特集 2000.06/vol.3-No.3

企業にとっての危機管理
 ここ数年、危機管理に対する意識が企業の間で再び高まっている。IT革命、企業活動のグローバル化、PL法に端を発した消費者主権の動きといった経営環境の変化のなかで、企業は従来からあるマーケティング機能だけでなくコミュニケーション機能の強化も迫られている。今回の特集では、対症療法的な危機管理ではなく、経営環境の変化という視点から企業の危機管理のあり方やその背景を探ってみた。

“今そこにある危機”
Naoki Inose
 1946年、長野市生まれ。作家。日本ペンクラブ理事・言論表現委員会委員長。
『ミカドの肖像』で87年、第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。日本の官僚システムについて書いた『日本国の研究』が96年度文芸春秋読者賞を受賞。近著に『黒船の世紀』(文春文庫)、『続・日本国の研究』(文芸春秋)がある。

 インターネット上での企業の告発問題、日本企業をターゲットにした米国内の訴訟問題など、昨今、企業はこれまでにない危機管理の必要性に迫られている。こうした危機の底流には経営環境の大きな変化がある。変化の本質を知らない限り、危機への対応はできない。
 時代と正面から切り結んでいる作家の猪瀬直樹氏に、昨年来起きている企業を取り巻く危機とその背景を改めて整理してもらった。
猪瀬氏 週刊文春の『ニュースの考古学』の欄でも書いたが、東芝は企業の危機管理に二つの重要な問題を提起することになった。一つはインターネット社会、もう一つはグローバル化時代の企業の危機管理の問題だ。

インターネットに振り回される企業

 個人がホームページで企業を告発した「東芝問題」が表面化したのは、昨年の7月だ。文春や全国紙の記事がきっかけで、話題は一気に広がった。
 新聞に取り上げられる前、記事を書くために僕は問題の某氏と連絡を取っている。はじめはメールで、その後電話で直接話をした。「すごく温厚な感じの人物」という印象で、記事でもそう書いた。ホームページでももっともなことを言っている。その時は、僕もだまされた。
 しかし、その後の文春の特集記事がこの人を追及し、クレイマーだということがわかってくる。一見事実関係は確かにその通りだし、ホームページで公開された録音テープ「暴言を浴びる」で、元警察の総会屋対策の人がどなっているのを聞くと、問題の人物は正義で総会屋対策の人がどう見ても悪だとなってしまう。
 週刊文春の特集記事が載ってから、この人に「あなたの言ってること、おかしいじゃないか」と連絡を取った。メールで若干やりとりがあって、ベスト電器の領収書を見せてくれと言ったら、一枚だけ送ってきたきりだった。
 僕自身もまだそのころは、インターネットがこんな大きな事件になると思っていなかった。インターネット社会は、こういう怖い一面を持っている。しっかりした対策を立てていないと、企業がインターネットに振り回されることも多くなるだろう。お客様サービス係は話が全部録音されていると思わないとダメだ。
 インターネットが怖いと思ったもう一つの事件は、東海村のJCOの事故だ。あの時、イギリスのBBCは事故とはまったく関係のない建物を映し出し、しかも屋根が吹き飛んだと報じてしまった。それは一瞬流れただけなのでBBCも訂正しなかった。ところが、インターネットでそのニュースの静止画が流れ、BBCが報道したニュースとして世界中を駆けめぐってしまった。事故直後は付近にだれも近寄れなかったから、これはスクープ映像だということで、口コミで東芝事件のように伝わっていった。
 科学技術庁のホームページにアクセスしたら、「屋根が破れているという報道がありましたが、破れていません」という趣旨のコメントと写真が載っていた。ホームページに載せれば、それでいいというわけではない。科学技術庁もBBCで事実と違う報道があったとマスコミを使ってもっと積極的に流す必要があったと思う。
 インターネットの情報は、そのまま信じてはいけない。逆に言えば、何を流されるかわからないということだ。企業はそれを覚悟することが、危機管理としては大事になってくる。情報は、一部真実というのが最も怖い。「どなった」という事実は弁解しようがないが、それをどうプロパガンダされるかわからない。
 僕も個人のホームページを開設しているが、掲示板が一時閉鎖の危機に見舞われたことがあった。ホームページ荒らしみたいな人が何人か入ってきて、いつも掲示板に来ていた常連の人に難癖をつけ始めた。そのうち、今度はそのいちゃもんをつけていた者同士で喧嘩(けんか)を始めた。人の家の玄関の前で喧嘩しているようなものだ。差別語のオンパレード。掲示板が閉鎖されるのは、こうした理由が多い。幸い、常連の気の利いた人が別の掲示板を作って、喧嘩をしたい人はこちらでどうぞという形にすることで問題は解決した。
 「インターネットは便所の落書き」と言った人がいたが、少なくともインターネットの世界は性善説は通用しないと思った方がいい。人を罵倒(ばとう)してどうなるんだと思うが、日ごろのうっぷんを晴らすという意味では、インターネットは良くも悪くも赤ぢょうちんなんだろうと思う。つまり、匿名社会ということだ。4月に起こった誘拐事件ではプリペイドの携帯電話が使われたが、最近はますます匿名性が跋扈(ばっこ)しやすい状況が広がっている。インターネットも匿名の社会として広がっていく可能性がある。

猪瀬氏ホームページ01 猪瀬氏ホームページ02
http://www.inose.gr.jp/ 猪瀬直樹氏の公式ホームページ。
BBS(電子掲示板)もホームページ荒らしの乱入で一時は危機に見舞われた。

国際化が引き起こす企業の危機

 もう一つの「東芝事件」は、昨年10月、米国の集団訴訟を前提とした訴えに和解金1,100億円を支払うことになった事件だ。これは、異文化の社会とどう付き合うかという問題であり、国際化の問題でもある。
 争点になったのは、パソコンの記憶媒体であるフロッピーディスクを制御するIC(FDC)に一部不具合があり、保存したデータが破壊される可能性がある点だった。東芝の説明では、同ICを内蔵した全世界の1,500万台のパソコンで1件の苦情もなく、原告側も修理情報の記録がないことを認めている。
 つまり、理論上の欠陥に対し、和解金1,100億円を東芝は支払った。1,100億円は東芝がノート型パソコンで過去10年間にアメリカで稼いだ利益総額に相当する。原告は二人だが、訴訟を起こした弁護士が新聞やテレビで同型パソコンを買ったユーザーに原告団に入るように呼びかけた。つまり、集団訴訟が前提になっている。同型のパソコンは600万台が売られ、500万台が今も使用中で、1台約20万円とすれば約1兆円になる。敗訴した場合、1兆円(悪意による不法行為と認定された場合は3兆円)の賠償金を負う。東芝は企業として存続できなくなる可能性が高く、したがって和解に応じたらしい。 
 問題となったFDCには伏線があり、1978年にNECが開発し、デファクトスタンダードになっていて他社にライセンス供与していた。業界標準となったNECのFDCに対して、東芝は独自開発の互換製品をつくり、自社生産できる内容の和解契約をNECと85年に結んでいる。お互いに違う製品だと認め合ったという形になった。
 その後、NECは不具合を直したが、東芝は違う製品という認識もあって直さないで来た。そのとき、ことの重要さをわかれと言われても、まだ起きていない予見可能性だから確かにむずかしい。しかしそれは、今から見ると、危機意識が足りなかったということになる。
 これはアメリカが訴訟社会だからだということもあるが、日米のネット社会に対する認識の違いもある。アメリカでは「コンピューターとその保存するデータは私たちの全生活にかかわっている」という認識がある。「よほどのことがない限りエラーは起きない」と言う考え方は通用しないと考えた方がいい。
 確かに頭に来る話だが、よく考えてみると、欠陥のあるFDCを内蔵したパソコンがネット社会では病院や学校につながってしまうわけだから、何かあったときに大変なことになる。「それを予測するのは義務という考え方でないと、これからの時代はついていけない」と、アメリカの弁護士資格を持つ弁護士は言っている。
 日本人だったら「よほどのことでない限り」という考え方をするが、ネット社会を前提にしているアメリカはそうではない。この事件で、アメリカの弁護士事務所には“正義の報酬”160億円が振り込まれた。
 これは、これまでの“なあなあのやり方”ではとんでもないやけどを負いますよという教訓だ。次はあなたの会社ですよということを、東芝は身をもってわれわれに知らせてくれたと考えた方がいい。

IT革命とグローバル化という2つの背景

猪瀬氏 IT革命という言葉は聞き飽きたかもしれないが、こうしたことが現れてきた背景をみると、情報化社会はやはり産業革命だということだ。それが顕在化したのが、この一年だと思う。
 ベンチャー企業の株式時価総額が数兆円になり日本のトップの銀行より大きくなったり、それが数千億円になったりという幅で乱高下する。IT革命とは何なのか、確かにつかみがたい。
 しかし、このIT革命についていけない中高年はリストラの対象になるのも確かだ。4月22日のNHKスペシャル「一万人の配置転換・インターネットが巨大企業を変える」で、NECの中高年に対するリストラの現状をリアルに伝えていた。
 eコマースの新規事業で新しいスタッフを社内募集する一方で、勤続30年の社員30人が子会社への出向を命じられる。彼らの新しい仕事場は、郊外の吹きっさらしの倉庫だ。2年間は現在の給与が保証されるが、その後は半分に減らされる。慣れない仕事に体をこわすものも出てくる。
 たぶん、それは「もう40代、50代の人は要らなくなりますよ」というNECの社内に対するメッセージの意味も含まれている。番組で取り上げられたのが、たまたまNECであったというだけで、他社も同じ状況だと思う。もう、そこまで来ている。
 今までの経験や技術は要らなくなってきている。これまでの仕事は職人的で、経験の多い人に経験の足りない人が聞くというのが職場の秩序だった。それが年功序列、終身雇用に反映されていた。ところが、ITの知識は年下ほど知っている。子供のころからテレビゲームをやっていた子供たちの方がITに関する発想も勘もいい。そうすると40代、50代のサラリーマンは要らないということになる。これまでの秩序は要らないということが、この1年ではっきりしてきた。
 こんなことは今までなかった。やはり革命で、それに対応しないでいたらどんな厳しさに直面するかは、この1年でわかったはずだ。もう未知の世界が始まっているという自覚がどれだけあるかに尽きる。
 国際化から生まれる危機の背景も、世界が時間と空間を共有し始めたという認識がないとわからない。グローバルスタンダードということだ。1匹のサルが海岸で芋を洗うことを始めた。そのとき地球の反対側に同じ種類のサルがいたら、同じように芋を洗っているだろうという進化の考え方がある。今は、その世界がインターネットによって人工的につくられ始めている。物理的な時間と空間を持った地球が、人工的に時間と空間が統一された有機体としての地球へと生まれ変わろうとしている。
 情報公開法も、グローバルスタンダードの視点から見ないと理解できない。官庁の行政情報公開法は昨年の5月1日に公布されて、来年4月1日に施行される。それから、特殊法人等の情報公開法が2年遅れで、来年の3月までに国会を通過して、2年後の2003年の4月1日に施行される予定だ。
 それに関連した話で面白いのは、最近の政府は法案審議の段階でパブリックコメントを求めるようになった。特殊法人等の情報公開法でも、この制度がある。制度ができたのは99年4月で、通産省は一足早く98年9月に導入している。たとえば、通産省のホームページに「電力事業の部分自由化に関する制度設計について」のパブリックコメントが掲載されている。通産省が素案を作り、パブリックコメントを求めたら144もの意見が集まった。
 その中に、米国政府からの意見があった。一般企業の役員や市議会議員、大学院生、一消費者と並んで米国政府からの意見が入ってきた。パブリックコメントを求めるのはアメリカでは当たり前だということもあるが、アメリカが日本に情報公開を要求しているということでもある。つまりアメリカから見れば日本政府の意思決定の仕方が見えない。それをきちんと見せろといっているということだ。それがグローバルスタンダードの意味だ。

まだ解放されていない冷戦体制下の意識

 今までにない危機が企業に訪れている根本には、やはり冷戦構造の崩壊がある。冷戦構造は戦時体制だったわけで、1945年から冷凍保存されてきた。まだついこの間までは第二次世界大戦の延長だった。それが終わったということだ。
 日本の平和憲法は冷戦体制用の憲法だったわけで、軍事のことは一切考えなくてもいいという憲法だった。まさに冷戦体制にぴったりのシステムを、われわれはやってきた。冷戦体制が終わったわけだから、それを変えないといけない。しかし、まだ冷戦体制下の意識が解放されていないところに、企業や国の危機管理問題の根の深さがある。
 また、日本という国が500兆円ものGDPがあるという自覚が薄すぎることも、もう一つの問題だ。アメリカのGDPが1,000兆円、EU全部合わせても800兆円ぐらいだ。団塊の世代までは、この国が昔貧乏だったことを覚えている。自分たちが成り上がってきたという自覚がある。あるいは成り上がってきて、これだけの力を持っているという自覚もある。ところが、今の若い人たちは貧しさを知らない。今の生活がいかに周辺諸国と落差がある生活なのかということについての自覚がほとんどない。企業や国の危機管理でもう一つ問題があるとしたら、今の若い人たちのこうした危機管理意識のなさだと思う。



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