特集 2000.01/vol.2-No.10

情報化と企業の再生

  アメリカでは情報化の進展とともに、新聞は知識・思想の大きな供給源であるという認識が高まっているという。情報化、多メディア化が本格化する中で、これまでのメディアの役割も大きく変わってきている。2000年という大きな時代の節目に際し、現在進行中の情報ビッグバンは再生への道を模索する日本企業にどのようなインパクトをもたらすのか。また、新聞はそこでどういう役割を果たすべきか。電通総研所長の福川伸次氏と読売新聞広告局長・松井義雄が対談した。
 
情報ビッグバンはこれからの社会にどんな影響を与えるか

 福川 1950年代から始まった情報ビッグバンは、80年代後半から一挙に進んだ感じがしています。その先頭を切っているのが米国ですが、日本もそれを追って情報化がとうとうと進んでいる。
 デジタル技術は、文字・画像・音声といった情報を包括的に、双方向で、しかも瞬時に移動させる技術です。したがって、世界中で非常に大量な情報が動きだすことになるわけで、社会に大変大きなインパクトを与えるだろうと考えています。
 企業も、時間や距離を超越して事業活動ができるようになりますし、個人も一つの場所にいて世界中の情報にいつでもアクセスできるということですから、ライフスタイルも当然変わってきます。
 今後はさらに、モバイル端末がワイヤレスでコンピューターと連動するようになる。ただ単に電話を掛けるだけではなく、いろいろな情報をインプットする、あるいはいろいろな情報にアクセスできるようになってくるでしょう。そうなると、ホーム・オートメーションも一段と進んでくる。
 情報のネットワークも国内だけではなくて、国際的にできてくる。したがって、世論形成、あるいは社会の合意をどうやって作るかという手段、方法もまた多様になってくるという気がします。多分、政治のシステムでは、間接民主制を補完するものとして、機能的な集団が合意形成にかかわってくるように変わってくると思います。民主主義の運営の形態も、また新しいものになってくる。
 松井 インターネットに代表されるネットワークが、国際的な世論形成にどうかかわるかは、確かに今後の大きな問題だと思いますね。
 福川 最近ではNPO(非営利組織)やNGO(民間活動団体)の活動が活発になってきています。そういう機能的な集団がネットワークで世論形成をして、そして政治に働きかける、社会合意に参画してくるということになると思います。 
 国際企業の活動もますます活発になるでしょうし、国際的な秩序づくり、あるいはスタンダードづくりを考えたときに、NPOやNGOの活動は重要になってきています。
ホームページ画面
トランスアトランティック・ビジネス・ダイアローグ(Trans Atlantic Business Dialogue)はアメリカとヨーロッパの国際企業同士が集まって意見交換をする場。
ホームページはhttp://www.tabd.com/
 国際的なNGOの例の一つとして、アメリカとヨーロッパの間にトランスアトランティック・ビジネス・ダイアローグという国際企業同士が集まって意見交換をする組織があります。市場条件の問題、あるいは国際経済界の秩序づくりに関する働きかけを行っている。例えば、現在政府間で国際的な電子商取引のルールづくりや相互承認協定「ミューチュアル・レコグニション・アグリーメント(MRA)」の締結交渉が進められていますが、そこにこうした民間の国際企業組織が働きかけを行っているわけです。日本の企業にもそこに参画していこうという動きがある。
 国際的なNPOも活発に動いていく。これからの人権問題や環境問題などの世界秩序の運営は、そういう国際NPOの活躍を無視してはできないと思います。
 このように、現在進行している情報ビッグバンは、非常に大きな「変革する力」を持っている。21世紀は、20世紀の延長では考えられない大変革が出てくると思います。
 21世紀にはまったく新しい時代環境が整ってきて、それを本当に人類の福祉や世界の経済成長につなげられるかどうかという「人類の英知」が試される。そんな気がします。
 松井 今のお話にはまったく同感です。ただNGOやNPOもうまく機能すれば大変役に立つと思いますが、下手をすると大衆迎合、あるいは衆愚政治といいますか、そちらの方へ流れていって、今まで作ってきた社会秩序が崩れてしまうのではないかという懸念もあります。
 福川 そういう恐れは多分にあるでしょうね。いろんな局面が出てくると思うのです。卑近な例でいうとジャンク情報とでもいうのでしょうか、そういう訳の分からない情報が入り交じってしまう。それから、好奇心をあおるような形で情報提供が行われていくと、いわゆる社会の倫理を損ねるという問題も出てくると思うのです。そういう意味では、情報化社会をいい方向に持っていくために、何をしなければいけないか、あるいはどういうルールを作らなければいけないかが、今、正に問われているのではないでしょうか。

情報化社会の中で新聞が果たすべき役割

対談01 松井 新聞は、そういうルールづくりという面で今後重要な役割を果たすべきだという思いはあるのですが、福川さんからご覧になって新聞の今後の役割はどうなっていくか、またどうなっていくべきだとお考えですか。
 福川 電子メディアの特色は、検索性やオン・ディマンド性、双方向性、それから動画・文字・音声があるという点だと思います。一方、新聞は非常に一覧性が高いし、読みやすく、持ち運びも便利です。そういう一般的な違いはありますが、私が思う新聞の非常に大事な特色は、文化性と提案機能です。今後はこうした点で非常に重要な役割を果たすだろうと思うのです。
 新聞が今後どうなるのかということですが、最近のアメリカは、知識欲が非常に旺盛になってきていると感じています。通勤のサラリーマンが地下鉄で新聞を読んでいる姿をよく見かけるようになった。しかもクオリティーペーパーを読んでいる。
 もちろん情報はインターネットで取れるわけですが、思想、考え方は新聞から取る傾向になっている。日本も今後そういう傾向になっていくだろうと思うのです。
 ですから、今の電子メディアがいくら伸びていっても、新聞の販売部数はそんなに大きく減らない。現にアメリカではもう下げ止まりになっています。ですから、もし情報化社会、情報ビッグバンが人の知識欲を高める方向に行けば、新聞メディアは、むしろ非常に重要な役割を果たしていくだろうと思います。
 新聞はどうなるべきかというお尋ねも実は非常に大事な指摘で、先ほども言いましたようにインターネットにはジャンク情報が入り乱れている。人はむしろ興味本位の情報に流れやすい。人間やすきに付くのが本性ですが、そうではなくて、社会の連帯性や規範、倫理性を保っていくために、新聞に十分に役割を果たしていただきたいと思っています。
 今日本の教育のなかで一番問題なのは、若い人たちがものを考えなくなっていることです。試験も○×式で、記憶力だけが勝負という教育になっていますから、日ごろからものを考えて育っていない。考えないという傾向は企業経営でも戦略が作れないことにつながる。国でも大きな戦略が作れない。
 こういうことですから、文字を通じて思索や考える力を高めていくことは、非常に大事だと思うわけです。
 新聞には社会の倫理観を保つ、あるいは文化性を高めるという機能がある。それを十分に発揮していくということが、今後は非常に重要ではないかと考えています。

活字離れと理念なき日本の情報化

世界のインターネットホスト数 松井 私もそれは重要だと思っています。アメリカでインターネット、電子メディアの発達がかえって新聞を生き返らせたというお話は新聞人にとっては大変心強いことなのですが、一方で当社の世論調査を見ますと、確実に活字離れが進んでいます。  
 現在日本はまだアメリカほど電子メディアが普及していませんが、普及につれて、また活字に戻ってくるのか、大変に不安も感じています。というのは、世論調査で「この3か月間に、あなたは何冊本を読みましたか」という質問の結果を見ると、「全然読んでいない」という人が20代、30代の若者に30%もいるのです。過去3か月というのは相当な期間です。その間に1冊も本を読んでいない人が3割いるというのは、ちょっと驚きです。「本を読まなくても、別なものを見ていればいいじゃないか」という考えもあるのかもしれない。しかし、そういう活字離れが進んでいる状況で、それが電子メディアの発達で果たしてもう一度知識欲というか、文字を通してものを考えるようになるのか。結果として新聞に回帰してくるというプロセスが、果たして日本でアメリカのように起こるのかという疑問があります。
 特に、日本はある程度の知識の平準化ができあがっていた状態から、だんだん活字離れが起こっている。そこからまた文字に復帰して来るだろうか。日本とアメリカの社会の違いから考えても、将来活字に関心が戻ってきて、新聞が重要な役割を果たしていくことになるのかという危惧があります。
 福川 そういう疑問は、私も感じています。結局、先ほど話したように「電子メディアがどのように世の中を変えるか」ではなく、むしろ「それをどう利用するか」という社会の意識が大切です。これが知識欲旺盛な今のアメリカの力になっていると思うのです。
 アメリカでは情報化社会をめぐって80年代から規制緩和をして、AT&Tを分割したり、90年代に入って通信と放送の間の垣根を取り払ったりしています。それもただ規制緩和をしたから、あるいは情報通信の技術開発が進んだから情報化が進展したというだけではない。「アメリカ人は何をしなければいけないか」という思想の変化が起こっているわけです。
 レーガン大統領が80年代に登場して、「強いアメリカ」「強いドル」を主張したわけですが、むしろ規制緩和などの条件整備をしながら、「価値観を変えていこう」「アメリカがもう一回世界のリーダーになるという夢を持とう」「フロンティアを持とう」。こういう呼びかけがあって、そして皆がそれに呼応して情報化社会の条件整備ができていったのだと思うのです。
 アメリカも70年代の後半には、ベトナム戦争の後遺症に悩み、スタグフレーションに入り、アメリカにもう明日はないというぐらい極端な経済的、政治的落ち込みを経験している。若者には厭世(えんせい)気分がひろがり、世の中に対して背を向ける若者が非常に多くなった。アメリカは、そういう時代を経ているわけです。
 「どうにかしなければいけない」という意識が高まり、思想的な変革があった。ですからアメリカは、決して規制緩和と技術開発だけで立ち直ったのではなくて、そういう呼びかけが大統領から行われたという事実がある。日本は、技術にばかり目がいって、そうした思想的背景に関心がないところが問題だと思うのです。ですから、日本の政治家はどういう呼びかけをしていくかということなのです。
 最近、教育改革ということが言われていますが、ここで日本の社会をどうしようかという議論の上に、今の情報技術が組み合わされていかないと社会全体が伸びていかないと思います。
 松井 日経連が「技術立国をもう一回取り戻そう」というような呼びかけを行っていましたが、これも未来に対する指針ではあると思うのです。そういうものが積み重なって初めて知識欲が出てくるということでしょうね。
 福川 おっしゃるとおりだと思います。もう一つ考えなければいけないのは、アメリカでも議論になっていますが、今後は情報強者と情報弱者ができてくるという問題です。全員が情報技術を駆使していろいろなことにアクセスできるというものではない。日常生活に関することはできるにしても、それ以上はできない。そうすると、情報強者と情報弱者の間にどうしても所得格差が出てくる。中間層が分離する。これは民主主義の危機だという問題提起がアメリカでさえあるぐらいです。
 それから、サイバー・スペースでのコミュニケーションだけで人間関係は十分かという問題も出てきている。例えば、人と人との友情や愛情は今後どう育てていくべきか。そういう人間本来の精神的なものが枯れてくると、非常に殺伐とした社会になってしまいます。人間関係が希薄になれば、社会の治安も悪化する。人と人との関係をどういうふうに大事にしていくかということは、インターネットだけでは解決できない問題です。
 知識はインターネットで解決できるかもしれないが、感情や思想の問題をどうしていくかという仕組みを社会全体のなかにビルト・インしませんと、非常に不安定な社会になる可能性がある。
 こうした状況を反映して、情報関係の企業の中でもフェース・トゥ・フェースのコミュニケーションを大事にする企業が、アメリカでは非常に多くなっています。

「新聞は信頼できる」8割強が意味するもの

メディアの信頼性 松井 視点は変わりますが、毎年「新聞週間」に新聞社では世論調査をやります。項目はいろいろあるのですが、毎年驚くのは「メディアであなたがもっとも信頼できるものは何か」と聞くと、一般日刊新聞という答えが圧倒的に多い。新聞は8割を超し、これに対してテレビは6割強です。一方、日米共同調査を見ると、アメリカで「最も信頼できるもの」は「教会」という答えが8割を超す。しかし日本のトップは一般日刊新聞なのです。
 先ほど福川さんから新聞には一覧性や携帯性という優れた面もあるというお話がありましたが、確かにそういう優れた面もありますが、こういう調査結果を見ていると、新聞にとっての一番大切な“財産”は、この「信頼性」だと思えてくる。新聞に対して信頼があるうちに、やるべきことがあるのではないか。社会的提案――世の中をいい方向へ持っていくための提言というものが、もう一回新聞に人々が戻ってくる原動力になるのではないか。そのためのいろいろな働きかけを新聞は行うべきではないのかと思っています。
 福川 確かに80%というのは大変な数字ですね。それだけ新聞は信頼性が高い。しかし、なぜ新聞が信頼性が高いのかという要因を分析してみなければいけないでしょう。
 新聞が信頼される理由の一つとしては、「事実に対して正確である」ということがまず挙げられと思います。起こったことを正確に伝えるということです。
 また、記者が集める情報、記者の目が非常に幅広い、総合的なものであることも漠然とだが人々に理解されていることも挙げられる。この点は今後ますます大事になってくるだろうと思うのです。
 世の中の動きはますます複雑になってきている。どうしても情報収集をプレス発表などに頼らざるを得ない面がある。しかし、発表する側は主観的にいいことだけしか言わない。単なるプレス発表の報告にとどまらない客観性や対比性というものを心掛ければ、さらに新聞の信頼性は高まると思うのです。新聞社も発表ジャーナリズムから一歩超えていかないといけない。
 松井 アメリカは教会がトップで日本は新聞がトップだというのは、非常に奇妙な対比だとは思うのですが、それはともかく、新聞も高い信頼性を背景に、今おっしゃられたような世の中をリードしていく努力をしていかないと多メディア時代に生き残れないだろう。また、それがないと新聞回帰ということも起きないだろうと思っています。

細切れ情報では機能しない民主主義

 福川 新聞が信頼されるもう一つの理由は、問題提起、あるいは解説性です。ある事件が起こったときに、その問題の背景、ストーリーを伝える役割です。テレビはある一定の時間しか流れない。カメラのフレームの内側しか情報は伝わらない。ある事象のその瞬間の情報でしかないわけです。アナウンサーが解説をして、歴史はこうだということはあるかもしれないけれど、短い時間の中に情報を入れるわけですから、ストーリー性は伝えづらい。そういうところも、新聞が非常に信頼される理由の一つなのだろうと思います。
 松井 今の若い人たちを見ていて感じるのは、完全に活字から離れてしまった人は別として、全員そうなってしまったわけではない。一面トップの新聞記事を、前文から本文まで全部読んで物事を理解する人が少なくなっているだけの話で、細切れの情報は昔以上に読んでいる。これがテレビの影響なのか、あるいは電子メディアの影響なのかよく分かりませんが、大変豊富な知識を持っている。問題は、それがつながっていない。皆バラバラのものがインプットされている感じを受ける。
 新聞には、そうした細切れ情報をつなげる役目もこれから大事になると思っています。
 福川 それは突き詰めれば、民主主義体制を維持する上で、ジャーナリズムの役割、とりわけ新聞の役割は非常に重要だということだと思うのです。民主主義では、例えば制度を作る、あるいは利害関係を調節する、ある路線を選択するという場合に、社会の合意を作っていかなければならないわけですから、これは細切れ情報ではとてもそういう思想体系はできない。
 ですから「つなげていく」というのは、大変に大事なことであって、どういう論理体系をもって物事を考えていくかということなのです。○×式の試験では、思索・思想も何もなくて、記憶力がいいか悪いかを問われるので、これでは民主主義はうまく機能しない。やはり今どこに問題があるのか、将来その事象がどう動いていくのかという予測があって、はじめて物事の判断ができる。自分はこっちがいい。別の人はまた別の考えがあるかもしれない。その利益、利害を調節して、あるいはまた意見を調節して、選択をしていくのが民主主義ですから、おっしゃるように細切れの情報をいくら持っていても民主主義は機能しない。
 松井 皆がそういう細切れ情報は持っているのだから、新聞がその縦糸、横糸を組む方法や筋道を示す。そういうメディアになればいいと思うのです。それが21世紀の新聞のあるべき姿だと思っています。そうなれば日本の将来にも望みが出てくる……。
 福川 企業も同じです。日本の企業は、「物作り」が得意だと一般に言われています。しかし、物を作っているだけでは企業は成り立たないわけですし、どうしても「知恵作り」が必要になってくる。私は、これからの企業は“知恵モノ”を作らなければいけないと思っています。
 物作りだけではなくて知恵モノ作りを考えていくということになると、社員は戦略は何だということを考えなければいけない。アメリカの企業を見ていると非常に戦略性が高い。提携や合併をするにしてもきちんとした戦略があってやっていく。だから、アメリカのサラリーマンはクオリティーペーパーを読み始めたということだと思うのです。

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