特集 1998.7/vol.4

外資系企業に学ぶブランド構築
1951年名古屋生まれ。法政大学経営学部教授。慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。電通マーケティングディレクター、
城西大学助教授を経て現職。 共著に「新広告心理」、「最新ブランド・マネジメント体系」。 共訳に「アメリカの心」、
「アメリカ・ライフスタイル全書」。マーケティング論専攻。
 ブランド構築という考え方は九〇年代に入って次第に日本企業の注目するところとなってきた。我々にブランドへ目を向けさせた人物として、デビッド・アーカー教授(カリフォルニア大学バークレー校)の名前を挙げるのにだれしも躊躇(ちゅうちょ)しないだろう。日本の多くの研究者もアーカー教授の後に続いて、短期間に多くの研究が蓄積された(「最新ブランド・マネジメント体系」日経広告研究所などを参照)。これはある意味で例外的な事態であって、多くの異なった分野のマーケティング研究者たちがブランドという現象に同時にかつ精力的に取り組んだのである。
 アメリカでは今年、ケビン・ケラー教授(デューク大学)の「戦略的ブランド管理」(邦訳進行中)が出版された。これはアーカー教授らの近年のブランドに関する知見を総合したテキストであり、ここでは驚嘆すべき豊富なブランドに関する知見が総合化されている。このような成果はブランド論がマーケティングの体系の中でひとつの独立した領域と考えられ始めたことを意味している。

ブランドは送り手のあり方

 ブランドといえば、ブランド・イメージの問題のことだと考える人も多いかもしれない。イメージの問題は、しかし、ブランドの本来の問題ではない。「ブランド・イメージ」という用語を「発明」したのは広告のクリエーティブで伝説的な存在だったデビッド・オグルビーだが、彼の著作を見ると彼の主張はほぼ今日のブランド・エクィティ概念に近いことがわかる。彼は例えば、(広告で)「どう言うかよりも、何を言うかが重要」とか、単なるスローガンだけで消費者の気を引くことはできないと言っている。ブランド論は、貧しい商品の中身をイメージで良く見せる、などということとは無縁であり、ブランド・イメージアップとも関係のない概念である。
 私の考えでは、ブランド論とは、消費者にそのブランドがどう見えるかという問題ではなく、ブランドの送り手がどうあるかという問題である。ブランドとはマーケターの「アイデンティティー」のことである。そしてここではアイデンティティーとは、「同一性」のようなわけのわからない訳語ではなく、むしろ主体性と訳すべきだと考える。もしあるマーケターがOEMメーカーであるとすると、そのマーケターが市場において自分でマーケティング政策を決めていくことはむずかしい。ブランドを自分で所有して初めて、マーケターは自分をマーケティングの主体としてその存在を主張することができるのである。
 そして企業は自分の国内でマーケティングを行い、かつそのマーケットが成長を続けている限り、あまりブランドというものを必要としない。その国の経済成長に合わせて事業を拡大していけばいいからだ。企業がブランドを必要とするのは国内で未曾有(みぞう)の不況に直面したり、あるいは海外で見も知らぬ消費者に出会って手痛い失敗を繰り返した後のことである。

ブランドが不要だった日本

 私は今年二月にアメリカのいくつかの企業を回ってブランドについてインタビューを行ってきたが、ある日系企業に勤めるアメリカ人トップマネジメントは私にしきりに「なぜ日本人はブランドを理解しないのか?」と訴えていた。私の考えでは、日本企業はこれまでブランドを必要とするほどの激烈な不況も経験していないし、また本当の意味での国際化も経験していない。このためにブランドをこれまで本当の意味で必要としていなかったし、ブランドに無関心であり得たのである。
 資生堂からお伺いした話では、ブランド構築を意識し始めたのは、参入したばかりのアメリカ市場でアメリカ人コンサルタントにさんざん「こんな商品ではアメリカ市場に通用しない」と勧告を受け、自分のブランドを見失った体験からだったということである。資生堂が海外市場の開発に成功したのは、このようにアメリカ市場でいったん自分のブランドを見失った経験から学んだ後であった。ブランドとはまさに、自分は何であるかという問いかけの結果であり、この意味で主体性=アイデンティティーが重要なのである。従ってコーポレート・アイデンティティーやブランド・アイデンティティーなどということは重要とは思われない。単なるアイデンティティーが重要なのだ。

事業の目的はブランド構築

 一方、有力な外資系企業はブランドというものを理解しているだけでなく、ブランドを構築することが事業の目的ですらある。先日、ある新聞紙上で、花王の常盤会長がニベアのトップに会い事業の目的を尋ねたとき、「ブランドを作ることです」との返答をもらい驚いた旨の記事が出ていた。オグルビー・アンド・メイザーという広告会社のホームページには、同社の目的はブランドを構築することであり、クライアントのためですらない、と書かれていた。
 優れた外資系企業はほぼ例外なく、ブランド構築を考え、それをマーケティングの目標とし、かつブランドに顧客へのプロミス(約束)を込めることを行っている。私の考えるブランド管理とは、ブランドについて特別な施策を行うことを意味してはいない。それはマーケティングの意思決定をブランドの価値・意味・理念を基準に決定することにほかならない。これは暗黙のうちに一級の外資系企業のマーケターによって実践されていることである。
 つまりブランドを管理するとは、今日下すマーケティングの決定を、ブランドを基準に決めることである。これは今日すぐにできることではあるが、言うほど簡単なことではない。ブランドを守る者は社内からの圧力に遭うし、常にあちこちでコンフリクトに出会わざるを得ないのである。従ってブランドの責任者はトップから権限委譲を受ける必要がある。そうでない限りブランドは守れないし、ある程度の犠牲やリスクを伴う。全員の意思統一や組織の和を重要視する日本企業でこれはかなり難しい要求であるといわざるを得ない。紙に書かれたブランドの理念を守るなどということは、「かったるい」ことであるし、エキサイティングなことでもないからだ。
 とはいえ、ブランドを守ることは必ずしも企業が長期的な観点を持つということだけを意味していない。三か月ごとの収益性を要求するアメリカ企業であっても、ブランドを守ることは可能であるし、実際インテルのような優良会社ほど短期的な利潤追求と長期的なブランド構築とを同時に実現しているのである。従って、「うちの会社は視点が短期的だから無理だ」とは考えないで欲しい。

企業の差別化、四つの次元

 しかしながら、わたしは必ずしもすべての企業がブランド構築を目指さなくてはいけないとは考えていない。いまだ理論的仮説の域を出てはいないが、企業の差別化の中心力として四つの次元を設定した市場オファリング・マトリクス(MOM)によれば、企業はおおよそ(1)コスト・マーケター、(2)テクノ・マーケター、(3)チャネル・マーケター、(4)ブランド・マーケターの四つに分類される。
 日本企業が競争上の優位を求めて世界市場に登場するとき、コスト上の優位性を基盤に登場する(コスト・マーケター)ことが多い。これらの企業は次第にコストだけの優位性にとどまらず、ある企業はチャネルの優位性に、また別の企業はテクノロジーの優位性に移動する。最終的にテクノロジーやチャネルで優位を占めた企業は次の段階としてブランドを確立しブランドでの優位性から来る高い収益性を求める(ブランド・マーケター)。つまりこのような発展段階説に従えば、すべての企業が即ブランド優位を築けるわけではなく、その前段階が必要ということになる。
 興味深いことに最近のダイムラーとクライスラーの合併では、いったんブランドでの優位性を獲得した企業が次の優位性としてコストに再び回帰する動きが認められることである。
 このように、コストからテクノ(あるいはチャネル)、さらにブランドという段階を経た企業は次にコスト優位性に回帰するという循環がここから予想できる。つまりブランド優位性は企業にとって最終的な目標ではなく、企業はコスト・テクノ・チャネル・ブランドという四つの領域を循環しながら発展していくことが想定できる。

外資系企業に学ぶこと

 現在、日本の企業の中にブランド構築への動きが高まっているとすれば、それはコストやチャネルにおいて優位性を築いた企業が、次の優位性を求めて移動しようとするサインであるとも考えられる。これは明らかに他のグローバル企業の後追いでしかない。しかし、このような経路をたどることなしには次の発展が築けないということでもある。
 繰り返し言えば、日本の企業はブランドという観点から外資系企業に学ぶ必要があるし、そのためにはこれまでの日本企業のマーケティング意思決定スタイルを変える必要が出てくる。日本のマーケティングがグローバルになり得るとすれば、このようなブランド構築のマーケティング戦略を中心に置くその姿勢によってである。


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