特集 1998.6/vol.3

消費マインドをつかむ  消費不況の長いトンネルはなかなか終わろうとしない。
しかし、消費は今や生活そのものであり、生活を営む限り消費は存在する。
消費マインドを活性化するポイントは何か。
個人消費の現状分析と、時代の変化を読み消費者をつかんだ商品やサービスの事例を紹介する。
市場は、本当に冷え込んだのか?!ーマクロから見た個人消費の現状と行方ー 長銀総合研究所 小村智宏
1989年東京大学経済学部卒業後、日本長期信用銀行に入行。調査部で短期マクロ経済予測を担当する。
95長銀総合研究所に出向。現在は、産業調査部副主任研究員として流通産業の調査を担当する。
 
 先日、ある雑誌に、イトーヨーカ堂の鈴木社長の「消費は経済学ではなく、心理学の世界になってきた」という談話が載っていた。消費者心理が、消費者の行動を大きく左右するようになってきたという状況をとらえてのものだ。今の消費者は、経済学ではとらえきれない、ということでもある。
 昨年のはじめには、消費の回復を予想するエコノミストが多かった。政府もそうみた。だからこそ消費税率の引き上げ、特別減税の打ち切りに踏み切ったのである。しかし、その期待はものの見事に裏切られた。消費の不調は夏ごろから鮮明になり、十一月の北海道拓殖銀行、山一証券の経営破綻(はたん)で金融不安が高まるなか、消費は一気に落ち込んだ。金融不安の影響は別にしても、現場の「皮膚感覚」で早くから消費の先行きに懸念を示されていた鈴木社長の予想が的中した形だ。
 現場の感覚をおろそかにしてはならない、というのは、エコノミストが経済の先行きを見通す上での基本中の基本であるが、それを改めて思い知らされることになった。しかし、経済学をベースに統計データを丹念にみていくことの意義は、今でも失われてはいないと思う。ここでは、マクロの統計データを用いて、消費市場の現状と行方を描き出してみたい。

九〇年代の個人消費のアウトライン

 振り返ってみると、個人消費の低迷は、既に相当な長期に及んでいる。バブル期に大いに盛り上がった消費活動は、バブルの崩壊と同時に一気に冷え込み、今日にいたっている。その間の推移をマクロのデータでみると(図表1…GDPベースの個人消費の実質伸び率の推移)、個人消費の落ち込みは九〇年の中ごろにはじまっている。八九年十二月に株価がピークを付けてから半年ほどたったころだ。落ち込みは急激で、九一年にいったん下げ止まったかにみえたが九二年には再度低下し、九三年初頭には、ほとんどゼロ成長となっている。
 その後は、特別減税の実施や大型の景気対策の効果もあって持ち直し、九五年度、九六年度には三%程度の成長を記録した。しかし、九七年には、消費税率の引き上げ、特別減税の打ち切り、十一月からの金融不安といったマイナス材料が重なり、今や個人消費は完全に勢いを失ってしまった。

図表1

消費者心理だけでは説明できない現在の不振

 以上のように、アップダウンはあるものの、九〇年代に入ってからは、消費は総じて不振であった。その不振の要因として「消費者心理の悪化」があげられることが多い。バブル期の浮ついた消費行動の反省、企業のリストラにともなう雇用不安、そして昨年の金融不安と、消費者心理を悪化させそうな要因が次々と現れた。確かに、それらが消費の落ち込みを厳しいものにしている側面もある。
 しかし、消費者心理の影響を重視し過ぎると、見通しを誤りかねない。とくに、消費者心理が改善されれば、人々の財布のヒモが緩んで財布の中身以上に消費が拡大する、と期待するのは危険だ。少なくとも、マクロのデータが出そろっている九六年までの間は、消費者の意識や心理はどうあれ、実際の行動としては、財布のヒモを締めてはいない。これは、裏返すと、今後消費者心理が回復しても、財布のヒモが緩む余地はあまりないということでもある。このあたり、少し詳しくみておこう。
 消費者心理が悪化したとなると、直感的には、多くの人が財布のヒモを締めて収入の多くをため込んだのではないか、という想像が働く。ところが、マクロのデータをみると、それとはまったく逆の現象が起こっている。図表2は、人々が年々の収入のうち、実際に支出した割合を表したものである(以下では、この指標を支出性向と呼ぶ…注1参照)。これをみると、九〇年代にはいってからは上昇基調で推移し、九四年度、九六年度には、過去四十年間でもっとも高い水準にまで達している。収入との関係でみる限り、人々はむしろ、財布のヒモを緩めた形になっている。

注1)一般によく用いられる「消費性向」は、家計の可処分所得のうち消費に回された比率である。消費性向が低下していることから、消費者心理が悪化しているとする議論もあるが、消費性向がとらえている可処分所得には不動産を売却した収入が含まれない、また、消費には住宅など実物資産の購入が含まれていない、といった問題がある。
 そこで、ここでは、そうした問題を修正した指標を用いた。大まかにいうと、可処分所得に不動産の純売却額(売却額から購入額を差し引いた値)を加えたもののうち、住宅等も含めた支出(税金等は除く)に回された比率である。この指標は、一般に用いられるものではないため、ここでは仮に「支出性向」と呼んでいる。


図表2

景気を下支えしてきた「ラチェット効果」

 この事実を意外に思われる方も多いかもしれないが、マクロ経済学では、むしろセオリー通りの現象である。マクロ経済学の伝統的な考え方によると、景気が拡大し収入の伸びが加速しても、消費者は、収入の伸びほどには支出を拡大しない。そのため、収入の伸びも、やがて標準的な成長ペースに落ち着く。逆に景気が悪化したときには、支出は収入ほどには落ち込まず、景気を下支えする。
 したがって、消費者の行動には、景気変動に歯止めをかける効果がある。この効果は「ラチェット(=歯止め)効果」と呼ばれている。ラチェット効果が働く要因としては、消費者が景気の変動を一時的な現象とみなし従来の行動パターンをあまり変えない、あるいは、従来の生活習慣を変更することは容易ではなく消費行動はあまり変わらない、などの仮説が立てられている。
 図表3は、図表2でみた支出性向と、家計の収入の実質伸び率とを、重ね合わせてみたものである。これをみると、八〇年代末のバブル期を除くと、収入の伸びが高まった年には支出性向は低下、収入の伸びが鈍化した年には支出性向は上昇、という関係がみてとれる。消費者の支出が、景気を安定化させる効果を発揮してきたことは明瞭(めいりょう)である。とくに、九〇年代に入ってから、その関係は一層はっきりしてきている。収入の伸びが急速に鈍化するなかで、消費者は支出を抑えきれなかったのである。ラチェット効果が景気の下支えとなった典型的なケースといえるだろう。
 これまでラチェット効果が働いていたということは、今後、消費が回復局面に入っても、劇的な回復は期待しにくいということでもある。前に述べたとおり、ラチェット効果は、不況時には景気にプラスに働く反面、回復期には消費の伸びを抑える働きがあるからだ。九五、九六年に一度は回復基調に入った消費が景気をリードできなかったのも、回復期にマイナスに働くラチェット効果のためだ。
 また、ラチェット効果が下支えしているとはいっても、消費者心理の影響も無視できなくなってきている。支出性向が相当な高水準にある現状では、消費者心理の影響は、プラスには働きにくく、マイナスに働きやすい。たとえば、いよいよ金融恐慌かと思われた昨年の十一、十二月の急激な消費の落ち込みは、消費者心理の影響が強烈に働いた結果だと考えられる。幸い、このときのショックは年明けにはほぼ払拭(ふっしょく)されたが、消費者心理を悪化させるショックが極端に大きい場合には、消費が大幅に落ち込む可能性があることを強く印象づけた。今、消費市場はきわめて厳しい状況にあるといえるだろう。

図表3

これからの消費市場と企業経営

 企業の経営にあたっては、今後も当分の間、厳しい状況が続くことを覚悟しておく必要がある。環境が好転するまで耐えるというスタンスではなく、この厳しい環境を前提として、生き残っていく方策を考えなければならない。消費者を相手にする企業が生き残っていくためには、売り上げが低迷していても利益を出せる体質を築くか、さもなければ競合他社のシェアを奪って成長していくしかない。
 ただ、ラチェット効果が顕著だということは、多くの消費者はきわめて厳しい予算制約のもとで消費活動を展開しているものの、生活水準の維持・向上への欲求が失われたわけではないことを示している。本当に必要だと判断したものについては支出を抑えてはいない。消費者の欲求をうまくとらえたビジネスには勝機がある。
 では、消費者にとって「本当に必要なもの」とは何か。かつて生活水準が低かった時代には、真っ先に「食」の分野であり、次いで実用的な衣料品、日用品と挙げていくことができた。しかし、生活水準が向上し成熟した消費市場では、「本当に必要なもの」は、客観的な意味での必需品に限らず、あらゆる消費分野に散らばっている。不振をきわめる百貨店、スーパーで食料品が比較的健闘しているのも事実だが、その一方で高級ブランドの衣料品が好調だったりもする。遊びやファッションの分野でも好調な商品、企業はある。
 勝利者は一握りに過ぎない。しかし、あらゆる分野にチャンスはある。消費者の欲求はどこにあるのか。どうやってそれをライバルに先駆けてキャッチするか。今、生き残りを図るすべての企業が、成熟した消費市場から突きつけられた課題である。



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