特集 1998.7/vol.4

外資系企業の広告とブランディング [対談]ブランドを理解しない国ー外資系広告会社のクリエーターが語るブランディングー
関橋氏 関橋氏紹介
一九七二年J・W・トンプソン東京にコピーライターとして入社。八八年クリエイティブ・ディレクター、九一年シニア・エグゼクティブ・ディレクター、九六年制作担当副社長に就任。イッセー尾形を起用したエッソ石油のキャンペーンでIBA、NYフィルムフェスティバルなどで受賞、ほかにニューヨークADC賞、ACC賞など。
●主なクリエーティブ・ワーク
エッソ石油・サービスキャンペーン、ハーゲンダッツ・ブランド・キャンペーン、NOVA(英会話学校)など。
遠崎氏紹介
東京大学卒業後、一九七二年マッキャンエリクソン博報堂入社。八二年から東京コピーライターズクラブ会員、九六年制作本部長に就任。受賞は、ACC賞、クリオ賞、ニューヨークADC賞、九五年クリエーター・オブ・ザ・イヤー特別賞など多数。
●主なクリエーティブ・ワーク
ネスカフェ「世界の都市」シリーズ、コカ・コーラ「I Feel Coke」キャンペーン、ジョージア「男のやすらぎ」キャンペーン、ナイキ「Just Do It」キャンペーンなど。
遠崎氏
 海外で作られた広告の九割は、そのまま日本で流せないという。それほど日本市場の特殊性は大きい。外資系企業と日本企業の広告づくりの違いはどこにあるのか。長年、外資系広告会社でクリエーティブに携わってきた二氏に、欧米と日本の広告に対する考え方の違い、コミュニケーション文化の違いを聞く。

欧米と日本の広告に対する考え方の違い

 関橋 欧米と日本の広告で最も違うのは「ブランディング」に対する考え方ではないでしょうか。ブランドを表現するのに日本の企業はよく「イメージ」という言葉を使いますが、欧米の場合は「アティチュード」とか「パーソナリティー」ですね。しかも、単なる顔つきではなく、考え方とか姿勢といった意味で使っています。
 遠崎 確かに日本の企業はブランド・イメージを強調しますね。それで、「どういうブランド・イメージにしたいんですか?」と聞くと、「親しみやすい」という言葉が必ず返ってくる。自分の意見なり姿勢なりを打ち出すのではありません。 僕はこれを「消費者に擦り寄るコミュニケーション」と言っているのですが、日本人はブランドを体質的に理解しにくいんじゃないかと思っています。
 関橋 そう思いますね。しかし、二十年くらい前のサントリーの広告などは、ブランディングしていましたよね。
 遠崎 開高健さんの「人間らしくやりたいな」のコピーは、人間賛歌です。それをサントリーはいろいろな形でやってきた。例えば、カンヌで金賞をとった「トリスの子犬」は「トリスの味は人間味」というコピーだったんですけれども、脈々と人間賛歌が流れていました。要するに、ウイスキーを飲むことで人間を好きになって、「人間っていいよね」といったブランドの姿勢が一貫して流れていました。ただ、当時はブランディングだと理解されずに、むしろ気持ちや人生を語る「モノ離れの表現の手法」として注目されてしまった。

ブランディング広告は商品への絶対の自信が前提

 遠崎 日本の広告で結果的にブランディングしてきたところは、サントリー、資生堂、一時期の西武デパートなど、全部カテゴリーのリーダーです。だからこそカテゴリーを代表して、時代の価値観を主張できたのでしょう。ところが、海外ではブランディング広告をやる企業は二番手、三番手に多いんですね。例えば、GMに対して噛(か)みついたフォルクスワーゲン、最近では、リーバイスに噛みついたジーンズのディーゼルです。
 関橋 欧米のブランディングは、企業や商品のパーソナリティーやアティチュードを示して、それが嫌いな人はいらないんですね。だから、二番手、三番手のほうがそういう強い広告を打てる。ナイキなどもそうです。ワルだけどゲームをすると勝ってしまう。「それだけでいいじゃん」というのが、ナイキが皆に好かれたアティチュードだと思います。
 遠崎 もちろん、そうしたブランディング広告ができる背景には商品に対する絶対の自信がある。例えばナイキの場合で言いますと、非常に進んだテクノロジーの靴、スポーツ・アスリートに対して最高のパフォーマンスを引き出す靴であるというポジショニングが、まずある。それがコアにあって、スポーツの本質って何なんだろう、スポーツを楽しむって何なんだろうということを皆に呼びかけているわけですね。「JUST DO IT」、とにかく迷ってないで、とりあえずスポーツしてみようよと呼びかける。だから、彼らのロジックというのは、元々は物からだいたい発想する。その物が持っている本質的な価値は何だろうということを突き詰めていって、そのことに対して、自分たちはどう思うんだということを、ちゃんと主張する構成になってるんですね。
 関橋 ハーゲンダッツの広告も同じなんですよ。彼らも自分たちの作っているものにものすごい自信がある。世界から集めてきた選りすぐりの素材で、四日以内にミルクからアイスクリームを作る。品質を保つために分厚いマニュアルがあって、牛が食べる牧草のpHまで決められているんです。だから、「子供だけじゃなくて、大人にもおいしいでしょう、大人にだって十分に堪能できる味なんですよ、高いですけど」というところが発想のベースなんですよ。じゃ、それをどうしようかということで、ああいう世界になった……したんですけどね。

●ハーゲンダッツ・ブランドキャンペーン
ベッド編
ベッド編1 ベッド編2
タンゴ編
タンゴ編1 タンゴ編2
ハーゲンダッツ・ブランドキャンペーンCMは、日本発の制作でアジア各地、フランスでも使用される
1993年ベッド編30秒CM、1996年タンゴ編30秒CM

変わらない日本人の体質と変わらざるを得ない広告環境

 関橋 最近、広告を通して感じるのは、日本の消費者というのは、やはりものすごく保守的になっているということです。
 遠崎 鳥の群れを見ていると、一時的に崩れるけれども、またワッと戻りますよね。それに近くて、皆、本当に脱落する、群れから離れることに非常に恐怖感を持っていると思うんです。
 関橋 そういう状況の中で、僕らは仕事として商品の差別化をしていかなければいけないが、ブラウン管や新聞紙面を通して表現する場合は、やはり確実に違うものでないと難しい。微妙な違いで表現しても広告にはならないですね。
 遠崎 日本人は少しとんがったことを言うと、皆、拒否反応を示すけど、外国人なら許すというところがある。これは商品の世界でも起こり得ると思うんです。外国のブランドははっきり物を言っても個性的でいいとされますが、日本の企業はたたかれるんじゃないかと恐れていますよね。九十人に好かれても、十人に嫌われたらと考えて、なかなか思い切ったことが言えない。
 関橋 今、日本ではどこを向いても「ブランディング」といっていますが、本当にそういった体質でブランディングできるのかというと、できませんね。しかもクライアントは、「画面は暗いより明るくて、しかめっ面をしているよりは笑っていて」といったようなことばっかり言う。
 遠崎 いずれにしても、このバランスは難しいですよ。クライアントも、きちんと自分の意見や個性を持つべきなのは分かっているが、しかし、踏み切る勇気が足りない。
 関橋 もう十年来、「タレント偏重はやめよう」と言っているにもかかわらず、まったくその傾向が生まれてきませんしね。
 遠崎 これからますます、いわゆる西洋文化と日本文化がぶつかり合っていくと思うんです。そこから新しいコミュニケーションの仕方などが出てくるでしょうが、僕はやはり日本人の本質はそんなに変わらないとは思っています。結局、われわれは、同じ言葉をしゃべって、同じ時代の空気を吸っているし、皆、分かり合えている。そういう中で、本当に自分を「オレはこうなんだ」と肩いからせてアピールすることが、気持ちいいかどうか、かっこいいかどうか、好きになれるかどうか、というと本当はなかなか難しい。だけど、今の日本の状況というのは、おそらくドカドカと個性的な人がいっぱい入ってきた時に、どう対処しようかと右往左往しているという感じに近いんじゃないでしょうか。例えば、小学校のクラスがあったとして、外国人が一人入ってきた時には、これは物珍しさですみますが、もしも十人くらいワッと転校してきたら、いろいろなこと起こりますよね。それまで、皆、自分の個性だと思ってたのが、実はちょっとした違いにしかすぎなかったとか。実は世の中には個性というのは、こんないっぱいあったんだと改めて知るみたいな、そういう感じに近くなる。
 関橋 といって、外国人のまねはできないですよね。
 遠崎 そこが日本が今直面している混乱、あるいは、ためらいじゃないかと思います。
 関橋 しかし、ビッグバンで海外の金融機関も日本に本格的に進出してきます。例えば、シティバンクは「シティ・ネバー・スリープス」というブランディング広告を以前海外で展開していたんですが、これは社名とシティとを引っかけて、街が眠らないようにシティバンクも二十四時間営業していると訴求するものです。おそらく、ビッグバンで日本に来る海外の金融機関は日本でもブランディング広告をやるでしょうね。
 遠崎 彼らは個性的なサービスをしていて、きちんと言いたい内容がありますが、日本の銀行はこれまで全部画一的でした。そのため、今後どのように自分の個性を見つけ、それを発揮し、生き抜いていくかが問題でしょう。
 関橋 最近、ある海外の証券会社の人に会ったんですけれども、マーケティングをやってる人のほとんどが広告会社の出身なんです。そういうことからも、日本の証券会社や銀行とはかなり違った活動をすると思いますよ。

五年、十年と広告を続けてブランドは資産になる

 関橋 日本は欧米のように変わっていくことができますかね?
 遠崎 僕は両面あると思うんです。一つは、やはり欧米のような強いコミュニケーションというのをどこかで目指さなければいけない。もう一つは、日本人のある種の繊細さや機微、情緒といったものを大事にするということです。今、サントリーのウーロン茶の広告などが高い評価を得ていますけれども、あれは、日本人のアイデンティティーがほしいといった気持ちの表れのような気がします。
 関橋 アイデンティティーを持ちながら、世界の波に対応していくということですね。その場合、広告は雰囲気でつくるのではなくて、きちんとした考え方や姿勢、アイデアというものが必要でしょうね。もう一つの欧米との違いは、日本ではものすごく広告のサイクルが短い。欧米のCFには、三十秒や六十秒というのもありますからね。新製品がどんどん出てくるという日本のマーケットが十五秒のコマーシャル文化を生み出したとも言えるわけですが、いわゆる欧米型だと、アティチュードだとかパーソナリティーを、五年、十年かけてもずっとやっていますよね。
 遠崎 その点は、日本もある程度変わってくるんではないでしょうか。やはりブランドのよさは、結局、資産になることです。投資効率もすごくいい。ネスカフェは三十年くらい同じようなキャンペーンをやっているんですが、その広告量よりも「ネスカフェの広告を見た」という人のほうがはるかに多い。つまり、少しずつでも、たくさん見たような気になります。それだけ人の気持ちの中にシェアができている。それはもう財産ですよ。
 関橋 企業にお金がなくなってきた時には、最初は百を使い、二年目七十、三年目からは五十、三十となり、その後、ずっと三十でやっていっても、たぶん五十くらいの残存効果というのは確実にあります。例えば、僕がやったハーゲンダッツの広告ですが、ちょっとエッチっぽいCMをもう六年ぐらいやってきて、それで消費者に聞けば、「あのエッチなCMね」という反応が返ってきます。
 遠崎 実際には見てなくても、見たような気になっている。
 関橋 「どういうのを見ました?」と聞くと、「ええ、何かエッチなの」くらいで終わりですが、それは確実に残っています。
 遠崎 財産になっていますよね。
 関橋 そこが日本の今までの広告でものすごく欠けてたところなんです。
 遠崎 ブランドの財産を維持しながら、飽きやすい日本人に常に新鮮な印象を与えるには、どうするかということなんでしょうが……。
 関橋 そういうことですね。電波と新聞を同じビジュアルで……という例が増えていますけれど、ある一つのパーソナリティーを作ってしまえば、必ずしもすべての媒体にまったく同じ写真を使わなくてもいい。例えば、同じようなエッチならエッチのテーマでつくっていけば違う展開をやっても平気なわけですよ。そうすると、それはそれで、同じブランドの新聞広告として別な展開になっていきます。必ずしも、ひとつの写真を撮ったら、全部にこれを使いましょうということでなくていい。特に新聞広告ということを考えると、それは投資効率が悪いような気がします。

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