テレビで働く人間は、思想的な面での規制は撤廃してほしいと思う反面、行政的な規制はあった方が得だと考えている。だから、だれもアメリカ並みにしてくれとは本音では言わないわけです。完全に自由競争になったときに、たとえばソニーのような大企業が参入してきたらどうなるか。日本ではソニーはAV機器メーカーですが、アメリカではメディア産業として認識されている。

――放送の公平性、フェアネスルールをアメリカが撤廃した理由というのは?
 先ほども言いましたが、ケーブルチャンネルが数多くできたということが直接の原因です。視聴者に選択権が広がったわけです。戦後なぜ放送局が政治的公平性を求められたかというと、「電波とは限られた資源である。限られた資源を特権的に使っている人間はそれを公正に使うべきだ」というのがフェアネスルールの考え方です。ところが、ケーブルでテレビが多チャンネル化したために放送局が特権階級ではなくなったわけです。放送局一つ一つに公平や公正であることを義務づけるよりは、完全に自由にして、全体として自然にバランスが取れるようにした方がいい。そういう意味では、新聞や雑誌など他の言論メディアとテレビが本質的に同じになったということです。新聞と雑誌はなぜ政治的公平や公正を法律で義務づけられていないかというと、だれもが自由に発行、出版できるからです。
 その背景には、言論の自由に対しての理解が日米で違うことがあると思います。アメリカでは修正憲法に権利が定められていますが、その第一条が言論の自由です。アメリカ人の権利の根本は言論の自由です。日本の憲法では21番目に出てきます。そういう意味では学者やメディア関係者にも、そこまで言論が自由であるべきだというコンセンサスがない。
 日本の場合、やはり放送の現場の人間は何かしゃべるときでも放送法第3条が頭の中に必ずある。意見の対立している事柄についてはできるだけ多方面から論点を明らかにすること、政治的に公平であることが刷り込まれている。そこが新聞や雑誌とは違うところです。

デジタル放送でも放送の本質は変わらない

――デジタル放送は双方向が特色だといわれています。
 テレビの双方向性をクローズアップして語る人たちにはテレビの本質が見えていないと思っています。長年、報道の現場にかかわってきた者として思うのは、テレビができることと、すべきこととは違うということです。テレビというのは基本的に、同時にたくさんの人に同じ情報を送るメディアです。そういう意味で、まさにマスメディアなのです。
 一般には、デジタルテレビになると野球選手の打撃データが検索できるようになるとか、人気のドラマのタレントが着ている服がその場で買えるようになるとか言われている。ドラマに見入っている視聴者が、そういうことをするかということです。つまり、テレビがデジタルになってもそれが放送である以上、送り手と受け手という構図は本質的に変わらない。テレビとは、まさにそういうメディアです。
 テレビにインターネットをつなげれば、確かに双方向にはなる。双方向のヒーローは間違いなくインターネットですから、将来的にインターネットの端末でたまたまテレビを見るということはあり得るかもしれません。ただ、テレビがインターネットを中心に見るためのツールになることはない。テレビ放送も通販番組などである程度の双方向化はするかもしれませんが、番組の主流にはならない。もしそれが主流になったとしたら、そのときはテレビはテレビでなくなります。

――放送は不滅だと。
 将来、インターネットがブロードバンド(広帯域通信)になったときには、その中に吸収されることはあり得るかもしれません。ブロードバンドになると、レンタルビデオ店にビデオを借りに行かなくてもダウンロードすればよくなる。アメリカではすでに始まっていて、映画を自分のコンピューターのハードディスクに簡単にダウンロードできる。1回ダウンロードするのに3ドルぐらい。レンタルビデオ店で借りるのとほぼ同じ値段です。
 しかし、ブロードバンドが普及しても朝から晩まで映画ばかり見るわけではない。使用頻度は今レンタルビデオ店に行って借りるのと大して変わらないはずです。流通経路が変わってくるだけの話で、現在のテレビの視聴時間が全部それに置き換わることはない。もちろん、テレビが現在のクオリティーを維持できればですが。

デジタル放送の未来はどうなるか

――日本のデジタル放送は移動体でも受信可能だと聞いています。
 同じ地上波デジタル放送と言っても、アメリカ方式、ヨーロッパ方式、日本方式は全部違います。その中で日本方式の地上波デジタルは最も高性能で移動体にしっかり送れる。
 将来的にはテレビが腕時計ぐらいのサイズに十分なりますが、移動しながらでもくっきり映るように技術的に可能になります。将来、ケーブルテレビが主要なメディアのインフラになったときでも、デジタルテレビなら毎秒20メガビットという情報を歩いてる人間に送れる。ただ、それをどう使うのかは、まだ見えていません。
 アメリカでは制作会社が持っている番組を一括して買って、インターネットで流す会社ができつつあります。ストリームという技術を使って映像や音声をリアルタイムでネット配信する会社です。そうしたサービスで、移動しながら交通情報や天気予報、ニュースも見られるようになるかもしれない。また、アメリカの地上波デジタルは毎秒19メガビットの情報を送れるのですが、実際は全部の帯域を使っているわけではない。その空き領域を放送局から買い、映画などを配信する会社も出始めている。ただ、そのときには、一体だれが放送の主体で、金の流れがどうなるのかという別の問題も当然起こってくる。

――双方向といっても、下りは衛星あるいは地上波デジタルで、上りは電話線でということですよね。
 両方衛星でできるような方式も開発しつつあるらしいです。ただ、上りの回線は細くてもいい。上りの回線に携帯電話を使うことも考えられている。テレビに充電器みたいな装置をつけておいて、そこに携帯電話をセットすると通信ができる。次世代の携帯電話になると動画も送れるようになりますから、上りの回線としてもかなり使える。
 とはいうものの、双方向の本命はデジタルテレビではなくインターネットです。確かに将来的にはインターネットのモニターでテレビを見るという状況も増えてくるかもしれない。しかし、そうなったとしても放送は放送で、テレビ番組を見ながらインターネットをやるということには決してならないと思います。




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